2018年12月22日土曜日

学校のチャイムは教会の祈祷文から?


私たちが慣れ親しんでいる学校のチャイムは、教会の祈祷文から来ている。「このメロディは『ウェストミンスターの鐘』と呼ばれ、日本の小中学校などでは「キーンコーンカーンコーン」というチャイム(の原曲)として有名」です。ウェストミンスターの鐘

これが歌詞です。

All through this hour
Lord, be my guide
And by Thy power
No foot shall slide.

全ての時をとおして
主よ、導いてください
あなたの御力によって
足は滑ることはない*

または

O Lord our God
Be Thou our guide
That by thy help
No foot may slide.

主よ、私たちの神
あなたこそ導いでください
あなたの助けによって
足は滑ることはない*

ロンドンのビッグベンが鳴らしいるのを聞く。The chimes of Big Ben

聖書の詩篇46:1−3「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ」

「主イエス様は、子供達を守ってください。。。」

* 守ってください、と言う意味。

2018年12月20日木曜日

原田君子姉の葬儀


昨日、原田君子(78歳)の葬儀でした。
小岩井牧師と森田姉の奉仕を心から感謝しています。





葬儀メッセージ

「神の愛とは?」 ヨハネ3:16

聖書・ヨハネ3:16「神は、実にその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

原田君子さんにあったのは、多分、30年ほど前のことでした。豊かな命教会がまだ庄内の聖書書店にあったころでした。思い出に残るのは、あまった小銭を瓶に入れて、私たちの子供に持って来て下ったことでした。私たちが香川に帰っていた7年何回も電話して下さいました。少し長電話でしたが。松本に帰って来た時も、何回も電話して下さいました。最近まで連絡が途切れてしまいましたが、数ヶ月前、息子さんの原田まさゆきさんから電話がありました。何回か村井の上條病院に行きました。。。私が何度も繰り返した聖書の箇所は、彼女がよく知っていた、このヨハネ3:16です。「神は、実にその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

でも、聖書の『愛』とは何でしょうか?昔の戦国時代の頃「御大切」と訳されていました。広辞苑で『御大切(ごたいせつ)』を引くと、『キリシタン用語、愛』と記されています。キリスト教で最も重要な『愛』は宣教師たちによってこう表現されたのです。あなたは、とてもとても大切だということです。。。私たちは、いろんなものを通して、自分は、愛されていて大切であることを確認したいのです。でも、人や、仕事などには限度があるのです。。。生ける神の愛を知る必要があるのです。

先ず、人間の愛ではなく、「神」の愛です。「神は。。。」とあります。人間の愛は、あまりにも弱いです。神は、創り主ですから、その愛は超越した、力強い、真実な愛です。。。長崎の科学者永井隆医師は、生ける神についてこう語りました。「私たちは、神を見ることができないが、神のみ業を見ることが出来る。私は、科学的な実験を通して神のみ業を見ることが出来る。神のみ業を見ることは、素晴らしい喜び!美しい秩序を見ると、神の人間に対する無条件な愛が分かる。神を見る人は、神が太陽を創ったことが分かり、その太陽は、神の愛を私たちに示している。そして、私たちの感謝は、太陽に向かってではなく、神に捧げるのである。」。。「神を見る人は、神が太陽を創ったことが分かり、その太陽は、神の愛を私たちに示している。」生ける神の愛は、創られた人間の弱い愛と違って、超越した、力強い、真実な愛です。造り主の愛だからです。

