2020年3月7日土曜日

「新コロナヴィルスの‘神’対策」創世記(ローマ8:28)


創世記全部を読むことは、大変ですから、ローマ8:28を読んでください。

聞く:「新コロナヴィルスの‘神’対策」創世記(ローマ8:28)

私たちは、連日、新コロナヴィルスの拡大のニュースで圧倒されています。外に出ると、みんなマスクをしています。不思議に教会の礼拝も数週間無いのです。その中で、心に恐れが湧き出ます。。。私自身は、母と似て、根っから心配性です。圧倒されてしまいそうです。だって、教会も変わるし、香川に行くし、子供も家からいなくなるし、さらに他も。。。私は、私たちは、どう答えれば良いのでしょうか?。。。新コロナヴィルスの‘神’対策が必要です。神の対策が必要です。。。創世記を学ぶのです。それを通して、神を学び、神を信じることを学ぶのです。。。創世記1:1「はじめに神が天と地とを創造された。」はじめに人間ではなく、「はじめに神」です。ですから、恐れにとらわれそうな時、全てを神中心に考えるのです。人間中心ではなく。神が主役で、私はただの脇役です。安心してください。私とあなたにかかっているわけでは無いです。真実な方である創り主・救い主にかかっているのです。

1。創世記1―11、神は、創り主です。創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した。」私たちが神を創るのではなく、生ける神が天地・宇宙・私達全てを創られたのです。全て治める創造主です。。。残念ながら、創世記3章、人間は、罪を犯し、神から離れてしまいました。争い、戦争、公害、温暖化、死、病気、ヴィルスは、その悲しい結果です。。。そして、創世記9章、人間の堕落があまりにも拡大したのです。自然界を治める神は『洪水を通して、裁かれる』と決めました。でも、神は、ノアとその家族を選び、救い、新しい世界を創ったのです。。。神は、創り主で、治め主です。

神は、全てを創られ、選びによって救われるのなら、全ては、神のもので、主権者です。宇宙、人間、国々、歴史、そして自然界をも治めています。コロナヴィルスが発生した時、神は、決して「あれ!」と驚きませんでした。ヴィルスの拡大も、全て許され、支配され、治めています。止める時がくるのです。

創り主が全てを治めているのを覚えると、私たちの心は、安らかになるのです。。。日本の明治維新の頃でした。ホラシオ・スパーフォードは、聖歌の「やすけさは川のごとく」を書きました。1節は、こうです。「安けさは川のごとく、心浸(ひた)す時悲しみは波のごとく、わが胸満たす時、すべて安し、御神共にませば。」実は、彼は、4人の娘を大西洋での海の事故で失った時、1人生き残った妻を迎えに行くときに、この歌を書きました。1870年代、スパフォードはシカゴで大成功した弁護士でした。不動産も多く持っていました。また、彼は、教会の長老でした。しかし、1人息子を若くして亡くし、その後、1871年10月8日のシカゴの大火事で彼は財産のほとんどを失いました。2年後の1873年、女の子4人を含める一家は、イギリスで休暇を取ることにしました。直前になって、不動産の急な仕事のため、スパフォード自身は、家族と一緒に行かれなくなり、妻と4人の娘を送り出して、彼は、後から行くことにしました。妻と4人の娘が乗ったパリ行きの船は、他の船に衝突され、12分のうちに沈没してしまいました。4人の娘達と共に226人の尊い命が取られました。奇跡的に、妻のアンナは、乗り組み員に救助されました。9日後、アンナは、イギリスから、夫にこの電報を打ちました。「一人だけ、生き残ってしまいました。どうしたらいいんでしょうか?」後、アンナは、こういったそうです。「主は私に4人の娘たちを与えてくれました。そして、4人の娘をと取られました。理由は後で分かるでしょう。」電報を受け取ったスパフォードは直ちにイギリスに向かいました。大西洋を横断していて、スパフォードの4人の娘が命を落とした海域に来た時、彼は、こう書きました。「船が沈没した場所を通過しました。でも、私のいとしい娘達は、ここには、いません。あの子達は、今は、安全なところにいて、子羊(主イエス)に抱(かか)えられています。」この航海の途中で聖歌「やすけさは川のごとく」を書きました。2節には、こうあります。「悪しき者迫りくとも試みありとも御子イエスの血のいさおし、ただ頼むわが身はすべて安し御神共にませば」「すべて安し、御神共にませば。。。すべて安し御神共にませば。」。。コロナヴィルスの恐怖にある中、天地を創られ、全てを治めている方が共にいます。神にあって心は、安らかになるのです。

