2021年7月9日金曜日

Amazing Grace


Amazing grace, how sweet the sound,

That saved a wretch like me.

I once was lost, but now am found.

Was blind, but now I see.

 

*日本語訳

驚くばかりの恵み、なんと良い音色、

私のような汚れた者を救うとは。

私は迷っていたが、今は見つかった。

私は盲目であったが、今は見える。

 

この「驚くがかりの恵み」は、私たちが最も好んで歌う賛美歌の一つです。英語の題名“アメイジング・グレイズ”「びっくり仰天するような恵み」は、作詞家ジョン・ニュートンの驚きの溜息を反映しています。

ジョンの母親は神(創り主)を信じる敬虔な婦人でしたが、彼が7歳になる前に亡くなりました。少年期の初めごろから彼の反抗心は強くなって非行化し、学校を早々と中退して憧れの船乗りになり、同時に放蕩にふけるようになりました。次々と船を変えた彼は、西アフリカの海岸地方で奴隷を売るという、人間として最低の仕事に手を染めるようになりました。そのうちに奴隷船の船長となり、血も涙もない残忍な男になり果てたのです。

ところが1748年の3月10日に、船でアフリカから英国に帰る途中、大嵐に遭いました。いのちが風前の灯というところまでの危険に追い込まれた彼は、生まれて初めて信仰書を開く気持ちになりました。そして聖霊(神)は、その本に書いてあるメッセージを、やがて彼がキリストを信じて受け入れるための種として、彼の心に植え付けられたのです。

それからしばらくして彼はみごとな回心を経験し、さっそくリバープールの港町で伝道活動を始めました。39歳になると公に伝道者として認められ、英国国教会の牧師に任命されました。

しばしば彼は大きなホールを借り、伝道大会を開きましたが、そのつど多くの群衆が「回心した元船長のあかし」を聞くために集って来たということです。彼は82歳で天に召されましたが、最後まで、彼の生涯を劇的に変えた神の恵みに「びっくり仰天する」のをやめませんでした。死期が近づいたある日、彼は講壇に立ち、大きな声でこのように言ったということです。「私の記憶はほとんど薄れた。しかし、二つのことだけは、はっきり覚えている。その一つは、私が途方もなく大きな罪人であったということ。もう一つは、キリストは途方もなく大きな救い主であるということ」。

Amazing Grace’を聞く時「キリストは途方もなく大きな救い主である」ことを覚えましょう。

 

「神が愛する方(イエス・キリスト)によって私たちに与えて下さった恵みの栄光がほめたたえられるためです。」 聖書 エペソ1:6

 

2021年6月10日木曜日

That Dear Cross of Christ!

 

"Oh, the power, the melting, conquering, transforming power of that dear cross of Christ! My brethren, we have but to abide by the preaching of it, we have but constantly to tell abroad the matchless story, and we may expect to see the most remarkable spiritual results. We need despair of no man now that Jesus has died for sinners. With such a hammer as the doctrine of the cross, the most flinty heart will be broken; and with such a fire as the sweet love of Christ, the most mighty iceberg will be melted. We need never despair for the heathenish or superstitious races of men; if we can but find occasion to bring the doctrine of Christ crucified into contact with their natures, it will yet change them, and Christ will be their king." 

C. H. Spurgeon


2021年5月31日月曜日

「並外れた祈り」使徒の働き4:23−31


先ず、使徒の働き4:23−31を読んでください。


リバイバルによって、主は、私たちが50年でしようとする事を1日でして下さいます、とロイドジョンズ牧師が言いました。主は、私の鈍い心に、この開拓で、キリスト者人口0.5%の日本において、どのようにしてリバイバルを下さるのでしょうか?私達は、いろんな手段を使えます。しかし、祈りは、神の最も尊い手段の一つです。日曜日は、ペンテコステでしたが、御霊の働きのために祈るのです。

 

誤解はよくあるようですが、リバイバルとは何でしょうか?あるクリスチャンは、リバイバルを避けるだけではなく、『無い』と言います。他は、一種の伝道集会である、と言います。ある方は、『計画して、これをやったら、あれをやったら、リバイバルが起こる』と言います。あるクリスチャンは『リバイバルは、主に奇跡や、異言や、癒しだ』と言います。全てに『ノー!否。違います』。。。リバイバルは、恵みによって不思議に与える尊い神の臨在そのものとその素晴らしい体験です。。。神は、唯一で、また全てのものと区別出来ます。が、同時に、どこにでもいらっしゃいます。神の偏在と言います。私の存在は、今ここにあります。あなたは、私を見て聞くことが出来ます。しかし、メッセージの後、私があなたに近よって、一緒に座って、向かい合って話し、深く分かち合える事が出来ます。リバイバルは、神御自身を、その臨在を特別に極めて親しく下さる時です。