また、神の愛は「一人子をお与えになったほど」の愛です。奪い取る、要求する、自己中心的な愛ではなく、犠牲的な与える愛です。。。数日でクリスマスです。クリスマスは、この愛を表しています。父なる神が「御子」イエス・キリストを送り、この世に生まれ、私たちの間で住み、奇跡を行い、素晴らしい言葉を語りました。「神を愛し、隣人を愛すように」と。また、神と人を真実に愛さない罪人の私たちの代わりとなって、イエス・キリストは、十字架上で、その罪を負い、裁かれました。命を与えたのです。ここに、神の与える犠牲的な愛があるのです。。。日本のガンジーとも言われた賀川豊彦は、神の愛をこう例えました。「神さまの愛を例えるなら、ちょうど赤ん坊のオムツをとりかえる母親みたいなものだと思うんです。赤ん坊は、オムツがよごれると、自分ではどうすることもできないから、泣いて知らせます。そうすると、母親は夜中でも、すぐ起きてそれをとりかえ、抱いてねむらせます。この母親の姿こそ、ただひたすら我が子を愛し、そのためにすべてをささげる犠牲的な姿であります。」。。母の愛を思うと、神の愛を理解しはじめることが出来ます。神の愛は、犠牲的な十字架の愛です。考えられないほど素晴しい愛です。なぜなら、神にとって、私たちはとても大切な存在なのです。

最後に、神の愛は「永遠」の愛です。後半「一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」私たちの愛は、時間や場所によって限られています。私たちは、忙しくなったり、離れたり、天国に召されたりします。しかし、神の愛は、永遠に続くのです。今も、「御大切」にされ、生きる意義が与えられ、後『死んでも死なない命』与えられるのです。。。神は、将来、新しい天と地を造り、私たちは、キリストによって、そこで神と共に住むのです。聖書にこうあります。「涙をすっかりぬぐい取ってくださる。死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」「あんなに悲しい、こわれた世界だったとは思えないほどの変わりようで、この世界がすばらしく変えられる」のです。永遠の愛です。。。子どもの絵本・ジザスバイブルストーリーにこうあります。「わかるかな。どんなことがあっても、どんなめにあっても、神さまはご自分の子どもたちを愛されるということを。ぜったいあきらめす、いつも、いつまでも愛しつづけてくださるということを。」

神の愛への私たちの返事は、「御子を信じ」仰ぐことです。それだけです。自分中心に進んで来た人生と心の罪を認め悲しみ、イエス・キリストに心を向け、恩方を仰ぐのです。。。明治維新の頃でした。新島八重の旦那さん新島襄の若い頃でした。彼は、漢訳の聖書を、一字一字を追うように読んでいました。英語で読むよりは、はるかに速く、正確に意味を理解できるようになったのです。マタイによる福音書からはじめて、マルコ・ルカを読み進んで行きました。このヨハネによる福音書まで来た時、この有名な言葉ヨハネ3:16に来ました。そして、これから先に進めないほどの感激を覚えたのです。『神はそのひとり子をたまわったほどに、この世を愛してくださった。それは、み子を信じる者が、ひとりも滅びないで、永遠の生命を得るためである。』彼は、聖書をおいて、祈らざるをえなかったのです。「神よ。あなたはこんな私のために、ひとり子をあたえてくださったのですか?救ってくださったのですか?これこそ私の求めていた救いです。主イエスこそ救い主です。」。。私も、あなたも、新島襄のように、イエス・キリストを信じ仰ぎ、神の愛に預かることが出来ます。

君子さんは、素直に、純粋に聖書を信じ、イエス様を仰ぎ見ました。ある時期、結構教会から離れていました。しかし、行いによってではなく、ただ信じることによって、頂く恵みです。。。数週間前、病院で、このヨハネ3:16を言ったら、君子さんも、部分的に一緒に言って下さいました。日曜日、小岩井先生が祈った時に、他何も言えませんでしたが、生後に力強い「アーメン」を聞こえました。確かな信仰を持っていたのです。彼女も「御子(イエス様)を信じ」たのです。

先ほど引用した同じ絵本にこのヨハネ3:16をこう簡単に書いています。『神様は、この世界をどうしようもなく愛しているんだ。だからそのひとりむすこをあたえようと思った。その子のことを信じる人はだれでも、永遠のいのちをもらって、けして死ぬことがないようにね。』天国にいる私の父母、家内の父は、この神の愛に預かったのです。君子さんもそうです。そして、今は、皆んなは、天国で、再会しているのです。。。真実な愛の神様に感謝します。

