2019年12月26日木曜日

「極めて重大な質問」マタイ1:18―25


先ず、聖書のマタイ1:18−25を読んで下さい。

「あなたは、サンタクロースを信じますか?」今ごろ見かけるサンタは、本物ではない、と皆んなは分かっています。でも、本物のサンタ、ニコラウス、は、いたようです。「あまりにも貧しくて3人の娘を身売りしなければならない家族があったそうです。教会の司教ニコラウスは、そのことを知って、その家を訪れ、窓からお金を投げ入れたのです。おかげで娘たちが救われたのです。」。。でも『サンタは、本当にいるのか?』よりもずっと大事な質問があります。あなたの人生にとって極めて重大な質問、決定的な質問、必要不可欠ないくつかの質問のいくつかです。。。私たちは、どこから来た?目的は何?問題は何?その解決は?未来には何がある?。。ブレーズ・パスカルは「パンセ」でこう書きました。「人間は自然のうちで最も弱いの一茎(くき)にすぎない、だがそれは考える葦である。」人は、あなたと私は、自然界の中でとても弱い存在です。だが、それでも、限度がありながらも、思ったり考えたりします。。。この五つの質問を一緒に考えましょう。

1。私たちは、どこから来た?偶然に進化したのか?神様が私たちを創ったのか?。。。一般の人は「人間は、どこから来ているか」はと思うのでしょうか?あなた個人は?。。。少し考えましょう。書いたらどうでしょうか?

宇宙や地球や人間は、本当に偶然に出来たのでしょうか?聖書には、こう書いたあります。創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した。」生ける神は、本当に存在し、全てを創られたのです。。。アイザック・ニュートンは、こう言いました。「太陽、惑星、彗星(すいせい)のとんでもない美しい仕組みは、知性と力のある存在の計画と支配からのみ来る。。。」神である設計者が全て創ったのです。

2。私たちの目的は何?私たちは、なぜこの地球にいるのか?どうして存在するのか?。。。一般の人は「私たちの目的は何だ?」と思うのでしょうか?あなた個人は?。。。少し考えましょう。

30年ほど前、私は、広島で伝道していて、教会の姉妹の家に招かれ、家族と共に夕食を食べました。その時に、ご主人にこう聞きました。「あなたは、なぜ存在していますか?なぜ生まれたのですか?なぜ学校に行ったのですか?なぜ働くのですか?」彼は、驚いて、答えられませんでした。考えていなかったようです。

ウェストミンスター小教理問答の最も有名な質問は、目的について書いてあります。「人の生きるおもな目的は何か?」答えはこれです。「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。」極めて大事な目的です。

似たように、聖書から、生きる意義について、次のように書いてあります。二つあります。申命記6:5「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」マタイ22:37、38「そこで、イエスは彼に言われた。『「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」』。。。レビ記19:18「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」マタイ22:39「『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』」と主イエスは、言いました。人間の主な目的は、二つあります。創り主と人を愛することです。。。自殺、孤独死、いじめについて聞くと、日本の社会では、まことの愛をとても必要をとしています。

どうでしょうか?私たち人間は、あなたと私は、キリストの愛を実践していますか?世界は、何か大事なものを無くしては無いでしょうか?何にか間違っていないのでしょうか?

3。私たちの問題は何?どのようにしてこんなに悪くなったのか?どうしてこんなに痛み、死と苦しみがあるのか?。。。一般の人は「人間の問題は何だ?」と思うのでしょうか?あなた個人は?

