2018年12月20日木曜日

原田君子姉の葬儀


昨日、原田君子(78歳)の葬儀でした。
小岩井牧師と森田姉の奉仕を心から感謝しています。





葬儀メッセージ

「神の愛とは?」 ヨハネ3:16

聖書・ヨハネ3:16「神は、実にその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

原田君子さんにあったのは、多分、30年ほど前のことでした。豊かな命教会がまだ庄内の聖書書店にあったころでした。思い出に残るのは、あまった小銭を瓶に入れて、私たちの子供に持って来て下ったことでした。私たちが香川に帰っていた7年何回も電話して下さいました。少し長電話でしたが。松本に帰って来た時も、何回も電話して下さいました。最近まで連絡が途切れてしまいましたが、数ヶ月前、息子さんの原田まさゆきさんから電話がありました。何回か村井の上條病院に行きました。。。私が何度も繰り返した聖書の箇所は、彼女がよく知っていた、このヨハネ3:16です。「神は、実にその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

でも、聖書の『愛』とは何でしょうか?昔の戦国時代の頃「御大切」と訳されていました。広辞苑で『御大切(ごたいせつ)』を引くと、『キリシタン用語、愛』と記されています。キリスト教で最も重要な『愛』は宣教師たちによってこう表現されたのです。あなたは、とてもとても大切だということです。。。私たちは、いろんなものを通して、自分は、愛されていて大切であることを確認したいのです。でも、人や、仕事などには限度があるのです。。。生ける神の愛を知る必要があるのです。

先ず、人間の愛ではなく、「神」の愛です。「神は。。。」とあります。人間の愛は、あまりにも弱いです。神は、創り主ですから、その愛は超越した、力強い、真実な愛です。。。長崎の科学者永井隆医師は、生ける神についてこう語りました。「私たちは、神を見ることができないが、神のみ業を見ることが出来る。私は、科学的な実験を通して神のみ業を見ることが出来る。神のみ業を見ることは、素晴らしい喜び!美しい秩序を見ると、神の人間に対する無条件な愛が分かる。神を見る人は、神が太陽を創ったことが分かり、その太陽は、神の愛を私たちに示している。そして、私たちの感謝は、太陽に向かってではなく、神に捧げるのである。」。。「神を見る人は、神が太陽を創ったことが分かり、その太陽は、神の愛を私たちに示している。」生ける神の愛は、創られた人間の弱い愛と違って、超越した、力強い、真実な愛です。造り主の愛だからです。

また、神の愛は「一人子をお与えになったほど」の愛です。奪い取る、要求する、自己中心的な愛ではなく、犠牲的な与える愛です。。。数日でクリスマスです。クリスマスは、この愛を表しています。父なる神が「御子」イエス・キリストを送り、この世に生まれ、私たちの間で住み、奇跡を行い、素晴らしい言葉を語りました。「神を愛し、隣人を愛すように」と。また、神と人を真実に愛さない罪人の私たちの代わりとなって、イエス・キリストは、十字架上で、その罪を負い、裁かれました。命を与えたのです。ここに、神の与える犠牲的な愛があるのです。。。日本のガンジーとも言われた賀川豊彦は、神の愛をこう例えました。「神さまの愛を例えるなら、ちょうど赤ん坊のオムツをとりかえる母親みたいなものだと思うんです。赤ん坊は、オムツがよごれると、自分ではどうすることもできないから、泣いて知らせます。そうすると、母親は夜中でも、すぐ起きてそれをとりかえ、抱いてねむらせます。この母親の姿こそ、ただひたすら我が子を愛し、そのためにすべてをささげる犠牲的な姿であります。」。。母の愛を思うと、神の愛を理解しはじめることが出来ます。神の愛は、犠牲的な十字架の愛です。考えられないほど素晴しい愛です。なぜなら、神にとって、私たちはとても大切な存在なのです。

最後に、神の愛は「永遠」の愛です。後半「一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」私たちの愛は、時間や場所によって限られています。私たちは、忙しくなったり、離れたり、天国に召されたりします。しかし、神の愛は、永遠に続くのです。今も、「御大切」にされ、生きる意義が与えられ、後『死んでも死なない命』与えられるのです。。。神は、将来、新しい天と地を造り、私たちは、キリストによって、そこで神と共に住むのです。聖書にこうあります。「涙をすっかりぬぐい取ってくださる。死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」「あんなに悲しい、こわれた世界だったとは思えないほどの変わりようで、この世界がすばらしく変えられる」のです。永遠の愛です。。。子どもの絵本・ジザスバイブルストーリーにこうあります。「わかるかな。どんなことがあっても、どんなめにあっても、神さまはご自分の子どもたちを愛されるということを。ぜったいあきらめす、いつも、いつまでも愛しつづけてくださるということを。」

神の愛への私たちの返事は、「御子を信じ」仰ぐことです。それだけです。自分中心に進んで来た人生と心の罪を認め悲しみ、イエス・キリストに心を向け、恩方を仰ぐのです。。。明治維新の頃でした。新島八重の旦那さん新島襄の若い頃でした。彼は、漢訳の聖書を、一字一字を追うように読んでいました。英語で読むよりは、はるかに速く、正確に意味を理解できるようになったのです。マタイによる福音書からはじめて、マルコ・ルカを読み進んで行きました。このヨハネによる福音書まで来た時、この有名な言葉ヨハネ3:16に来ました。そして、これから先に進めないほどの感激を覚えたのです。『神はそのひとり子をたまわったほどに、この世を愛してくださった。それは、み子を信じる者が、ひとりも滅びないで、永遠の生命を得るためである。』彼は、聖書をおいて、祈らざるをえなかったのです。「神よ。あなたはこんな私のために、ひとり子をあたえてくださったのですか?救ってくださったのですか?これこそ私の求めていた救いです。主イエスこそ救い主です。」。。私も、あなたも、新島襄のように、イエス・キリストを信じ仰ぎ、神の愛に預かることが出来ます。

君子さんは、素直に、純粋に聖書を信じ、イエス様を仰ぎ見ました。ある時期、結構教会から離れていました。しかし、行いによってではなく、ただ信じることによって、頂く恵みです。。。数週間前、病院で、このヨハネ3:16を言ったら、君子さんも、部分的に一緒に言って下さいました。日曜日、小岩井先生が祈った時に、他何も言えませんでしたが、生後に力強い「アーメン」を聞こえました。確かな信仰を持っていたのです。彼女も「御子(イエス様)を信じ」たのです。

先ほど引用した同じ絵本にこのヨハネ3:16をこう簡単に書いています。『神様は、この世界をどうしようもなく愛しているんだ。だからそのひとりむすこをあたえようと思った。その子のことを信じる人はだれでも、永遠のいのちをもらって、けして死ぬことがないようにね。』天国にいる私の父母、家内の父は、この神の愛に預かったのです。君子さんもそうです。そして、今は、皆んなは、天国で、再会しているのです。。。真実な愛の神様に感謝します。

0 件のコメント:

コメントを投稿