2018年12月15日土曜日

「宇宙飛行士のクリスマス」創世記1:1 


1968年12月24日のクリスマス・イブ、世界中がテレビで見ていました。当時のアメリカでの史上最も高い視聴率でした。アパロ8号が月を回っていて、宇宙飛行士たちが不思議なことをしていたのです。聖書の創世記1章の最初の10節を読み始めたのです。

宇宙飛行士ウィリアム・アンダーズが先ず、こう言いました。「私たちは、月の日の出に向かっています。そして、アパロ8号の乗員は、地球のすべての人々のための皆様に送りたいメッセージがあります。」で、彼は、創世記1:1−4から読み始めました。

初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。『光よ、あれ。』すると光があった。神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。」

次、宇宙飛行士ジェームス・ロベルが読みました。「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。神は仰せられた。『大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。』神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。」

最後、フランク・ボルマン宇宙飛行士が読みました。「神は仰せられた。『天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。』そのようになった。神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。」

この聖書の箇所は、クリスマスとどう関係あるのでしょうか?先ほど言ったように、クリスマスイブに宇宙飛行士が創世記1:1−10を読んだのです。

その同じ聖書に、こうあります。『クリスマスは、天地宇宙を造られた神が人となられた時である。』ヨハネ1:1「初めに、ことばがあった。(『ことば』はイエス・キリストのことですね。)ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」3節「すべてのものは、この方(ことば、イエス・キリスト)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」14節「ことば(イエス・キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

そうです。あの馬小屋で生まれたのは、造り主でした。造り主自身がこの世の中に来て、私たちの間で住まわれたのです。私たちの過ち、罪、負い目を十字架上で背負い、身代わりとなって裁かれ、死なれたのです。造り主がです。私たちを救うためです。また、命の源である造り主ですから、お墓から復活し、天に昇り、私たちを今も顧みて下さるのです。今も、ここにいて下さいます。私たちを愛し、大切にしてくださいます。

あなたは、あなたの造り主にどう返事しますか?。。1966年66日、宇宙遊泳新記録を作ったユージン・サーナン宇宙飛行士は、こう語りました。「宇宙体験で最も大きかったのは、神の存在を確信したことです。」。。私も、あなたにも、生ける「神の存在を確信し」できます。人となられた造り主イエス・キリストを信じ受け入れるのです。。。このクリスマスを最も幸いな時になることができるのです。

2018年12月7日金曜日

The Gift of Gifts


O Source of all good,

What shall I render to thee for the gift of gifts,
thine own dear Son, begotten, not created,
my Redeemer, proxy, surety, substitute,
his self-emptying incomprehensible,
his infinity of love beyond the heart's grasp.

Herein is wonder of wonders:
he came below to raise me above,
he was born like me that I might become like him.

Herein is love;
when I cannot rise to him he draws near on
wings of grace,
to raise me to himself.

Herein is power;
when Deity and humanity were infinitely apart
he united them in indissoluble unity,
the uncreated and the created.

Herein is wisdom;
when I was undone, with no will to return to him,
and no intellect to devise recovery,
he came, God-incarnate, to save me to the uttermost,
as man to die my death,
to shed satisfying blood on my behalf,
to work out a perfect righteousness for me.

O God, take me in spirit to the watchful shepherds,
and enlarge my mind;
let me hear good tidings of great joy,
and hearing, believe, rejoice, praise, adore,
my conscience bathed in an ocean of repose,
my eyes uplifted to a reconciled Father,
place me with ox, ass, camel, goat,
to look with them upon my Redeemer's face,
and in him account myself delivered from sin;
let me with Simeon clasp the new-born child
to my heart,
embrace him with undying faith,
exulting that he is mine and I am his.

In him thou hast given me so much
that heaven can give no more.


