2021年5月11日火曜日

ローマ8:15―39「福音によるコロナ対策」

 

先ずローマ8:15−39を読んでください。


詩篇に何回もこう書いてあります。主よ、いつまでなのですか?」私たちの叫びでもあるのではないでしょうか?コロナ禍が少し落ち着いているような気はしました。が、コロナは、変異したりして、また増えています。また、まだまだ先が見えません。人との接触は限られて、教会は思うように集まれない、ある方の仕事が無くなったりしています。主よ、いつまでなのですか?」と叫びます。

 

ローマ8章の「うめき」は、コロナ禍だけではないです。が、コロナを含めています。22節「被造物全体が、… 共にうめき共に産みの苦しみを続けている。」23節「私たち自身、心の内でうめ」いているのです。自然界だけではなく、私たちクリスチャンも、霊的にも、心理的にも、肉体的にも「うめいている」のです。。。「被造物全体」また「私たち自身」の「うめき」に対して、神は、どのような助けを用意しているでしょうか?ローマ書の大事なポイントの『福音の力』は、コロナ禍にももちろん及ぶのです。この箇所では、少なくても6つの助けがある、と私は思うのです。

 

1.1517、生ける神は、すでに私たちを神の子にしているのです。15節「子たる身分」、16節「神の子」、17節「もし子であれば、相続人でもある。キリストと共同の相続人なのである。」パウロは、御霊によって、重ね重ね言っているのです。「恵みによって、主イエスとその贖いを信じ仰ぐことによって、あなたは、神様の子供だよ!それだけではなく、相続人だよ!どんな試練、苦しみ、コロナ禍にあっても変わらないよ!」。。。「神の子」と「相続人」の私達に素晴らしい特権があるのです。15節後半「わたしたちは「アバ、父よ」と呼べる」のです。キリストの御名によって、天地宇宙を創った天の父に「助けて!」と叫べるのです。でもまた「崇めす!」と、苦しみの中にあっても、讃えられるのです。。。私たちは、コロナ禍の中で、神の子であることをよりより認識し、その身分を活用し、祈りたいものです。

 

ステイーブン・チルダーズ先生は、こう書いています。「あなたは養子とされています。あなたが過去の人間関係の愛の欠如からいかに深く傷ついていたとしても、あなたは今、深く愛されています。あなたは神の子供として引き取られ、それまでは、父の独り子である御子イエスだけに保証されていたすべての権利と特権を与えられているのです。もう自分のことを霊的孤児のように感じなくてもよいのです。神様はあなたを実の娘や息子としてご覧になっているのです。あなたはすでに、御父の御臨在への入り口、あなたのすべての必要を満たしてくださるという約束をし、そして、あなたの益となる神の訓練を受ける特権を与えられているのです。」

 

2.1825、生ける神は、栄光の希望を用意しているのです。18節「やがてわたしたちに現されようとする栄光」を私たちは待ち望んでいるのです。19節、「被造物は、待ち望んでいる」が、23節、「それだけではなく、わたしたち自身も、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」のです。24節「わたしたちは、この望みによって救われているのである。」25節「わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。」。。今は、コロナを含めて、苦難が多いですが、「栄光」が待っているのです。神の栄光を目の当たりにして、預かる時が必ず来るのです。その時には、コロナも、死も、涙も、悩みも、病気も、苦しみも、いっさい無いのです。その栄光を期待しましょう。

 

ある二人の方が一人ずつ小さなヘアで、小さなつまらない機会を作っていました。ある日、二人の食事の間、一人は、顔をしかめて、こう言いました。「君は、よくもそんなに楽しそうにそんなつまらないものを作れるね。」もう一人は「いやいや、マジで楽しんでるよ。」実は、一人には、一年に100万円しか約束されていませんでした。でも、楽しく作業していたもう一人には、年に一億円が約束されていたのです。彼には、とても期待できるものが待っていたのです。。。今は、いろんな理由で大変です。コロナも含めて。でも「栄光」が待っているのです。天国、新天新地が待っているのです。私たちを十字架上で贖って復活された恩方が待っているのです。私たちが真の栄光に預かるのです。この栄光が待っているから、『今か』と『今か』とクビとを長くして、涙と共に喜びを持って、期待できるのです。

 

3.2627、生ける神である聖霊様が助け、とりなしてくださるのです。26節「御霊も弱いわたしを助けて下さる」のです。後半「とりなして下さる」のです。「わたしたちはどう祈ったらよいかわからない」時があるのです。聖霊様が、23節「私たちの心の内のうめき」を26節後半「言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのために(代わりに)とりなして(祈って)下さる」のです。聖霊様は、27節、私たちの心を探り知って、「神の御旨にかなうとりなしをして下さる」のです。。。「鬼に金棒」と言ったら失礼でしょうか?コロナ禍の中で聖霊様は、最高の助けで、慰め主です。

 

