先ず、使徒の働き4:23−31を読んでください。
リバイバルによって、主は、私たちが50年でしようとする事を1日でして下さいます、とロイドジョンズ牧師が言いました。主は、私の鈍い心に、この開拓で、キリスト者人口0.5%の日本において、どのようにしてリバイバルを下さるのでしょうか?私達は、いろんな手段を使えます。しかし、祈りは、神の最も尊い手段の一つです。日曜日は、ペンテコステでしたが、御霊の働きのために祈るのです。
誤解はよくあるようですが、リバイバルとは何でしょうか?あるクリスチャンは、リバイバルを避けるだけではなく、『無い』と言います。他は、一種の伝道集会である、と言います。ある方は、『計画して、これをやったら、あれをやったら、リバイバルが起こる』と言います。あるクリスチャンは『リバイバルは、主に奇跡や、異言や、癒しだ』と言います。全てに『ノー!否。違います』。。。リバイバルは、恵みによって不思議に与える尊い神の臨在そのものとその素晴らしい体験です。。。神は、唯一で、また全てのものと区別出来ます。が、同時に、どこにでもいらっしゃいます。神の偏在と言います。私の存在は、今ここにあります。あなたは、私を見て聞くことが出来ます。しかし、メッセージの後、私があなたに近よって、一緒に座って、向かい合って話し、深く分かち合える事が出来ます。リバイバルは、神御自身を、その臨在を特別に極めて親しく下さる時です。
使徒の働き4:23の前半「釈放された」とあります。初代教会は、はじめから迫害されていました。。。日本の教会の歴史は、迫害の歴史でもあります。今でも「ソフトな迫害」があるのです。確かに「出る釘は打たれる」のです。今の日本の教会も、激しい向かい風に苦しんで、大変です。たった200人に1人がクリスチャンです。。。どうしたら良いのでしょうか?多くのお金を使う?新しい方法・手段?伝道集会?有名な人の証し?。。。今日の箇所のように、先ず「並外れた祈り」をするのです。。。”Bother God until he brings his presence down.”「神御自身の臨在が下ってくるまで、神をわずらわせなさい」とある牧師は言いました。神様に愛されている子供として、しつこく神に御自身の尊い臨在を願うのです。「あなたご自身を慕い求めます!」と。
23節「ふたり(ペテロとヨハネ)は、仲間のところへ行った」とあります。教会の皆んなに「残らず報告した。」この使徒の2人は、いわゆる「プロ」の他の使徒に相談しに行ったのではなく、教会の皆に話し、皆と一緒に祈ったのです。。。キリスト教は、プロに任せる集団ではなく、皆で祈り動くグループです。これは、宗教改革の言葉で「万人祭司」と言います。一人一人がイエスの御名によって直接神に祈り、一人一人に賜物があって奉仕伝道出来るのです。「菅原先生、菅原先生」と言わずに、先ず、直接神に祈るのです。。。また、この箇所のように、皆で祈るのです。。。明治維新の頃1858年9月、6人のビジネスマンが、ニューヨークのマンハッタンで、祈りはじめました。1年たったら、1万人のビジネスマンが「神様が尋ねて下さるように」と祈っていました。彼らは「プロ」ではなかったです。あなたも、皆で、イエスの御名によって、祈れます。並外れた祈りを共にするのです。。。24節 、迫害の報告「を聞いた人々は」自分の皆の弱さを感じながら、一番大事な事をしたのです。神に祈ったのです。「みな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。」牧師や互いに相談する事も良い事ですが、先ず、神と相談する事が一番です。
今の日本の教会に「並外れた祈り」が必要です。「リバイバル(福音の刷新)の究極的な源は聖霊である一方、その聖霊は通常、複数の『効果的』あるいは補助的な手段を用いてリバイバルを起こす」のです。その極めて大事な手段の一つは「並外れた祈り」です。
1。24−28、並外れた祈りは、神を讃える事からはじまります。24節「『主よ。』」29節「『主よ。』」と、言って、先ず、神中心に祈りました。「祈っている人の数ではなく、祈りの性質が重要」なのです。先ず、神を知り、御顔を仰ぎ、その栄光を実感したいという飢え渇きの祈りが必要です。。。注意してください!『主権者なる主、全てを治める主』に祈ったのです。リバイバルは、人間が策略によって起こすものではなく、神の主権による、神が与えるプレゼントです。人間の作力や計画で起こすものではないです。しかし、リバイバルが起こるように全てを治める神に切実に祈り讃えています。。。次に、24節後半、神の力を告白したのです。聖書のはじめ、天地創造から、祈り讃えます。24節後半「『あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。』」神の全能性が告白されています。。。どんなに日本は、伝道の困難な国であっても、主は、御心のままに、何でもお出来に成る方なのです。天地を造られたのなら、日本にリバイバルを起こす事は「朝飯前」です。で、力に満ちている方に並外れた祈りをするのです。。。天に召さらたロイド・ジョーンズ牧師の祈りは、極めて神中心であることで有名でした。礼拝でこう祈りました。「全能なる、永遠に誉め讃えられるべき神よ、あなたの聖なる御前で続け祈ります。神よ、あなた様に続けて感謝し、御名を賛美するために来ています。。。」「全能なる」神の主権と力を覚えて讃え祈るのです。
そして、25−26、神の御言葉―聖書―に満ちた祈りです。天地創造に触れ、さらに後の旧約聖書の予言が引用されています。25節「『あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。』」これは、詩編2編の引用です。聖書を信じて、聖書に基づいて祈るのです。聖書そのものも祈っても良いと思います。自分の言葉にも変えたりして。。20世紀の初め頃、韓国は、日本の植民地であって、仏教と儒教の支配下ありました。教会は、とても小さくて、暗かったです。すごい迫害にあったのです。それで、幾人かの宣教師が聖書の学びと祈りのために、数人の韓国の牧師を呼び集めました。その一週間に素晴らしいリバイバルが下されました。その後、韓国の教会は、のびのびと成長しました。でも、祈りとともに、聖書の学びがあったのです。御言葉による祈りがとても大事です。