2018年12月6日木曜日

「キリスト教と性」出エジプト記20:14


聖書・出エジプト記 20:14「姦淫してはならない。」マタイ 5:27−30「 『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」


日本のお笑いのテレビであまりにも「不倫」の冗談を聞きます。番組に出る女性達も、あまり喜んでいないような気がします。。。敬虔なクリスチャンでもあるアメリカの元大統領ジミー・カーターは、純粋に「情欲を抱いて女性を見る時がある」と言ったら、メディアがそれ取り上げて、彼をバカにし、何ヶ月もトークショウで笑い者にされました。。。クリントン元大統領のセクス・スキャンダルの頃、多くの方は「関係ないでしょう!プライベートだから。」仕事さえすれば、結婚の誓約を破ったり、奥さんを悲しませたりしても良いのです。。。昔のローマ帝国の頃、多くの場合、妻は、ただ跡取りを残すための手段でした。男性の性的願望は、結婚以外で満たしていたのです。ローマの人々は、色んな不道徳な行動を許していました。キリスト教と対照的でした。クリスチャンは、誠実を主張していました。ロドニー・スタークス博士は、このように言っています。「妻以外は、全てのものを共有する」と教会は言っていました。「妻以外は。」当時、これが女性をキリスト教に引きつけていたのです。性道徳に関しては、妥協はなかったのです。キリスト教は、堕胎、女の子の児童殺害、ほとんどの離婚、児童婚、同性愛を強く非難していました。クリスチャンの夫婦には、子供が多くいて、もっと安定していた家庭でした。男性3分の2のローマ帝国では、教会の3分の2は、女性でした。キリスト教は、女性にとってとてもポピュラーでした。。。聖書は『性』について何を教えているのでしょか?

1。聖書は、結婚以外の性的関係を全て拒否している。文字通り、出エジプト記20:14「姦淫してはならない」のです。ただ二つの言葉だそうです。「姦淫」と「してはならない」。100%ダメなのです。神様は、私たちの生活のあるゆる部分に深い関心を持っています。性を含めて。結婚前の性的関係も、結婚中の夫婦以外の性的関係も、同性愛も、一夫多妻も、禁じています。あなたは、相手と、精神的に、人格的に、社会的に、経済的に、法的に、一心同体になりたくなければ、セックスしてはだめ、と命じているのです。。。マルコ10:19で主イエスは「姦淫してはならない」を「殺してはならない」の先に言っています。この箇所の順番と逆です。私たちの純潔は、命ほど大事だからです。姦淫も、命取りだすからです。

ある人は、体の姦を淫犯していないから、それだけで御言葉に従っていると思っているのです。17節「あなたの隣人の妻を、欲しがってはならない。」マタイ5:27−30で主イエスは、行動だけではなく、心の姦淫を禁じています。28節「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」主は、徹底しているのです。。。例えば、現代では、ポルノも、拒否しているのです。インタネットで、誰にでも知らずに、すぐ見れます。辞めなさい!命取りですよ!。。。マルテン・ルターは、こう言いました。「頭の周りに鳥が飛ぶのを止めることはできないが、でも、髪の毛の中に巣を作るのを止めることはできる。」間違った思いが頭に浮かんでくることは、止められません。が、続けて心に抱くことは、止めなければなりません。

結婚以外の性的関係は、心であっても、極めて危ないです!『自由なセックスは、危険であっても、権利である』と言ってしまう人がいます。でも、妻・夫でない人とセックスすると、性欲にがんじがらめになり、29−30「ゲヘナ」(地獄)までに至る、とあります。「ゲヘナ」は、エルサレムの外にあったゴミ捨て場で、破壊崩壊を意味します。「性」には、すごい力、癒す力、壊す力があるからです。誰かとセックスをすることは、その人と一心同体になることです。心まで力強く影響されるのです。『セックスしたいが、結婚したくない』と思うと、心に対して暴力を犯す、とある人は言いました。結婚内でセックスすると、結婚の誓約、そのコミットメントを繰り返しているのです。結婚意外ですると、コミットメントと誓約を破壊してしまうのです。

