2020年3月25日水曜日

「福音によって創り変えられる」ローマ1:15−17


先ず、ローマ1:15−17を読んでください。


私は、小さい頃から、聖書に触れ、ヨハネ3:16、エペソ6:1などの聖書箇所を暗記させられました。『させられた』を強調しています。いやだったのです。8才の頃、アメリカに行きました。父が何回もいろんな教会でメッセージして、招きをした時、私は、前に行きました。しかし、福音がピント来ませんでした。で、エバンジェラインおばちゃんが福音を分かりやすく話しくださいました。おばちゃんは、Maxwellおじいちゃんの家に来て「字の無い本」を通して分かりやすくイエス様と十字架を説明し、私は、本当に信じました。また、間もなく、洗礼を受けました。

でも、私は、ずっーと、福音が義認(救い)のためだけにあると思い、聖化(成長)の為にでもあるとは知りませんでした。クリスチャン生活の‘はじめの一歩’は、キリストだと思いましたが、その次のマラソンは、実際は自分の頑張りだと、思っていました。私は、高校の頃から、先輩の歩みを見て、聖書を読むようになり、クリスチャン生活を具体的にしはじめました。7年間、聖書大学や神学校に行き、10数年間、TEAMの宣教師などをしました。。。しかし、何か変でした。私は、ただただ疲れていました。霊的に燃え尽きていたと思います。なぜなら、私は、結構強い意志があったので、それによって聖くあろうと思っていました。でも、落ち込んだり、怒ったりたり、いらだったりしていました。しっかりリードするつもりでしたが、家内に対して権力を振るいすぎました。。。何か間違っていたのです。

ある時期、私は、聖書と祈りの時間で、出エジプト記を学んでいました。気が付いたのです。20章の『十戒』の前には、イスラエルの救いと贖い。後には、天幕と犠牲。20章の掟を囲んでいたのは恵みでした。また、次に、マルコを学んで、ポイントは単純で、キリストとその十字架の贖いで、それに対するシンプルな信仰と従順でした。。。で、ちょうどその時に、ジャン兄がチルダズ博士の「人を造り変える福音の力」のテープをくれました。聞いたら『これだ!』と思いました。福音の力によって、私たちがキリストの姿に創り変えられることを強調していました。。。でも、神は、私に深い試練を与えて下さいました。私たちが再びTEAMの宣教師として日本に帰れるように、アメリカの母教会に行きました。でも、違うページにありました。ちゃんとした仕事が見つからなかったし、人間関係が崩れて行きました。悲しいことですが、自分の命を取ることをも考えたくらいでした。。。でも、そのどん底に神の恵みがあったのです。家内の古里の香川の高瀬で住み、開拓伝道をしはじめました。そこで、ニューヨークの長老教会のチモシー・ケラー牧師の本を読み、インターネットでメッセージを聞きはじめました。有名な本で、日本語にも訳されている「放蕩する神様」を読みました。私は、福音によって、変えられはじめました。個人礼拝の時間で、先ず神との交わり、私を贖ったイエスを礼拝することを強調しはじめたました。。。家内と子どもとの関係が変わりはじめました。前のように怒ったり、落ち込んだり、いらだったりしなくなるようになりはじめました。。。メッセージは、前と同じ講解説教でしたが、内容は、キリスト中心、福音中心、恵み中心のメッセージに変わりはじめました。。。課題の多い私には、イエス様、福音、十字架しかなかったのです。

ローマ1:15−17「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」

7節を見ると、明らかにこの箇所とローマ書全体が主にキリスト者に書かれてある、と分かるのです。「福音は、救いを得させる神の力」は、クリスチャンに語っているのです。その力が特にクリスチャンに及ぶのです。。。知っている通り「力」という言葉は、ギリシャ語で”dunamis”で、ダイナマイトという言葉の語源です。ここでは、破壊力のある力では無く、人を救う、変える、癒す、聖くする「力」を意味しています。。。。。信じて、すがって下さい。続けて。主イエス・キリストご自身、その十字架の愛、その復活の力があなたを救い、変え、癒し、聖くして下さいます。

「信仰に始まり信仰に進ませる」は、ギリシャ語では’ek pisteos eis pisten‘です。最初から最後まで信仰という意味です。パウロは、それを、旧約聖書のハバクク2:4で強調しました。「義人は信仰によって生きる(現在形)」と引用し、キリスト者の全生涯が信仰(信じ仰ぐこと)の土台によって生きることを言っています。信仰によってはじまり、行いによって進むのではなく、常に信仰によって進むのです。そして、行いがそこから溢れ出るのです。。。あなたは、ただ頑張って、疲れていませんか?あなたも、私も、全ての源である主イエスを常に信じ仰いで生きるのです。主を力、源、原動力とするのです。そうすると、主は恵みから、愛などの豊かな実を下さいます。そして、愛を実践するのです。