 

使徒の働き4:23の前半「釈放された」とあります。初代教会は、はじめから迫害されていました。。。日本の教会の歴史は、迫害の歴史でもあります。今でも「ソフトな迫害」があるのです。確かに「出る釘は打たれる」のです。今の日本の教会も、激しい向かい風に苦しんで、大変です。たった200人に1人がクリスチャンです。。。どうしたら良いのでしょうか?多くのお金を使う?新しい方法・手段?伝道集会?有名な人の証し?。。。今日の箇所のように、先ず「並外れた祈り」をするのです。。。Bother God until he brings his presence down.”「神御自身の臨在が下ってくるまで、神をわずらわせなさい」とある牧師は言いました。神様に愛されている子供として、しつこく神に御自身の尊い臨在を願うのです。「あなたご自身を慕い求めます!」と。

 

23節「ふたり(ペテロとヨハネ)は、仲間のところへ行った」とあります。教会の皆んなに「残らず報告した。」この使徒の2人は、いわゆる「プロ」の他の使徒に相談しに行ったのではなく、教会の皆に話し、皆と一緒に祈ったのです。。。キリスト教は、プロに任せる集団ではなく、皆で祈り動くグループです。これは、宗教改革の言葉で「万人祭司」と言います。一人一人がイエスの御名によって直接神に祈り、一人一人に賜物があって奉仕伝道出来るのです。「菅原先生、菅原先生」と言わずに、先ず、直接神に祈るのです。。。また、この箇所のように、皆で祈るのです。。。明治維新の頃1858年9月、6人のビジネスマンが、ニューヨークのマンハッタンで、祈りはじめました。1年たったら、1万人のビジネスマンが「神様が尋ねて下さるように」と祈っていました。彼らは「プロ」ではなかったです。あなたも、皆で、イエスの御名によって、祈れます。並外れた祈りを共にするのです。。。24節 、迫害の報告「を聞いた人々は」自分の皆の弱さを感じながら、一番大事な事をしたのです。神に祈ったのです。「みな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。」牧師や互いに相談する事も良い事ですが、先ず、神と相談する事が一番です。

 

今の日本の教会に「並外れた祈り」が必要です。「リバイバル(福音の刷新)の究極的な源は聖霊である一方、その聖霊は通常、複数の『効果的』あるいは補助的な手段を用いてリバイバルを起こす」のです。その極めて大事な手段の一つは「並外れた祈り」です。

 

1。2428、並外れた祈りは、神を讃える事からはじまります。24節「『主よ。』」29節「『主よ。』」と、言って、先ず、神中心に祈りました。「祈っている人の数ではなく、祈りの性質が重要」なのです。先ず、神を知り、御顔を仰ぎ、その栄光を実感したいという飢え渇きの祈りが必要です。。。注意してください!『主権者なる主、全てを治める主』に祈ったのです。リバイバルは、人間が策略によって起こすものではなく、神の主権による、神が与えるプレゼントです。人間の作力や計画で起こすものではないです。しかし、リバイバルが起こるように全てを治める神に切実に祈り讃えています。。。次に、24節後半神の力を告白したのです。聖書のはじめ、天地創造から、祈り讃えます。24節後半「『あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。』」神の全能性が告白されています。。。どんなに日本は、伝道の困難な国であっても、主は、御心のままに、何でもお出来に成る方なのです。天地を造られたのなら、日本にリバイバルを起こす事は「朝飯前」です。で、力に満ちている方に並外れた祈りをするのです。。。天に召さらたロイド・ジョーンズ牧師の祈りは、極めて神中心であることで有名でした。礼拝でこう祈りました。「全能なる、永遠に誉め讃えられるべき神よ、あなたの聖なる御前で続け祈ります。神よ、あなた様に続けて感謝し、御名を賛美するために来ています。。。」「全能なる」神の主権と力を覚えて讃え祈るのです。

 