「砂糖は、美味しいが、あなたにとって死を意味するよ」と医者は糖尿病患者にいうでしょう。患者は「死んでも良いけど、権利がある!」とは言いません。死ぬまでは、砂糖は欲しくはありません。「じゃー辞めとく」と言います。結婚以外の性は、危険で、命取りで、止めるのです。。。性は、結婚の中で納めるのです。素晴らしいですよ!でも、セクスは、のようなものです。暖炉の中では、美しいし、温まります。でも、火がじゅうたんに広まってしまうと、全部燃えてしまうのです。。。コタツの向こうの座布団に火がつきます。が、こう言うのです。「大丈夫!向こうだから。小さい火だし。」愚かです。NO!自分自らからコントロールしたほうがいいですよ!。。。姦淫は、家族関係、夫婦関係、親子関係、信頼関係、人間関係を損ねてしまいます。夫婦関係で信頼出来なければ、どうやって社会全体で信頼し合おうことできるでしょうか?

2.聖書は、結婚以内の性的関係をとても賞賛している。ある方は、キリスト教を禁欲主義のように見てしまいます。いやいや!。。。もちろん禁じているものはあります。が、性に対する教えは、キリスト教の魅力的な点の一つです。。。宗教改革の前、カトリック教会は、独身状態をあまりにも高くあげました。また、一年の183日は、聖日(聖別された日)にして、夫婦は、性的関係を持ってはならなかったのです。宗教改革は、それをくつがえしました。ピューリタンは、聖書を読み「性は、神のからのプレゼント!素晴らしい!」と言いました。セックスは、聖なるもので、楽しむものです。なぜなら、神様は、性を造ったのです。1テモテ4:4「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」雅歌(がか)は、夫婦の性的愛を歌っているのです。しっかり調べると驚きます。

「姦淫してはならない」を肯定的に見ると、夫と妻という「隣人を自分のように愛する」ということです。エペソ5:33「自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。」結婚式で約束をしています。「幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節(ていせつ、聖さ)を守ることをここに誓います。」気持ちが進まない時も、コミットメントするのです。。。性そのものは、結婚の誓いを新たにし、自分を捧げる特別な行為です。「私は、完全にずっとあなただけのもの」と伝える行為です。セックスする時は、取る時ではなく、与える時です。本当の男は、自己中心に生きるのではなく、性的な罪を克服し、十字架的に、犠牲的に妻のために生きるのです。エペソ5:25「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」。。どうでしょうか?達していますか?。。。

ここまで愛する原動力は、どこからくるのでしょうか?聖アウグスチナスは、こう言いました。「クリスチャンの戦いの中では、一番大変な戦いは、純潔である。なぜなら、毎日終わらない戦いであり、純潔は、あまり勝利しないからだ。」自分自らは、無理です。「頑張りまーす!」はあまりにも足りないです。。。ものの見方を変えなければなりません。

先ず、人を神のように期待しない事。私達は、結婚相手を神にすると、挫折します。人は、神のように期待できないのです。アーネスト・ベッカーは、こう書きました。「われわれが恋愛の相手を神の位置に高めるとき、そもそもいったい、何を望んでいるのだろうか。われわれが望むのは贖いであり、それ以外の何ものでもない。われわれは自分の欠点や自分が無意味だという感情を取り除きたいと思っている。われわれは正当化されることを、つまりわれわれが創造されたのは決して無駄ではなかったことを知りたいと思っているのである。… いうまでもなく、人間の相手ではこれはできない相談である。」 先ず、人には、期待しないのです。神でないからです。

次、神を期待する事。妻や夫を愛し敬う、罪に勝つ最大の秘訣は、栄光の神を、十字架まで行ってくださった神を、心から喜び、崇めることです。トマス・チャルマーズは、こう書きました。「古い自分が恋い慕っている何かを廃棄する唯一の手段は、それを排出できるだけの力を持った新しい存在を手にすることだ。… むしろ、この世界よりも大きな神の愛に自分の心を向けるため、あらゆる合法的な手段を試みよ。」より大きな愛、十字架の愛、主の愛に魅了されるのです。で、妻・夫を大切するのです。