ローマ書全体が、キリスト中心、福音中心、十字架中心、恵み中心であることを教えています。ローマ章12:1、パウロは「そういうわけですから」と書いて、ローマ1章〜11章のキリストの恵み深い福音を、読者に『振り替えるように』と語っています。「兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに(ローマ1章〜11章)、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」全身全霊を神に捧げることを促し命じる前に、愛の道に歩むように語っる前に、聖くありなさいと教える前に、パウロは「神のあわれみ」をまた繰り返し、強調しています。

私たちの一番大きな罪は、この福音を常に信じないことではないでしょうか?私は、そうです。十字架の愛が十二分であっても、今のその「力」が及んでいることを信じない時が多すぎないのではないでしょうか?有名なプーリタン、ジョン・オーウェンは、こう書きました。「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」それに対してナビゲターズのジェリー・ブリジェスはこうコメントしました。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことである、とオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」。。。主の犠牲的な愛を信じるのです!新たに信じるのです!私も、あなたも。

今が「危機の時代」であることは明白です。日本の教会は、今苦しんでいます。私は、香川にいた頃、周りの教会は、苦しんでいました。高松の教会も苦しんでいました。あの教会も、あの牧師も。牧師の高齢化、病気。ある教会は、礼拝人数は5名とか。。。教会の引退した村瀬牧師はこう書きました。「教会の福音伝道に無くてならないものは、。。。教会の裃(かみしも)ではなく、福音そのものの輝きではありませんか。十字架と復活の福音は、それを聴く者に、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子とされる特権を与えます。この福音が率直に告げられ、受け入れられる礼拝は、神の恵みへの感謝の応答として、明るく楽しく、愛と喜びに満ちています。それこそ、救いを求める人々の必要に応えるものなのです。」教会とクリスチャンの中で、福音が輝くと、外にも輝くのです。人々は、その輝きに引かれるのです。。。ですから、福音に活きようではありませんか?先ずは福音を自分に語り、でもまた隣人に伝えようではありませんか?

「数年前のことですが、ナビゲーターの有力なリーダー(ジェリー・ブリジェズ)が、数100人ものクリスチャンの前で話していました。彼自身の福音に対する見方が、彼のクリスチャンリーダーとしての仕事を阻んでいたということを明らかにしました。。。。彼は言いました。「自分の人生を一本の線で表わすことを考えてみて下さい。一番左側にある点を、あなたが生まれた時としましょう。そして一番右側があなたの死です。真ん中にあなたがクリスチャンになったことを示す十字架をおいてみてください。生まれてから十字架までの間で、あなたに一番必要だったものを一言で言い表すと何ですか?」ほとんどの人は『福音』であると答えました。彼は続けました。「それでは、十字架からあなたの死までの間で一番必要なものは何ですか?」『成長』と答える人もいれば、『聖化』と答える人もいました。「以前の私でしたら、きっと皆さんに賛成したことでしょう」と彼は告白しました。「ナビゲーターとして、私なら多分『弟子訓練』と答えたことでしょう。しかし今の私は、それは『福音』であると答えます。」はじめから最後まで福音です。。。スチブン・チルダーズ博士はこう書きました。「グッドニュース!クリスチャンにとっての素晴らしいニュースは、私たちの冷たく、かたくなな心のための神様の治療法があるということです。その治療法は、人の心を変える福音の力にあるのです。そしてその治療法は、私たちの再生だけでなく、私たちがキリストの似姿に変えられることをも目的とします。そしてその目的は、ただ単に罪の赦しを得させるだけでなく、私たちを神を真実に礼拝し、人々を愛する者へと変えるのです。」

福音は、クリスチャンの全ての領域(教会、家庭、学校、会社、近所、娯楽)全てに適用されるのです。なぜなら救い主は、主(全ての全ての主権者・王)であるからです。。。私のm個人お聖書の時間からはじまるのです。で、妻に対する態度—エペソ 5:25「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」十字架が力の源でもあるし、模範でもあるのです。他も。子供と接す時も、教会で奉仕する時も、仕事する時も。。。

