「神の排他性」
出エジプト記20:3「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
「分け登る麓(ふもと)の道は多けれど同じ高値の月を見るかな。」「宗教はどれでもいい」と言う考えです。でも、本当でしょうか?。。。考えてください。どの真理にも、排他性があります。1+1は、1ではなく、2です。答えは一つです。宗教だけ排他性をきらうのはおかしいです。「キリスト教でなければならないと言う考え方はいけない」や「どの宗教でもいいと言わなければいけない」と言うこと自体が排他的です。。。子供の頃、私は、親にこう聞きました。「日本にいろんな神々がいるでしょう。どうやって日本人に聖書の神について語れば良いのですか?」こう答えました。「生ける真の神。」神には、排他性があるのです。。。今日の箇所ですが、出エジプト記20:3「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」「ほかに、ほか」と言う言葉は、神の排他性を繰り返しています。
1.偽りの神々。出エジプト記20:3「神々」とあります。イスラエルが前いたエジプトには、もちろん多くの神々がいました。最近の発掘でより分かっています。例えば、ラー、オシリス、ハソールなど。でも、向かって行っていたカナンの地方には、400以上の神々がいました。その一つは、聖書にも出てくるバールでした。バールの意味は、所有者、主、主人で、はじめは、名前ではなかったそうです。妻のバールは主人であったり、ビジネスのバールは所有者であったり、宿のバールは女将(おかみ)であったりしました。後々、各地域の神々は、バールと呼ばれるようになったのです。ツロという町のバールは、メルカルト。シリアは、リモン。モアブは、ケモシ。アモンは、モレク。
日本の氏神に似ていませんか?日本には、800万と書いて「八百万神」(やおよろずのかみ)があります。また、1000万と書いて「千万神」(ちよろずのかみ)とも言うそうです。。。でも、神社で、そのいわゆる「神」を心から「拝んでいる」のでしょうか?自分のご利益をためにただ「使っている」のではないでしょうか?合格、家内安全、商売繁盛(はんじょう)するためにただ利用しているのではないでしょうか?本当に拝んでいるのは、ご利益で、家族、会社、教育などなのです。
そうです。私たちの本当の「神々」は、家族、仕事、教育なのです。お金、セクス、伝道、人物(いわゆる「女神」の安室奈美江でなければジャン先生)。人の賞賛、居心地良い生活、権力。。。あなたを最も幸せにしていると思うものが、あなたの神です。あなたが最も大事にしているものが、あなたの神です。ボウっとしている時、あなたは、何を考えていますか?あなたの最大の悪夢は、何ですか?あなたの本当の救い主は、何でしょうか?それがあなたの神です。。。ブルーズ歌手ボブ・デランは“You’ve got to serve somebody”と歌いました。「あなたは、誰かに仕えてなければならない。」私たちは、必ず何かに誰かに仕えて、拝んでいる、と聖書は言っています。人間は、何かを拝む必要があるのです。そのように人間が出来ているのです。多くの場合、悪いものを神にしているわけではないのです。良いものを神にしているのです。例えば、友情、結婚、人物、子供、仕事、政治、文化などは、良いものです。が、神様以上にすると、偶像で、偽りで、破滅、危険に導くのです。子供に期待しすぎて、潰してしまうのです。会社で忙しすぎて、家族を放ったらかしにするのです。その奴隷にされてしまうのです。「エジプトの国、奴隷の家」帰ってしまうのです。
教会、仕事やメッセージが私ダビデの神となる時が多いです。それと共に、人の賞賛。礼拝の後『奈帆、説教はどう?』と聞きたがるのです。説教が褒められると、教会が成長していると、必要とされると、それによった意義があると思ってしまうのです。でも、思い切ってこう考えるのです。「待った、私は、人の賞賛によって振り回されている。完璧なリーダー出なくても良い。イエス様が真の神である。十字架の愛で十分。」
2.真の神。3節「あってはならない」とあります。命令形です。あらゆる「神々」と縁を切るのです。。。でも、どのようにして?ただ頑張って?いやいや!私達は、先ず、新たに、キリストの福音を信じ、適用しなければなりません。自分に神の栄光と十字架の愛を説教しなければなりません。。。トマス・チャルマーズは、このように言いました。「自分の愛を間違った愛着から解き放つ唯一の方法は、新しい愛情(いわゆる「愛着」)の力によって排除しなければなりません。」例えば、小さな赤ちゃんは、鈴で満足しているのです。でも、少したったら、鈴を捨てて、テデイベアで満足するのです。そして、テデイ・ベアを三輪車に。三輪車をゲームに。ゲームをバイクに。間も無く、バイクを捨てて、車で満足するのです。などなど。それと似て、心の愛情を間違った神々から、あなたを悪用しない、ずっと優れている神に、イエスとその十字架を通して私たちを真に愛してくださる主イエスに置き換えるのです。