日本を含める全世界がコロナ禍になって、はじめ私は、どう祈るべきか分かりませんでした。人は、あまりにも苦しんで、死んでいくから、「助けて!」と祈って、ただ肉体的な助けを求め、コロナが無くなるように祈るべきか?それとも、本当の問題、神との断絶、があるから、生ける神が誉め讃え伝えられ、教会、日本、全世界が神に立ち返るように、祈るべきなのか?結局、主の祈りにあるように、両方を祈りました。「御名があがめられますように。悪より救いだしてください。」。。コロナ以外にも、他の十分の問題もあるでしょう。人間関係、仕事、子育て、勉強、結婚。どう祈るべきか分からない時に、聖霊様が代わりにとりなしてくださるのです。霊様に任せて、心にあるものを何でも祈れるのです。。。

 

4.28−30、生ける神は、全てを益として下さるのです。有名な箇所ですね。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。「全てのこと」は、コロナヴィルスを含めます。悪やコロナ自体が「益」でしょうか?いいえ。でも、神は「悪」を「善」に変えるのです。バッドをグッドに変えるのです。。。なぜなら、最高に良いものは、すでに「定めて」あるからです。29節、確かに試練が多くあります。が、私たちが「御子のかたちに似たもの」となる「栄光」がもうすでに「定めて」あるのです。過程は、確かです。30節「あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。」「栄光を与えて下さった」の過去形のように、未来の栄光は、確かです。。。栄光は、確かですから、どんな悪でであっても、コロナ、自分の罪でさえも、将来の「栄光」を止めることはできないのです。全て益と成るのです。

 

20年ほど前、奈帆と私は、小さい子供3人を抱えて、アメリカに行きました。ある面でとても愚かな決断でした。仕事が見つからず、教会との関係はうまく行かず、自分の命までとりたかったのです。結局、シッポを巻いて日本に帰ってきました。しかし、神は、その時に、大事なことを教えてくださいました。私は、すでに、29節のように、福音によってキリストの似姿に変えられるように、祈っていました。それで、主は、アメリカの試練を通して、私を低くしてくださいました。その試練を通して「万事を益」として下さったのです。下さっているのです。。。神様は、先ず、私たちのハッピーネス(幸せ)ではなく、先ず、私たちのホーリネス(聖さ)を大事にします。キリストに似る聖さが私たちのハッピーネスで「益」です。。。今コロナ禍を通して、私たちをキリストの似姿に変えているのです。最高です!感謝です!

 

5.3134、生ける神は、完全に味方であるのです。31節「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」コロナ禍の中でも、大丈夫です。32節と34節に『ため』という言葉は、2回書いてあります。32節「わたしたちすべての者のために死に渡された」から、備えられるのです。34節「死んで、否、よみがえって、神の右に座している」イエス様自身が「わたしたちのためにとりなして下さる」のです。キリストご自身があなたのために祈っているのです。”God is for you.“ 神は、あなたの味方です。三位一体なる神は、あなたの味方です。

 

私の高校一年の頃でした。東京東久留米にあるクリスチャンアカデミーの高校生達がイベントとして毎年のように豊島園に遊びに行きました。ちょうどその帰りに起こりました。4年生は、突然、1年生を捕まえ、噴水に投げ込みました。実は、これは、高校に入るいたずらの入門でした。でも、不思議に私は投げ込まれませんでした。なぜなら、私と同じTEAMの寮の兄貴たちが「彼はダメだ!彼を投げ込むな!」と止めました。他の同級生の男の子を投げ込んだのに。先輩が僕の味方だったのです。気持ち良かったですよ!。。。じっと考えてください。人間の味方以上に、父なる神が、御子が、聖霊様が、三位一体なる唯一の神が、あなたの味方なのです。このコロナ禍にあって特にそうです。見守られています。

 

6.3539、生ける神の愛から引き離されることはないのです。35節「誰が、キリストの愛からわたしたちを引き離すのか。患難か、苦悩か」コロナ禍?39節「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

 

私は、辛い試練を通る時、神の愛を疑います。でも、ここでは、どんな試練にあっても、死であっても、「神の愛から引き離すものはない」と約束しています。。。16世紀のピューリタン、ジョン・オーエンはこう言いました。「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」それに対してナビゲターズのジェーリー・ブリジェズ師がこう書いています。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことであるとオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」。。また「もし神の愛を理解したいのなら、先ず十字架を見なさい」とブリジェズ師が続けて言っています。十字架上で主イエスが私たちの代わりに天の父から「引き離さ」れたのです。キリストが十字架上で見捨てられたのは、私たちがけして見捨てられ、引き離されないためです。逆に、受け入れられるためです。真実な絶えないキリストの愛に預かっているのです。このコロナ禍にあっても、変わらないのです。

 

6つの確かな「助け」を思い巡らしました。それによって活かされ活きることによって、私たちは、コロナなどの「うめき、ともに産みの苦しみ」に対して、神に助けられ、神と共に前進出来るのです。37節「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」


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