そして、2526神の御言葉聖書に満ちた祈りです。天地創造に触れ、さらに後の旧約聖書の予言が引用されています。25節「『あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。』」これは、詩編2編の引用です。聖書を信じて、聖書に基づいて祈るのです。聖書そのものも祈っても良いと思います。自分の言葉にも変えたりして。。20世紀の初め頃、韓国は、日本の植民地であって、仏教と儒教の支配下ありました。教会は、とても小さくて、暗かったです。すごい迫害にあったのです。それで、幾人かの宣教師が聖書の学びと祈りのために、数人の韓国の牧師を呼び集めました。その一週間に素晴らしいリバイバルが下されました。その後、韓国の教会は、のびのびと成長しました。でも、祈りとともに、聖書の学びがあったのです。御言葉による祈りがとても大事です。

 

韓国のリバイバルの時、悔い改めも大事な要素でした。こう書いてあります。「祈りが続くと、罪の重さと悲しみが会衆の上に降った。片側から、誰かが泣き叫びはじめました。すぐに、会衆全てが泣き叫んでいたのです。」悔い改めの祈りです。リバイバルには、悔い改めという大事な要素があります。先ず、神である聖霊は、教会に深い罪意識を与えます。罪を告白し、自分たちを謙せる恵みを求め祈り始めるのです。

 

でも、続けて、2528「あなたの聖なるしもべイエス」と祈ったのです。キリスト中心の祈りです2728「ポンテオ・ピラトは、異邦人、といっしょに、イエスに逆らってこの都に集まり」キリストを十字架につけました。でも、28節、神の意図した計画は、キリストの苦しみによって、私たちを救う事でした。。。ロイド・ジョンズ牧師は、こう語りました。「リバイバルは、何よりも、神の子、主イエス・キリストの栄光が讃えられることであります。キリストを教会の生活(life、 生命)の中心に回復させる事であります。」深い悔い改めが与えられ、全てにおいて、キリスト御自身、福音そのものが回復されるのです。恵みを中心とする福音を失ってしまっている状態を回復するように、祈るのです。

 

アメリカ東海岸で牧会していたジョナタン・エドワーズは、若い頃のリバイバルの体験をこのように語りました。「ある日、私は、黙想するために、父の牧草地で歩いて、祈りはじめました。そして、私の心の中に、言葉で表せない、神の栄光の恵みのここちよい実感が来ました。私は、突然、両方を心地よい結びつきで見る事が出来ました。神の威厳と神の柔和さが共に結ばれていました。それは、畏敬のある心地よさであり、柔和な畏敬であり、聖なる柔和さであったのです。」エドワーズは、神ご自身、キリストご自身を体験したのです。。。先ず、先ず、御名が崇められるように祈るのです。

 

2.2930、並外れた祈りは、切実なる願いへと移ります。先ず、私たちは、神を崇めるのです。そして、単純に願うのです。29節「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になって」下さい。正直に、祈るのです。。。でも、その願いは、自分の必要から、人の救いへと移るのです。29節後半「『みことばを大胆に語らせてください。』」彼らは、弱さを感じながらも、けして引き込もらず、御国の前進のために、「大胆」な伝道のために、祈ったのです。。。私たちも、教会の成長と失われた人たちへの伝道の熱意と愛が与えられるように願い祈らなければなりません。このように「並外れた祈り」をするのです。

 

私たちは「並外れた祈り」を完全に無視していないでしょうか?聖霊の力を忘れていないでしょうか?自分と自分の働きを中心にしちゃっているのではないでしょうか?あなたは、リバイバルが起こされ、天の窓が開かれ、御霊が注がれるように、神に祈ったことありますか?私たちは、一番効果的なものを忘れていませんか?もちろん、いろんな試みのために祈って下さい。牧師・宣教師、日曜日のメッセージ、各教会組織、伝道集会のために祈って下さい。でも、教会や個人のニーズのためだけではなく、それ以上に、リバイバルの為に切実に祈り願うのです。聖霊様が注がれ『みことばを大胆に語らせてください』と祈るのです。

 

最後に、3137、並外れた祈りは、素晴しい結果をもたらします。最後に31節、「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震(ふる)い動い」たのです。「一同は聖霊に満たされ」たのです。神の臨在です!!!そして「神のことばを大胆に語りだした」のです。キリスト者が真剣に祈り、リバイバルが起こされる時、大胆な伝道が行われます。。。さらに、32節「心と思いを一つに」されたのです。また、33後半、「大きな恵みがそのすべての者の上にあった」から、34節「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」のです。体のニーズまで。。。1700年代の前半、イギリスに大覚醒(だいかくせい)が神によって起こされました。その頃、イギリスの「無血革命」は、フランス革命のように、血が流されなかったのです。フランスの貧しい人々の間では、富裕層にたいする憎しみが多くて、その結果、多くの血が流されたのです。が、イギリスでは、キリストの福音が貧しい大衆の間に広まって行って、心にある憎しみが少なかったのです。貧しい方々のニーズもケアされたのです。社会が守られ、祝福されたのです。リババルによって素晴しい社会的結果もあるのです。