妻・夫を愛しにくい時、性的誘惑と戦う時、生ける神の麗しさを思い、福音とキリストの苦しみを覚えるのです。セックスの欲求と戦う時、神様に行って、神様に魅了されるのです。失敗すると、失望しないのです。誘惑に失敗すると時『主イエスは、誘惑に勝った!』と覚えるのです。そして、主の血潮は、私の罪を覆う恵みを知るのです。私が不真実な時、主は、常に真実なのです。自分の罪を十字架を通して見るのです。この主の恵に生きると、清く保ちやすくなるのです。。。祈りによって、神のあわれみと助けを得るのです。「悪から救ってください!」と。。。罪と縁を切る、主に従う、夫・妻を愛する決意をするのです。。。主の真実な愛に感動すればするほど、夫・妻を愛する原動力が与えられるのです。

あなたの性的欲求を主に委ねるのです。このように言うのです。「主よ、私は、結婚外の性的関係をしません。そして、文句を言いません。感謝します。委ねます。」。。ある王様は、国民にあいに、ある村行きました。『魔法の王』と皆んなは言っていました。道の端にいたある貧しい人が皿を王にだし、待っていました。代わりに、王は貧しい人に『私に何かをくれ』と言いました。驚いた貧しい人は、王に三粒のお米をその手に入れました。王は「ありがとう!」と言って、行きました。貧し人が皿を見たら、金貨三つありました。彼は、こう言いました。「全てを上げたら、よかったなー!」自分の性的欲求を本当に神様に委ねるのです。

独身のあなたに話したいです。ほとんどの人は、独身であっても、結婚してても、不幸せなのです。私ダビデは、とても幸せです。が、それでも、結婚は、心の奥底まで私をあなたを幸せにはできません。そのためにあるのではないのです。。。あなたは、最も美しい人、最もハンサムな人、あなたを完全に愛してくださる人、を探していますか?そんな人はいません。あなたは、神の愛を体験しなければ、人を真実に愛せないのです。神に満足を得ないと、他の人の人生も、自分の人生をもめちゃくちゃにします。。。イエス様のみがあなたを完全に愛してくださるのです。神の愛に魅了されなさい!。。セックスというものは、道しるべです。他のものを指しているのです。指しているお方を仰ぎ見るのです。

花婿は、チャペルの前で待っています。花嫁は、彼に向かって行きます。そして、彼女を見るのです。花婿にとって、彼女は、輝いているのです。。。神様があなたをそのように見ていることを信じ、喜ぶのです。それが分かり始める時、結婚とセクスが変わり始めるのです。神様を期待していると、夫や妻に対する無理な期待をしません。主イエスのみが本当に信頼できるお方ですから。本当に麗しいのは、主イエスのみです。彼の真実な愛のみがあなたを満たします。その愛によって愛するのです。。。詩人ジョージ・エイベアは、神様についてこう書きました。「あなたこそ私の愛するすべて、私の命、私の光、私にとってこの上ない美しさ。」

2018年12月5日水曜日

あなたを最も愛しているのは?


"Jesus Christ knows the worst about you. Nevertheless he's the one who loves you the most." A. W. Tozer

「イエス・キリストは、あなたの最も酷いところを知っている。しかし、あなたを最も愛しているのは彼だ。」A.W. トーザー

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」聖書・ローマ5:8

2018年12月1日土曜日

Adore....


"Legalism lacks the supreme sense of worship. It obeys but it does not adore.” Geerhardus Vos

「律法主義は、礼拝という最高の良識に欠けている。従うが、崇めないのである。」ゲルハルダス・ヴォス

"But the hour is coming, and is now here, when the true worshipers will worship the Father in spirit and truth, for the Father is seeking such people to worship him. God is spirit, and those who worship him must worship in spirit and truth." John 4:23−24

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」聖書・ヨハネ4:23−24