3節「あなた」とあります。神が私たちをどう思っているか、分かって来ると、置き換えられるのです。神は、私たちのことをどう思うのでしょうか?。。。私たちは、神にとって尊いのです。「あなた」と言う言葉は、直接、2節「エジプトの国、奴隷の家から連れ出」されたアブラハムの子孫、イスラエルの事です。彼らは、イジプトから素晴らしく救い出された民でした。でも、助け出されたのに、すぐさま神に文句言ったり、疑ったり、試したりしました。そうです。同時に、罪深い民でした。それでも、出エジプト記19:5−6、神は、イスラエルをご自分の「宝、祭司の王国、聖なる国民」である、と言いました。。。あなたも、私も、罪の束縛から救い出された、神の尊い「宝」です。罪人ですが、同時に聖徒です。「宝」は、偉大な王様の個人的な富、と言う意味でした。当時の独裁者は、国の全てを所有していました。道も、建物も、畑も。人は、王の物でしたから、殺したかったら、自由に殺せたのです。でも、特別に価値のある物は、自分のヘアにおいて、特別に喜んでいたのです。神は、イスラエルに、私たちに、こう言っています。「私は、すでにあなたを愛し、喜んでいる。私は、あなたとの約束を絶対に守る。ですから、答えて欲しいい。」。。“24時間テレビ”でこのような話がありました。ある夫婦は、なかなか子供が授からなかったのです。でも、ある養子縁組の団体から「赤ちゃんがいるよ」と言われたのです。2人は、特に奥さんは、待ち切れなかったのです。駅へ行って、赤ちゃんを見ると、言葉で言い表せないほど、喜んだり、泣いたりしていました。その赤ちゃんを見る目!駅で!それを見た時、私は、神様の私たちへの思いを覚えました。天の父は、それ以上に、私たちを喜んでいるのです。涙が出るほど、踊るほど、宴会を用意するほど、愛され、喜ばれているのです。。。ここまで大切に思われているなら、どう答えますか?偽りの神々と縁を切って、真実な神のみを拝むのです。
3節「わたし」とあります。私たちは、どうのようにして偽りの神々と縁を切るのでしょうか?生ける神があまりにも素晴らしいからそう出来るのです。。。3節の「私」という言葉は、唯一の神のことです。神は、全て創られた神です。創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した。」全てを創られた、栄光に満ち満ちている神です。聖アウグスティヌスは、こう言いました。「主よ、あなたは、御自身の為に私たちを造られました。そして、あなたに安らぐまで、私たちの心は安らぐ事は無いのです。」ですから、神々と縁を切って、栄光の神といわゆる「縁を結ぶ」のです。。。そして、神は、約束を守る神です。2後半の「主」と言う言葉は、約束を守る神です。人間と違って、神は、真実なお方です。私たちは、真実な愛で愛されています。間違った神から「足を洗って」、本当の神と手を組むのです。。。また、救う神です。2節「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」19:4「あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。」「ホビット」と言う本で、小人のようなホビット・ドォルフ13人が鬼のようなゴブリンから逃げようとしているのです。もうだめです。しかし、突然、大きな鷲が舞い降りて、彼らを救い上げ、安全な山の上に置くのです。神は、ご自身のことを力強い偉大な鷲に例えています。神は、鷲のように舞い降りて、イスラエルを救い出したのです。彼らは、自分の救いに何か提供しましたか?自分で戦って、走って、歩いて助け出されたのですか?いいえ、「あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来た。」栄光の神の恵みです。私たちは、この神の恵みによって救われたのです。この栄光の神に、あなたは、どう返事しますか?偽りの神々を捨て、生ける神と共に生きるのです。
恩方に「オンリーユー」と誓い歌うのです。調べると「オンリーユー」は、ゲームのタイトルは2つで、ドラマ・映画のタイトは5つで、プレスリー やモー娘のアルバムのタイトルは13あるのです。“Only you”は、英語では「あなただけ」という意味です。排他性があります。根拠のある排他性です。。。間違った神々を排除するのには、真の神の麗しさとその十字架の真実な愛で心をいっぱいにするのです。イエス様が最も醜い時に、最も麗しかったのです。それは、十字架の上でした。心の愛情を間違った神々から、あなたを悪用しない、真に愛してくださる神に置き換えるのです。それで「あなたには、わたし(行ける神)のほかに、ほかの神々があってはならない」と決断するのです。