 

主に祈る時、主の素晴しさに応じて結果を下さると信じています。。。1700頃、アメリカ西海岸の牧師コットン・マーサーは、自分の命の短さを感じたのでしょうか、彼は、晩年最後の400日、毎朝起きて、その一日中を祈りに徹しました。でも、それで終わらなかったのです。神が素晴しく尋ねるようにと、彼は、祈りのセルグループをいっぱい作りはじめました。その結果素晴しいリバイバルが世界中に広がった、と言われています。「並外れた祈り」です。。。祈りましょう。リバイバルのために、神の尊い福音と恵みが真に回復されるように、祈りましょう。尊い神の臨在がこの開拓においても不思議に与えられるように祈りましょう。日本中に、神ご自身と、その栄光、その恵みが素晴らしく体験されるように、祈りましょう。今!

2021年5月27日木曜日

「主を体験する」リバイバルについて、エペソ1:15−23、3:14−19


先ず、エペソ1:15−23 、3:14−19を読んでください。


私はしばしば、自分の心の硬さ、鈍さ、冷たさを感じます。あなたも「この今の自分で良いのか?」と疑問に思ったことはありませんか?「罪赦されて、天国に行ける。が、今も、もっともっと主とその恵みを体験したい。多くの方に主の栄光と愛を喜んで欲しい!」これがキリスト者の切実なる願いではないでしょうか?

 

エペソの教会の兄弟姉妹には、1:15、イエス様に対する「信仰」と兄弟姉妹への「愛」は、確かにあったのです。それでも、パウロは、御霊によるさらなる恵みを彼らのために祈るのです。「主を深く体験する」ように。… 1:17、19「知る」、3:18「理解する」という似た言葉が繰り返されています。この「知る」は、頭に詰め込む知識の事ではなく、体験し実感する、直接親しく知る、という意味があります。3:18の「理解する」は、驚くほど掴み取る、と言う意味です。よりより認識し目覚めると言う意味もあります。私たちは、教義を知る必要もあるし、従順に従う必要もあります。でも、ただ頭で知り従うだけではなく、心の奥底まで神ご自身とその恵みに感動するように、この両箇所でパウロは祈っています。… この恵みは、特別なクリスチャンだけの体験ではなく、1:18全ての「聖徒」、19節「信じる者」、3:18「すべての聖徒」誰でもが体験できる恵みです。私も、あなたも。

 

1。1:17、神ご自身を知る。私たちは、知識において、神を知って、信じています。でも、ここでは、ただ学問的に「神について」知るように祈っていません。すでに信じ受け入れている素晴しい神御自身を直接実感できるように、祈っています。17節後半「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなた方に与えてくださいますように。」

 

ブレーズ・パスカルの体験を引用することによって説明する事ができます。「恵みの年1654年、11月23日月曜日、・・・夜10:30を過ぎたあたりから深夜12:00頃、炎。哲学者や学者の神ではなく、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。確信と、心からの喜び、平安。イエス・キリストの神。イエス・キリストの神。『私の神、そしてあなたの神。』・・・喜び、喜び、喜び、喜びの涙・・・イエス・キリスト。イエス・キリスト。」。。このようにパスカルは、神を体験したのです。あなたも、私も、出来ます。その為に祈りましょう。

 

2。1:18、キリストにある遺産を知る。ここでは、「聖徒の受け継ぐもの」とあります。霊的財産を知るように祈っています。文脈を読むと、私たちの遺産は、5節「子」であること、11節「御国」などです。2:6、王子として「天の所にすわらせてくださいました。」この遺産は、すでに私たちのものですが、その遺産をあまり活用していないような気がします。霊的遺産を実感するように祈りましょう。その体験によって遺産を活かしましょう。

 

