メッセージを聞く。「福音によって創り変えられる」 ローマ1:15−17
私は、小さい頃から、聖書に触れ、ヨハネ3:16、エペソ6:1などの聖書箇所を暗記させられました。『させられた』を強調しています。いやだったのです。8才の頃、アメリカに行きました。父が何回もいろんな教会でメッセージして、招きをした時、私は、前に行きました。しかし、福音がピント来ませんでした。で、エバンジェラインおばちゃんが福音を分かりやすく話しくださいました。おばちゃんは、Maxwellおじいちゃんの家に来て「字の無い本」を通して分かりやすくイエス様と十字架を説明し、私は、本当に信じました。また、間もなく、洗礼を受けました。
でも、私は、ずっーと、福音が義認(救い)のためだけにあると思い、聖化(成長)の為にでもあるとは知りませんでした。クリスチャン生活の‘はじめの一歩’は、キリストだと思いましたが、その次のマラソンは、実際は自分の頑張りだと、思っていました。私は、高校の頃から、先輩の歩みを見て、聖書を読むようになり、クリスチャン生活を具体的にしはじめました。7年間、聖書大学や神学校に行き、10数年間、TEAMの宣教師などをしました。。。しかし、何か変でした。私は、ただただ疲れていました。霊的に燃え尽きていたと思います。なぜなら、私は、結構強い意志があったので、それによって聖くあろうと思っていました。でも、落ち込んだり、怒ったりたり、いらだったりしていました。しっかりリードするつもりでしたが、家内に対して権力を振るいすぎました。。。何か間違っていたのです。
ある時期、私は、聖書と祈りの時間で、出エジプト記を学んでいました。気が付いたのです。20章の『十戒』の前には、イスラエルの救いと贖い。後には、天幕と犠牲。20章の掟を囲んでいたのは恵みでした。また、次に、マルコを学んで、ポイントは単純で、キリストとその十字架の贖いで、それに対するシンプルな信仰と従順でした。。。で、ちょうどその時に、ジャン兄がチルダズ博士の「人を造り変える福音の力」のテープをくれました。聞いたら『これだ!』と思いました。福音の力によって、私たちがキリストの姿に創り変えられることを強調していました。。。でも、神は、私に深い試練を与えて下さいました。私たちが再びTEAMの宣教師として日本に帰れるように、アメリカの母教会に行きました。でも、違うページにありました。ちゃんとした仕事が見つからなかったし、人間関係が崩れて行きました。悲しいことですが、自分の命を取ることをも考えたくらいでした。。。でも、そのどん底に神の恵みがあったのです。家内の古里の香川の高瀬で住み、開拓伝道をしはじめました。そこで、ニューヨークの長老教会のチモシー・ケラー牧師の本を読み、インターネットでメッセージを聞きはじめました。有名な本で、日本語にも訳されている「放蕩する神様」を読みました。私は、福音によって、変えられはじめました。個人礼拝の時間で、先ず神との交わり、私を贖ったイエスを礼拝することを強調しはじめたました。。。家内と子どもとの関係が変わりはじめました。前のように怒ったり、落ち込んだり、いらだったりしなくなるようになりはじめました。。。メッセージは、前と同じ講解説教でしたが、内容は、キリスト中心、福音中心、恵み中心のメッセージに変わりはじめました。。。課題の多い私には、イエス様、福音、十字架しかなかったのです。
ローマ1:15−17「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」
7節を見ると、明らかにこの箇所とローマ書全体が主にキリスト者に書かれてある、と分かるのです。「福音は、救いを得させる神の力」は、クリスチャンに語っているのです。その力が特にクリスチャンに及ぶのです。。。知っている通り「力」という言葉は、ギリシャ語で”dunamis”で、ダイナマイトという言葉の語源です。ここでは、破壊力のある力では無く、人を救う、変える、癒す、聖くする「力」を意味しています。。。。。信じて、すがって下さい。続けて。主イエス・キリストご自身、その十字架の愛、その復活の力があなたを救い、変え、癒し、聖くして下さいます。
「信仰に始まり信仰に進ませる」は、ギリシャ語では’ek pisteos eis pisten‘です。最初から最後まで信仰という意味です。パウロは、それを、旧約聖書のハバクク2:4で強調しました。「義人は信仰によって生きる(現在形)」と引用し、キリスト者の全生涯が信仰(信じ仰ぐこと)の土台によって生きることを言っています。信仰によってはじまり、行いによって進むのではなく、常に信仰によって進むのです。そして、行いがそこから溢れ出るのです。。。あなたは、ただ頑張って、疲れていませんか?あなたも、私も、全ての源である主イエスを常に信じ仰いで生きるのです。主を力、源、原動力とするのです。そうすると、主は恵みから、愛などの豊かな実を下さいます。そして、愛を実践するのです。
ローマ書全体が、キリスト中心、福音中心、十字架中心、恵み中心であることを教えています。ローマ章12:1、パウロは「そういうわけですから」と書いて、ローマ1章〜11章のキリストの恵み深い福音を、読者に『振り替えるように』と語っています。「兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに(ローマ1章〜11章)、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」全身全霊を神に捧げることを促し命じる前に、愛の道に歩むように語っる前に、聖くありなさいと教える前に、パウロは「神のあわれみ」をまた繰り返し、強調しています。