でも、また、プロテスタントとして、メッセージの分野も。神学校の元学長・ブライアン・チャペル氏はインタビューにこう答えました。「福音中心、恵み中心、キリスト中心の説教が語られるべきだということ。恵み中心ということは、自分自身の生き方に焦点を当てて、罪悪感や自分の行いからではなく、神からの愛によって私はきよくなりたいという願いを伝えることです。神の愛を深く知ることによって、人はきよくされるのです。。。。恵みによる救いが分かることが必要です。自分の努力や行いではなく、神が愛してくださっているという、神の愛によって動機づけられた人は、神が愛するように動きます。この恵みは、聖書全体に表されているので、教会がこれを発見するならば、新しい力になります。」福音は「神の力」で、私たちを造り変えます。

今日は、私の豊かな命キリスト教会での最後のメッセージです。私も、今日、このメッセージが必要でした。とても!先日、これを準備していた時、すっと福音の力、慰め、癒しが私の心をおおいました。。。皆さに、新たに福音に生きて、続けて生かされて欲しいのです。言葉に十分に言い表せない福音の宝を残しておきたいです。私は、しばしば失敗します。しかし、福音に活かされ、そして宣べ伝えることが私のパッションです。イエス様の福音が、あなたの、この教会のパッションとより成って行くよいうに心から願っています。


2020年3月19日木曜日

What is your only comfort in life and death?


Q. What is your only comfort in life and death?  

A. That I am not my own, but belong with body and soul, both in life and in death, to my faithful Saviour Jesus Christ. He has fully paid for all my sins with His precious blood, and has set me free from all the power of the devil. He also preserves me in such a way that without the will of my heavenly Father not a hair can fall from my head; indeed, all things must work together for my salvation. Therefore, by His Holy Spirit He also assures me of eternal life and makes me heartily willing and ready from now on to live for Him.

Heideberg Catechism


生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?

わたしのからだも魂も、生きる時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです。このお方は、ご自分の貴い血によって、わたしのすべての罪の代償を、完全に支払って下さいました。そしてわたしを、悪魔のすべての力から、救い出し、今も守って下さいますから、天にいらっしゃいます、わたしの御父のみこころによらないでは、わたしの頭からは、一本の髪の毛も落ちることはありません。そればかりか、すべての事が、わたしの祝福に役立つに違いないのです。そのため、主は、その聖霊によっても、わたしに永遠の生命を与えることを約束してくださり、これからは、わたしが、心から喜んで、主のために生きることができるようにして下さるのです。

ハイデルベルク信仰問答問

2020年3月17日火曜日

コロナヴィルス


聖書・詩篇96:10「国々の中で言え。『主は、治めている。』」

私たちは、コロナヴィルスの拡大について、どう思えばいいのでしょうか?

私たちは、賢く歩めばいいのです。体を大事にするのです。手洗い、うがい、マスクするのです。また、人混みの多いところをできるだけ避けるのです。でも、また、外に出て行って、運動するのです。バランスとった食事を通して健康を保つのです。

これと共に、天地を造られて『主は、治めている』ことを覚え、安心するのです。私たちは、コロナヴィルスなどをコントロールできないのです。人生にコントロールできなことは多いです。全てを治めている神イエス・キリストは、十字架まで行って下さって、三日目に復活しました。この方は、私たちを大切にし、愛して下さっています。この恩方を信じ仰ぐのです。この方に従い、隣人を愛するのです。教会で心の免疫力を高めるのです。

もう一つあります。生ける神は、この試練を通して、私たちの注意を引こうとしているのです。私たちは、いろんな自己中心的なものに心を奪われています。私たち皆んなが自分の罪を認め、神の前に謙るのです。神は、神との正しい関係に戻したいのです。。。目を覚ませましょう!

聖書・エペソ5:14後半「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」


2020年3月13日金曜日

But kindness is infectious too




‘A leader’s action is a theological statement.'“As leaders, we need to have a theological stance on all things. We need to process our fears before God and let our actions be inspired by faith and guided by sound theology. Let not disease, or earthly decree, but doctrine guide our decisions.”

'Viruses spread quickly, but kindness is infectious too.'

Daniel 12:3, ‘Those who are wise shall shine like the brightness of the sky above; and those who turn many to righteousness, like the stars forever and ever.’