例えば、ある女の子の孤児が、ある女性と出会います。その女性は『あなたを養子にしましょう』と言います。女の子は、理屈などを言って「どのくらいの財産があるか?」とは聞きません。ただふところに飛び込みます。母親となった女性は、金持ちだとしましょう。娘となった女の子の小さい頃は、お金は、どうでもいいのです。でも、成人したら、母親は、財産について知って欲しいのです。「心を備えて下さい。あなたの財産は、100億円となります。あなたには、これによって、すごい影響力を与え、人を助けられます。」私たちも、キリストにある素晴らしい遺産を深く理解する必要があるのです。。。でも、100億円が銀行に口座にあっても、引き下ろして、使わなければ、意味ないのです。でも、活用したら、教育、服、家、車、生活、活動、慈善が全て変わるのです。私たちは、キリストにあって考えられないほど霊的に富んでいます。本当に!でも、神様からの遺産をただ持っていることと、実感し、活用することとは全然違うのです。。。キリストにある遺産を実感できるように、どうするのでしょうか?心が爆発するまで、神の「相続人」であることを瞑想し、心から祈る必要があるのです。エペソ1:3後半「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」

 

3。1:1923、神の力を知る。神の信じられないような力がすでに私たちの内に働いているのです。20節、キリストの復活と栄光などの力です。「キリストを死者の中からよみがえらせた」力です。さらに、さらに22節、「いっさいのものをキリストの足の下に従わせた」力です。… この力が過去私たちを神の子どもにし、今キリストの似姿に変え、将来主イエスの身元まで連れて行って下さるのです。この力をとことん実感するように、とパウロは、祈っています。私たちも、祈るのです。

 

ある方がハイキングをしていると、野原の向こうに家があるのが見えました。家の横には、男の人が激しく手動の井戸から水を汲んでいるような光景が見えました。その男は、ものすごい勢いで、まるで疲れを知らないかのように、上下にポンプを押し続けていました。本当に驚くべき光景なので、その人は、その井戸のほうへと近づいていきました。近づくにつれて、井戸のところにいるのは、男ではなく、男性に見えるように描かれた、木でできた人の形でした。猛スペードで水を汲んでいたと見える腕は、ひじとちょうつがいで繋がっていて、手は針金で井戸の取っ手に繋がっていました。水が溢れ出ていたのは、その木でできた人形によるのではあなく、それは掘り抜き井戸で、水がポンプなしでも地上に湧き出てくるのでした。力強く湧き出てくる水が、その人形を動かしていたのです。… 神の力は、キリストに出会った前から、すでに私たちの内に力強く素晴らしく働いているのです。私たちは、これを深く認識し、「私たちの手を井戸の取っ手に置いておく」のです。祈りを通して、この力をより捕らえ、御業に驚くのです。

 

4。3:1617前半、キリストの臨在を知る。「キリストが … 心のうちに住んでいてくださいますように」とあります。これは「キリストの臨在」を意味しています。キリストは、常に一緒に、また心にいて下さる、と聖書に書いてあります。が、それを本当に実感しているでしょうか?主の臨在を体験できるように、祈りましょう。

 

アメリカの牧師ヨナタン・エドワーズが自分の体験についてこう書いています。「1737年、ある日、森の中で馬に乗っていた。静かなところで、馬を下りた。私は、この習慣を普通にしていて、歩きながら神について瞑想し、祈っていた。私は、神と人との間の素晴しい仲介者御子なる神の栄光を見た。彼の素晴しい、偉大な、満ち足りている、清いまた尊い恵みと愛、また謙遜と柔和な謙りを。この恵は、とても静かに心地良く現れ、天より高く偉大なものとして現れた。人としてのキリストは、全ての思いと考えを飲み込むような、言葉で言い表せないほど素晴しい方として現れた。これは、判断出来る限りだいたい1時間続いた。この多くの時間、涙が溢れ、大きな声で泣いた。私の魂が熱心になるのを感じた。他の言葉で言えないが、私は、空にされ、絶やされた気がした。何もない者とされて、ただキリストで満たされた。聖なる清い愛で彼を愛すること。彼に頼ること。彼によって生きること。彼に仕え、従うこと。天からの神の聖さで完全に聖別され、清くされること。私は、他の何回も、似たようなことを実感し、似たような効果もあった。」… 主は、近くに、心にいます。主の臨在を更に実感して、祈り、御前に歩みましょう。

 

5。3:17後半19前半、キリストの素晴らしい愛を知る。私たちは、皆、愛に飢え、人の賞賛が欲しいのです。でも、17節後半、私たちは、すでにキリストの「愛に根ざし、愛に基礎を置かれてい」ます。神の愛を頭で知っていますが、私たちは、その圧倒的な素晴しさを心で味わっていないのではないでしょうか?どのくらいの素晴らしさですか?18節後半「その広さ、長さ、高さ、深さ … 人知をはるかに越え」る愛です。この愛を掴み、捕らえたくはありませんか?実感できるように、祈りましょう。

 