2.創世記12―26、神は、真実なお方です。18章、神様は、高齢のアブラハムとサライに赤ちゃんを約束しました。サライは、疑いました。が、21章、何年か後に、イサクが生まれました。神様は、約束を守ったのです。神は、私たちと違って、真実なお方です。。。アブラハムは、けして立派な信者ではなかったです。彼は、12章と20章、2回も「サライは、自分の姉妹である」と身を守るために嘘をつきました。私たちは、アブラハムと同じような、罪人です。こうあります。2テモテ2:13「私たちは真実でなくても、彼(神)は常に真実である。。。彼にはご自身を否むことができないからである。」

太文字の「主」のヤーウェーは、神様の最も大事な名前で『約束を守る神』という意味です。また、聖書で鍵となる「慈しみ」と訳されている「へセド」という言葉は、「真実な愛」という意味です。神様は、私達に対して、真実な愛を示すのです。。。十字架上で、マタイ27:46後半「イエスは大声で、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』と叫ばれた」とあります。主は、十字架上で見捨てられたのは、私たちがけして見捨てられないためです。ローマ8:38ー39 「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」復活されたイエス様は、必ず共に一緒にいてくださいます。ずっと。天国まで。コロナヴィルスを恐れる必要はないのです。神は、真実なお方ですから。

マーガレット・パワーズがこの有名な「あしあと」という詩を作りました。「ある夜、わたしは夢を見た。私は、主と共に、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出された時、私は、また、砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。私の人生で一番つらく、悲しい時だった。このことがあまりにも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主に尋ねた。「主よ。私があなたに従うと決心した時、あなたは、全ての道において、私と共に歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番つらい時、一人のあしあとしかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私には分かりません。」主は、ささやかれた。「私の大切な子よ。私は、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとが一つだった時、私はあなたを背負って歩いていたのだ。」。。主は、真実なお方です。この恩方を信じるのです。コロナヴィルスが広がる今も、イエス様の存在を実感しない時も、恐れのある不安な時も、信じ続けるのです。この方があなたのために十字架まで行ってくださったのです。真実です。あなたを背負って下さるのです。。

3。創世記27―50、神は、救い主です。ここに出てくるお主な人物ヤコブには、二つの名前がありました。一つは、ヤコブ。もう一つは、イスラエル。ヤコブは、たくらむ者という意味で、イスラエルは、神が戦う、という意味でした。名前の通りヤコブは、神に頼らない肉的なたくらむ者でした。それでも、神は、恵みを持って、こんなヤコブを守り、救って下さったのです。私たちも、値するから、救われ、守られるのではなく、ただ神の恵みによって、救われ、守られるのです。神は、罪人を救われ、続けて救われるのです。。。でも、ヤコブは、不思議に神と出会って、イスラエルと名が変えらました。彼のために戦ったくださる神に頼るようになったのです。もちろん、私たちは、コロナヴィルスで受け身になってはいけません。しっかり健康を保ち、手洗いをし、差別することなく、人を助けるべきです。でも、最も大事なのは、自分の策略に頼らないで、神に頼って戦ってもらわなければなりません。神からの知恵をいただかなければなりません。全能の救いの神を信じ、その方に頼るのです。このヴィルスの事ででも。

創世記37章から、ヤコブのまな息子ヨセフが創世記の主人公になっていくのです。ヨセフは、他の兄弟に嫌われ、エジプトに送られ、多く苦しみました。しかし、神の予言通り、ヨセフは、復活し、エジプトの総理大臣にまでのぼったのです。それは、カナンに残された彼の家族と当時の世界を飢饉から救うためでした。ヨセフの体験した悪と苦しみは、家族の救いに繋がったのです。神は、救い主です。50:20、ヨセフは、兄弟にこう言いました。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計(はか)らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。」苦しみは、人生にあります。でも、神は、悪をも用いても、救われました。神の栄光となるのです。。。確かに、神は、救い主です。

全ては、コロナヴィルスの脅威も、神のみ手の中にあるのです。こないだ教会でリビング・プレーズの「御手の中で」を歌いました。「御手の中で全ては変わる賛美に、我が行く道を導きたまたえ、あなたの御手の中で。御手の中で全ては変わる感謝に、我が行く道に現したまえあなたの御手の業を。」全ては、このコロナヴィルスの拡大も、主観者である創り主の御手の中にあるのです。また、心配しながらも、神を信じ、この歌にように「賛美」と「感謝」に変わって行くのです。なぜ?全てを治めている創造主、救い主の「御手の中に」あるからです。。。ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」主は、コロナヴィルスのような悪をも用いて、益としてくださいます。神の栄光に変えて下さいます。安心しましょう。

私は、最近、精密検査を受け、30%癌の可能性と聞きました。戸惑います。心配します。しかし、生ける神は、変わらず、創り主、真実な方、救い主です。。。神ご自身が新コロナヴィルスの‘神’対策です。ヴィルスの拡大のニュースなどに圧倒されないで、神様ご自身を覚えて、信じ、安らぎ、愛され、愛するのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