私たちの一番大きな罪は、この福音を常に信じないことではないでしょうか?私は、そうです。十字架の愛が十二分であっても、今のその「力」が及んでいることを信じない時が多すぎないのではないでしょうか?有名なプーリタン、ジョン・オーウェンは、こう書きました。「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」それに対してナビゲターズのジェリー・ブリジェスはこうコメントしました。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことである、とオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」。。。主の犠牲的な愛を信じるのです!新たに信じるのです!私も、あなたも。
今が「危機の時代」であることは明白です。日本の教会は、今苦しんでいます。私は、香川にいた頃、周りの教会は、苦しんでいました。高松の教会も苦しんでいました。あの教会も、あの牧師も。牧師の高齢化、病気。ある教会は、礼拝人数は5名とか。。。教会の引退した村瀬牧師はこう書きました。「教会の福音伝道に無くてならないものは、。。。教会の裃(かみしも)ではなく、福音そのものの輝きではありませんか。十字架と復活の福音は、それを聴く者に、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子とされる特権を与えます。この福音が率直に告げられ、受け入れられる礼拝は、神の恵みへの感謝の応答として、明るく楽しく、愛と喜びに満ちています。それこそ、救いを求める人々の必要に応えるものなのです。」教会とクリスチャンの中で、福音が輝くと、外にも輝くのです。人々は、その輝きに引かれるのです。。。ですから、福音に活きようではありませんか?先ずは福音を自分に語り、でもまた隣人に伝えようではありませんか?
「数年前のことですが、ナビゲーターの有力なリーダー(ジェリー・ブリジェズ)が、数100人ものクリスチャンの前で話していました。彼自身の福音に対する見方が、彼のクリスチャンリーダーとしての仕事を阻んでいたということを明らかにしました。。。。彼は言いました。「自分の人生を一本の線で表わすことを考えてみて下さい。一番左側にある点を、あなたが生まれた時としましょう。そして一番右側があなたの死です。真ん中にあなたがクリスチャンになったことを示す十字架をおいてみてください。生まれてから十字架までの間で、あなたに一番必要だったものを一言で言い表すと何ですか?」ほとんどの人は『福音』であると答えました。彼は続けました。「それでは、十字架からあなたの死までの間で一番必要なものは何ですか?」『成長』と答える人もいれば、『聖化』と答える人もいました。「以前の私でしたら、きっと皆さんに賛成したことでしょう」と彼は告白しました。「ナビゲーターとして、私なら多分『弟子訓練』と答えたことでしょう。しかし今の私は、それは『福音』であると答えます。」はじめから最後まで福音です。。。スチブン・チルダーズ博士はこう書きました。「グッドニュース!クリスチャンにとっての素晴らしいニュースは、私たちの冷たく、かたくなな心のための神様の治療法があるということです。その治療法は、人の心を変える福音の力にあるのです。そしてその治療法は、私たちの再生だけでなく、私たちがキリストの似姿に変えられることをも目的とします。そしてその目的は、ただ単に罪の赦しを得させるだけでなく、私たちを神を真実に礼拝し、人々を愛する者へと変えるのです。」
福音は、クリスチャンの全ての領域(教会、家庭、学校、会社、近所、娯楽)全てに適用されるのです。なぜなら救い主は、主(全ての全ての主権者・王)であるからです。。。私のm個人お聖書の時間からはじまるのです。で、妻に対する態度—エペソ 5:25「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」十字架が力の源でもあるし、模範でもあるのです。他も。子供と接す時も、教会で奉仕する時も、仕事する時も。。。
でも、また、プロテスタントとして、メッセージの分野も。神学校の元学長・ブライアン・チャペル氏はインタビューにこう答えました。「福音中心、恵み中心、キリスト中心の説教が語られるべきだということ。恵み中心ということは、自分自身の生き方に焦点を当てて、罪悪感や自分の行いからではなく、神からの愛によって私はきよくなりたいという願いを伝えることです。神の愛を深く知ることによって、人はきよくされるのです。。。。恵みによる救いが分かることが必要です。自分の努力や行いではなく、神が愛してくださっているという、神の愛によって動機づけられた人は、神が愛するように動きます。この恵みは、聖書全体に表されているので、教会がこれを発見するならば、新しい力になります。」福音は「神の力」で、私たちを造り変えます。
今日は、私の豊かな命キリスト教会での最後のメッセージです。私も、今日、このメッセージが必要でした。とても!先日、これを準備していた時、すっと福音の力、慰め、癒しが私の心をおおいました。。。皆さに、新たに福音に生きて、続けて生かされて欲しいのです。言葉に十分に言い表せない福音の宝を残しておきたいです。私は、しばしば失敗します。しかし、福音に活かされ、そして宣べ伝えることが私のパッションです。イエス様の福音が、あなたの、この教会のパッションとより成って行くよいうに心から願っています。
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