ニューヨークでD.L.ムーティーは、このような体験をしました。「突然神は、忘れられないようなふうに下って来ました。(神の)愛があまりにも心に注がれて『止(と)めて下さい』と言わなければなりませんでした。」 … ジョージ・ウィットフィルドは、ある夜祈る時、神の愛の注ぎをあまりにも体験し、眠れなかったことで「主よ、止めて下さい。眠れないです」と言わなければなりませんでした。… ロンドンのC.H.スポルジョンは、神の愛についてこう書いています。「ある時、神の愛をあまりにも強く体験し、耐えられなかったから、その喜びを止めるように、お願いしなければならなかった。」・・・スペインのアビラのテレサは、こう書きました。「私は、彼の愛に当惑し、酔ってしまいました。私の魂は、叫び、戸惑いました。こんな喜びには、耐えられませんでした。」… 違う時代、文化、性格、伝統の方々が同じキリストの愛に圧倒され、「止めて下さい」まで言わなければならなかったのです。… キリストの愛について御言葉によって瞑想し、深く体験できるように祈りましょう。

 

6。19後半、神のあらゆる素晴らしさを知る。キリスト者は、神のあらゆる属性・特徴を体験し、3:19後半「満たされ」たいのです。

 

主とその属性を体験することは、北アルプス山脈を登ることと似ています。日本アルプスの北穂高、涸沢、槍などを登っているのです。19節後半が3,190メートルの奥穂高の最高峰です。… 他の神の属性を含めて、神の栄光、真実さ、聖さ、義(正しさ)、善、知識、知恵、美、喜び、平安、忍耐、親切、謙遜も、味わうのです。。。この神の属性をダイヤに例えられます。ダイヤには、いろんな面があります。ダイヤを回すと、それが光ったりして、ダイヤを違った角度から見たりすることが出来ます。神の栄光、キリストのあらゆる「美」を見て圧倒され、喜び、体験し、満たされるのです。体験したことありますか?そのために祈りましょう。

 

どのようにして神を体験するのでしょうか??今日は、ペンテコステですが、1:17、3:16「御霊」の力によってです。神の主権、摂理と恵みによって、神の側から与えられる体験です。。。でも、私たちの側からは「神との交わり」がカギです。ある先生は、こう言いました。「私たちは、主が歩む道の近くにテントを貼る必要があるのです。」聖書を味わい、この真理について瞑想するのです。十字架に架かれた私たちを愛するキリストを崇めるのです。そして『この真理をとことん知って、神との関係、妻、夫、子供、親、同僚、友達との関係は、どう変わるのだろうか?』と自分に問いかけるのです。。。また、この箇所のように祈るのです。「神とこの恵みを体験させて下さい」と。私は、この両箇所を用いて、さらに目が開かれるように、リバイバルのために常に祈っています。。。私たちは、自らリバイバルを起こすことはできません。それは、神の働きです。しかし、福音化のリニューアルは、可能です。福音の回復によって、新たにされるように努力はできます。恵のキリストの「近くにテントを貼る」のです。

 

北海道大学のクラーク博士は、こう言いました。「青年よ、キリストにあって、この老人の如く、大志を抱け!」私たちが慕い求め願っているものは、あまりにも小さいのではないでしょうか?今日の箇所のような素晴しい恵みがあるのです。天地を造られた生ける神、その属性、キリストの臨在、愛、力、遺産をより認識し、体験出来るのです。この恩方を志すほど素晴しいものはないです。この福音が私たち自身を劇的に変え、日本を本当の意味で祝福するのです。そのために、御霊の働きの為に祈りましょう。


2021年5月11日火曜日

ローマ8:15―39「福音によるコロナ対策」

 

先ずローマ8:15−39を読んでください。


詩篇に何回もこう書いてあります。主よ、いつまでなのですか?」私たちの叫びでもあるのではないでしょうか?コロナ禍が少し落ち着いているような気はしました。が、コロナは、変異したりして、また増えています。また、まだまだ先が見えません。人との接触は限られて、教会は思うように集まれない、ある方の仕事が無くなったりしています。主よ、いつまでなのですか?」と叫びます。

 

ローマ8章の「うめき」は、コロナ禍だけではないです。が、コロナを含めています。22節「被造物全体が、… 共にうめき共に産みの苦しみを続けている。」23節「私たち自身、心の内でうめ」いているのです。自然界だけではなく、私たちクリスチャンも、霊的にも、心理的にも、肉体的にも「うめいている」のです。。。「被造物全体」また「私たち自身」の「うめき」に対して、神は、どのような助けを用意しているでしょうか?ローマ書の大事なポイントの『福音の力』は、コロナ禍にももちろん及ぶのです。この箇所では、少なくても6つの助けがある、と私は思うのです。