2020年3月7日土曜日

「新コロナヴィルスの‘神’対策」創世記(ローマ8:28)


創世記全部を読むことは、大変ですから、ローマ8:28を読んでください。

聞く:「新コロナヴィルスの‘神’対策」創世記(ローマ8:28)

私たちは、連日、新コロナヴィルスの拡大のニュースで圧倒されています。外に出ると、みんなマスクをしています。不思議に教会の礼拝も数週間無いのです。その中で、心に恐れが湧き出ます。。。私自身は、母と似て、根っから心配性です。圧倒されてしまいそうです。だって、教会も変わるし、香川に行くし、子供も家からいなくなるし、さらに他も。。。私は、私たちは、どう答えれば良いのでしょうか?。。。新コロナヴィルスの‘神’対策が必要です。神の対策が必要です。。。創世記を学ぶのです。それを通して、神を学び、神を信じることを学ぶのです。。。創世記1:1「はじめに神が天と地とを創造された。」はじめに人間ではなく、「はじめに神」です。ですから、恐れにとらわれそうな時、全てを神中心に考えるのです。人間中心ではなく。神が主役で、私はただの脇役です。安心してください。私とあなたにかかっているわけでは無いです。真実な方である創り主・救い主にかかっているのです。

1。創世記1―11、神は、創り主です。創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した。」私たちが神を創るのではなく、生ける神が天地・宇宙・私達全てを創られたのです。全て治める創造主です。。。残念ながら、創世記3章、人間は、罪を犯し、神から離れてしまいました。争い、戦争、公害、温暖化、死、病気、ヴィルスは、その悲しい結果です。。。そして、創世記9章、人間の堕落があまりにも拡大したのです。自然界を治める神は『洪水を通して、裁かれる』と決めました。でも、神は、ノアとその家族を選び、救い、新しい世界を創ったのです。。。神は、創り主で、治め主です。

神は、全てを創られ、選びによって救われるのなら、全ては、神のもので、主権者です。宇宙、人間、国々、歴史、そして自然界をも治めています。コロナヴィルスが発生した時、神は、決して「あれ!」と驚きませんでした。ヴィルスの拡大も、全て許され、支配され、治めています。止める時がくるのです。

創り主が全てを治めているのを覚えると、私たちの心は、安らかになるのです。。。日本の明治維新の頃でした。ホラシオ・スパーフォードは、聖歌の「やすけさは川のごとく」を書きました。1節は、こうです。「安けさは川のごとく、心浸(ひた)す時悲しみは波のごとく、わが胸満たす時、すべて安し、御神共にませば。」実は、彼は、4人の娘を大西洋での海の事故で失った時、1人生き残った妻を迎えに行くときに、この歌を書きました。1870年代、スパフォードはシカゴで大成功した弁護士でした。不動産も多く持っていました。また、彼は、教会の長老でした。しかし、1人息子を若くして亡くし、その後、1871年10月8日のシカゴの大火事で彼は財産のほとんどを失いました。2年後の1873年、女の子4人を含める一家は、イギリスで休暇を取ることにしました。直前になって、不動産の急な仕事のため、スパフォード自身は、家族と一緒に行かれなくなり、妻と4人の娘を送り出して、彼は、後から行くことにしました。妻と4人の娘が乗ったパリ行きの船は、他の船に衝突され、12分のうちに沈没してしまいました。4人の娘達と共に226人の尊い命が取られました。奇跡的に、妻のアンナは、乗り組み員に救助されました。9日後、アンナは、イギリスから、夫にこの電報を打ちました。「一人だけ、生き残ってしまいました。どうしたらいいんでしょうか?」後、アンナは、こういったそうです。「主は私に4人の娘たちを与えてくれました。そして、4人の娘をと取られました。理由は後で分かるでしょう。」電報を受け取ったスパフォードは直ちにイギリスに向かいました。大西洋を横断していて、スパフォードの4人の娘が命を落とした海域に来た時、彼は、こう書きました。「船が沈没した場所を通過しました。でも、私のいとしい娘達は、ここには、いません。あの子達は、今は、安全なところにいて、子羊(主イエス)に抱(かか)えられています。」この航海の途中で聖歌「やすけさは川のごとく」を書きました。2節には、こうあります。「悪しき者迫りくとも試みありとも御子イエスの血のいさおし、ただ頼むわが身はすべて安し御神共にませば」「すべて安し、御神共にませば。。。すべて安し御神共にませば。」。。コロナヴィルスの恐怖にある中、天地を創られ、全てを治めている方が共にいます。神にあって心は、安らかになるのです。

2.創世記12―26、神は、真実なお方です。18章、神様は、高齢のアブラハムとサライに赤ちゃんを約束しました。サライは、疑いました。が、21章、何年か後に、イサクが生まれました。神様は、約束を守ったのです。神は、私たちと違って、真実なお方です。。。アブラハムは、けして立派な信者ではなかったです。彼は、12章と20章、2回も「サライは、自分の姉妹である」と身を守るために嘘をつきました。私たちは、アブラハムと同じような、罪人です。こうあります。2テモテ2:13「私たちは真実でなくても、彼(神)は常に真実である。。。彼にはご自身を否むことができないからである。」