韓国のリバイバルの時、悔い改めも大事な要素でした。こう書いてあります。「祈りが続くと、罪の重さと悲しみが会衆の上に降った。片側から、誰かが泣き叫びはじめました。すぐに、会衆全てが泣き叫んでいたのです。」悔い改めの祈りです。リバイバルには、悔い改めという大事な要素があります。先ず、神である聖霊は、教会に深い罪意識を与えます。罪を告白し、自分たちを謙せる恵みを求め祈り始めるのです。
でも、続けて、25−28「あなたの聖なるしもべイエス」と祈ったのです。キリスト中心の祈りです。27—28「ポンテオ・ピラトは、異邦人、といっしょに、イエスに逆らってこの都に集まり」キリストを十字架につけました。でも、28節、神の意図した計画は、キリストの苦しみによって、私たちを救う事でした。。。ロイド・ジョンズ牧師は、こう語りました。「リバイバルは、何よりも、神の子、主イエス・キリストの栄光が讃えられることであります。キリストを教会の生活(life、 生命)の中心に回復させる事であります。」深い悔い改めが与えられ、全てにおいて、キリスト御自身、福音そのものが回復されるのです。恵みを中心とする福音を失ってしまっている状態を回復するように、祈るのです。
アメリカ東海岸で牧会していたジョナタン・エドワーズは、若い頃のリバイバルの体験をこのように語りました。「ある日、私は、黙想するために、父の牧草地で歩いて、祈りはじめました。そして、私の心の中に、言葉で表せない、神の栄光の恵みのここちよい実感が来ました。私は、突然、両方を心地よい結びつきで見る事が出来ました。神の威厳と神の柔和さが共に結ばれていました。それは、畏敬のある心地よさであり、柔和な畏敬であり、聖なる柔和さであったのです。」エドワーズは、神ご自身、キリストご自身を体験したのです。。。先ず、先ず、御名が崇められるように祈るのです。
2.29−30、並外れた祈りは、切実なる願いへと移ります。先ず、私たちは、神を崇めるのです。そして、単純に願うのです。29節「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になって」下さい。正直に、祈るのです。。。でも、その願いは、自分の必要から、人の救いへと移るのです。29節後半「『みことばを大胆に語らせてください。』」彼らは、弱さを感じながらも、けして引き込もらず、御国の前進のために、「大胆」な伝道のために、祈ったのです。。。私たちも、教会の成長と失われた人たちへの伝道の熱意と愛が与えられるように願い祈らなければなりません。このように「並外れた祈り」をするのです。
私たちは「並外れた祈り」を完全に無視していないでしょうか?聖霊の力を忘れていないでしょうか?自分と自分の働きを中心にしちゃっているのではないでしょうか?あなたは、リバイバルが起こされ、天の窓が開かれ、御霊が注がれるように、神に祈ったことありますか?私たちは、一番効果的なものを忘れていませんか?もちろん、いろんな試みのために祈って下さい。牧師・宣教師、日曜日のメッセージ、各教会組織、伝道集会のために祈って下さい。でも、教会や個人のニーズのためだけではなく、それ以上に、リバイバルの為に切実に祈り願うのです。聖霊様が注がれ『みことばを大胆に語らせてください』と祈るのです。
最後に、31−37、並外れた祈りは、素晴しい結果をもたらします。最後に31節、「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震(ふる)い動い」たのです。「一同は聖霊に満たされ」たのです。神の臨在です!!!そして「神のことばを大胆に語りだした」のです。キリスト者が真剣に祈り、リバイバルが起こされる時、大胆な伝道が行われます。。。さらに、32節「心と思いを一つに」されたのです。また、33後半、「大きな恵みがそのすべての者の上にあった」から、34節「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」のです。体のニーズまで。。。1700年代の前半、イギリスに大覚醒(だいかくせい)が神によって起こされました。その頃、イギリスの「無血革命」は、フランス革命のように、血が流されなかったのです。フランスの貧しい人々の間では、富裕層にたいする憎しみが多くて、その結果、多くの血が流されたのです。が、イギリスでは、キリストの福音が貧しい大衆の間に広まって行って、心にある憎しみが少なかったのです。貧しい方々のニーズもケアされたのです。社会が守られ、祝福されたのです。リババルによって素晴しい社会的結果もあるのです。
主に祈る時、主の素晴しさに応じて結果を下さると信じています。。。1700頃、アメリカ西海岸の牧師コットン・マーサーは、自分の命の短さを感じたのでしょうか、彼は、晩年最後の400日、毎朝起きて、その一日中を祈りに徹しました。でも、それで終わらなかったのです。神が素晴しく尋ねるようにと、彼は、祈りのセルグループをいっぱい作りはじめました。その結果素晴しいリバイバルが世界中に広がった、と言われています。「並外れた祈り」です。。。祈りましょう。リバイバルのために、神の尊い福音と恵みが真に回復されるように、祈りましょう。尊い神の臨在がこの開拓においても不思議に与えられるように祈りましょう。日本中に、神ご自身と、その栄光、その恵みが素晴らしく体験されるように、祈りましょう。今!
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