 

1.1517、生ける神は、すでに私たちを神の子にしているのです。15節「子たる身分」、16節「神の子」、17節「もし子であれば、相続人でもある。キリストと共同の相続人なのである。」パウロは、御霊によって、重ね重ね言っているのです。「恵みによって、主イエスとその贖いを信じ仰ぐことによって、あなたは、神様の子供だよ!それだけではなく、相続人だよ!どんな試練、苦しみ、コロナ禍にあっても変わらないよ!」。。。「神の子」と「相続人」の私達に素晴らしい特権があるのです。15節後半「わたしたちは「アバ、父よ」と呼べる」のです。キリストの御名によって、天地宇宙を創った天の父に「助けて!」と叫べるのです。でもまた「崇めす!」と、苦しみの中にあっても、讃えられるのです。。。私たちは、コロナ禍の中で、神の子であることをよりより認識し、その身分を活用し、祈りたいものです。

 

ステイーブン・チルダーズ先生は、こう書いています。「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束をし、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」

 

2.1825、生ける神は、栄光の希望を用意しているのです。18節「やがてわたしたちに現されようとする栄光」を私たちは待ち望んでいるのです。19節、「被造物は、待ち望んでいる」が、23節、「それだけではなく、わたしたち自身も、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」のです。24節「わたしたちは、この望みによって救われているのである。」25節「わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。」。。今は、コロナを含めて、苦難が多いですが、「栄光」が待っているのです。神の栄光を目の当たりにして、預かる時が必ず来るのです。その時には、コロナも、死も、涙も、悩みも、病気も、苦しみも、いっさい無いのです。その栄光を期待しましょう。

 

ある二人の方が一人ずつ小さなヘアで、小さなつまらない機会を作っていました。ある日、二人の食事の間、一人は、顔をしかめて、こう言いました。「君は、よくもそんなに楽しそうにそんなつまらないものを作れるね。」もう一人は「いやいや、マジで楽しんでるよ。」実は、一人には、一年に100万円しか約束されていませんでした。でも、楽しく作業していたもう一人には、年に一億円が約束されていたのです。彼には、とても期待できるものが待っていたのです。。。今は、いろんな理由で大変です。コロナも含めて。でも「栄光」が待っているのです。天国、新天新地が待っているのです。私たちを十字架上で贖って復活された恩方が待っているのです。私たちが真の栄光に預かるのです。この栄光が待っているから、『今か』と『今か』とクビとを長くして、涙と共に喜びを持って、期待できるのです。

 

3.2627、生ける神である聖霊様が助け、とりなしてくださるのです。26節「御霊も弱いわたしを助けて下さる」のです。後半「とりなして下さる」のです。「わたしたちはどう祈ったらよいかわからない」時があるのです。聖霊様が、23節「私たちの心の内のうめき」を26節後半「言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのために(代わりに)とりなして(祈って)下さる」のです。聖霊様は、27節、私たちの心を探り知って、「神の御旨にかなうとりなしをして下さる」のです。。。「鬼に金棒」と言ったら失礼でしょうか?コロナ禍の中で聖霊様は、最高の助けで、慰め主です。

 

日本を含める全世界がコロナ禍になって、はじめ私は、どう祈るべきか分かりませんでした。人は、あまりにも苦しんで、死んでいくから、「助けて!」と祈って、ただ肉体的な助けを求め、コロナが無くなるように祈るべきか?それとも、本当の問題、神との断絶、があるから、生ける神が誉め讃え伝えられ、教会、日本、全世界が神に立ち返るように、祈るべきなのか?結局、主の祈りにあるように、両方を祈りました。「御名があがめられますように。悪より救いだしてください。」。。コロナ以外にも、他の十分の問題もあるでしょう。人間関係、仕事、子育て、勉強、結婚。どう祈るべきか分からない時に、聖霊様が代わりにとりなしてくださるのです。霊様に任せて、心にあるものを何でも祈れるのです。。。

 

4.28−30、生ける神は、全てを益として下さるのです。有名な箇所ですね。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。「全てのこと」は、コロナヴィルスを含めます。悪やコロナ自体が「益」でしょうか?いいえ。でも、神は「悪」を「善」に変えるのです。バッドをグッドに変えるのです。。。なぜなら、最高に良いものは、すでに「定めて」あるからです。29節、確かに試練が多くあります。が、私たちが「御子のかたちに似たもの」となる「栄光」がもうすでに「定めて」あるのです。過程は、確かです。30節「あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」「栄光を与えて下さった」の過去形のように、未来の栄光は、確かです。。。栄光は、確かですから、どんな悪でであっても、コロナ、自分の罪でさえも、将来の「栄光」を止めることはできないのです。全て益と成るのです。