太文字の「主」のヤーウェーは、神様の最も大事な名前で『約束を守る神』という意味です。また、聖書で鍵となる「慈しみ」と訳されている「へセド」という言葉は、「真実な愛」という意味です。神様は、私達に対して、真実な愛を示すのです。。。十字架上で、マタイ27:46後半「イエスは大声で、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』と叫ばれた」とあります。主は、十字架上で見捨てられたのは、私たちがけして見捨てられないためです。ローマ8:38ー39 「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」復活されたイエス様は、必ず共に一緒にいてくださいます。ずっと。天国まで。コロナヴィルスを恐れる必要はないのです。神は、真実なお方ですから。

マーガレット・パワーズがこの有名な「あしあと」という詩を作りました。「ある夜、わたしは夢を見た。私は、主と共に、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は、また、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生で一番つらく、悲しい時だった。このことがあまりにも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主に尋ねた。「主よ。私があなたに従うと決心した時、あなたは、全ての道において、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番つらい時、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私には分かりません。」主は、ささやかれた。「私の大切な子よ。私は、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとが一つだった時、私はあなたを背負って歩いていたのだ。」。。主は、真実なお方です。この恩方を信じるのです。コロナヴィルスが広がる今も、イエス様の存在を実感しない時も、恐れのある不安な時も、信じ続けるのです。この方があなたのために十字架まで行ってくださったのです。真実です。あなたを背負って下さるのです。。

3。創世記27―50、神は、救い主です。ここに出てくるお主な人物ヤコブには、二つの名前がありました。一つは、ヤコブ。もう一つは、イスラエル。ヤコブは、たくらむ者という意味で、イスラエルは、神が戦う、という意味でした。名前の通りヤコブは、神に頼らない肉的なたくらむ者でした。それでも、神は、恵みを持って、こんなヤコブを守り、救って下さったのです。私たちも、値するから、救われ、守られるのではなく、ただ神の恵みによって、救われ、守られるのです。神は、罪人を救われ、続けて救われるのです。。。でも、ヤコブは、不思議に神と出会って、イスラエルと名が変えらました。彼のために戦ったくださる神に頼るようになったのです。もちろん、私たちは、コロナヴィルスで受け身になってはいけません。しっかり健康を保ち、手洗いをし、差別することなく、人を助けるべきです。でも、最も大事なのは、自分の策略に頼らないで、神に頼って戦ってもらわなければなりません。神からの知恵をいただかなければなりません。全能の救いの神を信じ、その方に頼るのです。このヴィルスの事ででも。

創世記37章から、ヤコブのまな息子ヨセフが創世記の主人公になっていくのです。ヨセフは、他の兄弟に嫌われ、エジプトに送られ、多く苦しみました。しかし、神の予言通り、ヨセフは、復活し、エジプトの総理大臣にまでのぼったのです。それは、カナンに残された彼の家族と当時の世界を飢饉から救うためでした。ヨセフの体験した悪と苦しみは、家族の救いに繋がったのです。神は、救い主です。50:20、ヨセフは、兄弟にこう言いました。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計(はか)らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」苦しみは、人生にあります。でも、神は、悪をも用いても、救われました。神の栄光となるのです。。。確かに、神は、救い主です。

全ては、コロナヴィルスの脅威も、神のみ手の中にあるのです。こないだ教会でリビング・プレーズの「御手の中で」を歌いました。「御手の中で全ては変わる賛美に、我が行く道を導きたまたえ、あなたの御手の中で。御手の中で全ては変わる感謝に、我が行く道に現したまえあなたの御手の業を。」全ては、このコロナヴィルスの拡大も、主観者である創り主の御手の中にあるのです。また、心配しながらも、神を信じ、この歌にように「賛美」と「感謝」に変わって行くのです。なぜ?全てを治めている創造主、救い主の「御手の中に」あるからです。。。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」主は、コロナヴィルスのような悪をも用いて、益としてくださいます。神の栄光に変えて下さいます。安心しましょう。

私は、最近、精密検査を受け、30%癌の可能性と聞きました。戸惑います。心配します。しかし、生ける神は、変わらず、創り主、真実な方、救い主です。。。神ご自身が新コロナヴィルスの‘神’対策です。ヴィルスの拡大のニュースなどに圧倒されないで、神様ご自身を覚えて、信じ、安らぎ、愛され、愛するのです。

2020年3月4日水曜日

Date with Naho



Enjoyed breakfast date with Naho at Sweet(Namiyanagi bakery). Met the owner and friend of our family, Mr. Watanabe.... スウィート(並柳のパン屋さん)で奈帆と朝食デート。で、オーナーまた家族の友達である渡辺さんにあった。