 

20年ほど前、奈帆と私は、小さい子供3人を抱えて、アメリカに行きました。ある面でとても愚かな決断でした。仕事が見つからず、教会との関係はうまく行かず、自分の命までとりたかったのです。結局、シッポを巻いて日本に帰ってきました。しかし、神は、その時に、大事なことを教えてくださいました。私は、すでに、29節のように、福音によってキリストの似姿に変えられるように、祈っていました。それで、主は、アメリカの試練を通して、私を低くしてくださいました。その試練を通して「万事を益」として下さったのです。下さっているのです。。。神様は、先ず、私たちのハッピーネス(幸せ)ではなく、先ず、私たちのホーリネス(聖さ)を大事にします。キリストに似る聖さが私たちのハッピーネスで「益」です。。。今コロナ禍を通して、私たちをキリストの似姿に変えているのです。最高です!感謝です!

 

5.3134、生ける神は、完全に味方であるのです。31節「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」コロナ禍の中でも、大丈夫です。32節と34節に『ため』という言葉は、2回書いてあります。32節「わたしたちすべての者のために死に渡された」から、備えられるのです。34節「死んで、否、よみがえって、神の右に座している」イエス様自身が「わたしたちのためにとりなして下さる」のです。キリストご自身があなたのために祈っているのです。”God is for you.“ 神は、あなたの味方です。三位一体なる神は、あなたの味方です。

 

私の高校一年の頃でした。東京東久留米にあるクリスチャンアカデミーの高校生達がイベントとして毎年のように豊島園に遊びに行きました。ちょうどその帰りに起こりました。4年生は、突然、1年生を捕まえ、噴水に投げ込みました。実は、これは、高校に入るいたずらの入門でした。でも、不思議に私は投げ込まれませんでした。なぜなら、私と同じTEAMの寮の兄貴たちが「彼はダメだ!彼を投げ込むな!」と止めました。他の同級生の男の子を投げ込んだのに。先輩が僕の味方だったのです。気持ち良かったですよ!。。。じっと考えてください。人間の味方以上に、父なる神が、御子が、聖霊様が、三位一体なる唯一の神が、あなたの味方なのです。このコロナ禍にあって特にそうです。見守られています。

 

6.3539、生ける神の愛から引き離されることはないのです。35節「誰が、キリストの愛からわたしたちを引き離すのか。患難か、苦悩か」コロナ禍?39節「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

 

私は、辛い試練を通る時、神の愛を疑います。でも、ここでは、どんな試練にあっても、死であっても、「神の愛から引き離すものはない」と約束しています。。。16世紀のピューリタン、ジョン・オーエンはこう言いました。「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」それに対してナビゲターズのジェーリー・ブリジェズ師がこう書いています。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことであるとオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」。。また「もし神の愛を理解したいのなら、先ず十字架を見なさい」とブリジェズ師が続けて言っています。十字架上で主イエスが私たちの代わりに天の父から「引き離さ」れたのです。キリストが十字架上で見捨てられたのは、私たちがけして見捨てられ、引き離されないためです。逆に、受け入れられるためです。真実な絶えないキリストの愛に預かっているのです。このコロナ禍にあっても、変わらないのです。

 

6つの確かな「助け」を思い巡らしました。それによって活かされ活きることによって、私たちは、コロナなどの「うめき、ともに産みの苦しみ」に対して、神に助けられ、神と共に前進出来るのです。37節「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」


2021年5月1日土曜日

あなたのただ一つの慰めは何ですか?


問1 生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?

答 わたしのからだも魂も、生きる時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです。このお方は、ご自分の貴い血によって、わたしのすべての罪の代償を、完全に支払って下さいました。そしてわたしを、悪魔のすべての力から、救い出し、今も守って下さいますから、天にいらっしゃいます、わたしの御父のみこころによらないでは、わたしの頭からは、一本の髪の毛も落ちることはありません。そればかりか、すべての事が、わたしの祝福に役立つに違いないのです。そのため、主は、その聖霊によっても、わたしに永遠の生命を与えることを約束してくださり、これからは、わたしが、心から喜んで、主のために生きることができるようにして下さるのです。 


ハイデルベルク信仰問答より