「世界の悪は、ただ人間の仕業」として理解するのは、あまりにも、足りないと思います。聖書にこうあります。悪の大元はここに書いてあります。創世記3:1―6「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇(の形をとった悪魔)が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。』女は蛇に言った。『私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ」と仰せになりました。』そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」悪魔が人間を誘惑し、人間は、神の言葉によりも、悪魔の言葉に従いました。痛いですが、実は、私たち一人一人には、自己中心的な、神と人を真に愛さない心と罪があるのです。。。憎しみ、争い、戦争、痛み、病、死、温暖化、飢餓、公害の結果は、あまりにも重いのです。

あるイギリスの新聞がこの質問を聞いていました。「世界は、どうしてこんなに悪いの?」クリスチャンの評論家GKチェスタートンは、手紙で短くこう書きました。「Dear Sir, I am. Yours, G.K. Chesterton.」「拝啓、私です。敬具、G Kチェスタートン」。。。
「私です。私が問題です。」。。痛いですが、私も、あなたもそうです。聖書で言う「罪人」です。

4。問題の解決は何?悪の問題に対しての希望は何でしょうか?私は、罪を赦され、罪から解放され、神に受け入れられるのでしょうか?。。。一般の人は「解決は何だ?」と思うのでしょうか?あなた個人は?。。。また、少し考えてみましょう。

聖書は、こう断言しています。主イエス・キリストこそが真の解決で、救い主です。。。神の救いの過程のとても大事な出来事は、クリスマス、キリストの誕生です。。。神の使いは、こう言いました。マタイ1:21「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」名前『イエス』は、『救い主』という意味です。主イエスは、私たちを罪から救うために生まれました。十字架上で私たちの罪を負い、代わりに裁かれました。また、三日後に復活されました。救い主を信じて仰ぐ私たちは、必ず罪から救われる、と聖書にあります。。。さらに、この素晴らしい恵みによって、神を愛し、隣人を愛する力が与えられます。

『お利口だったら、サンタは、子供にプレゼントをくれる』と親は言うのです。でも、救い主イエス様は、サンタクロースと全く違うのです。イエス様は、私のような罪人にプレゼントを与えるのです。私たち罪人を私たちの罪から救って下さるのです。。。イエス様は、スーパーヒーローのようである、とある先生は言いました。ウルトラマン、スパイダーマン、アイアンマンでしょうか?。。。アンパンマンは、スーパーヒーロと言えるでしょうか?でも、アンパンマンは、自分を犠牲にして人を救うのです。アンパンマンは、弱っている「人」に顔の一部を取って、食べさせると、その「人」は元気になるのです。犠牲を払っても、力が減っても、助けるのです。アンパンマンを書いた人[柳瀬崇]は、それを聖書からとったそうです。主イエスは、自分を十字架上で犠牲にして、私たちを救うのです。主イエスは、真のスーパーヒーローなのです。

5。未来には何がある?死の後には、何があるのでしょうか?命があるのでしょうか?。。。一般の人は「未来には何がある?」と思いうのでしょうか?あなた個人は?

主イエス・キリストを信じ仰ぐ時、私たちは、永遠の命、死んでも死なない命、を頂くのです。聖書・ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ジーザス・バイブル・ストーリーで、こう書いてあります。「神様は、この世界をどうしようもなく愛しているんだ。だからそのひとりむすこを与えようと思った。その子のことを信じる人はだれでも、永遠のいのちをもらって、決して死ぬことがないようにね。」主イエスが再び帰ってくださる時に、私たちは、新天新地に置かれるのです。その時、黙示録21:4「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」その時は「なみだも、おそれも、悲しみも、もうおしまい。つかれたり、病気になったり、死ぬことさえも、もうない。」私たちは、神様の豊かな臨在のある新天新地が待っているのです。素晴らしい希望です。

私は、あなたは、どう答えれば良いのでしょうか? 使徒の働き16:30−31「そして、ふたり(の使徒パウロと使徒シラス)を外に連れ出して『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか』と(看守は)言った。ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。」

「信じる」ってどう言うことでしょうか?「信じると似た言葉がいくつかあります。受け入れる、仰ぎ見る、すがる、安らぐ、依り頼む、望む、振り向く。。。ヒマワリが太陽に向くように、神様に背を向けていた私たちは、神様に全身全霊で向くのです。。。10ほど前でしょうか?ある方は、高瀬の教会に来て、私は、信仰を彼に説明しようとしました。『私たちは、背を主イエスに向けて、歩いています。主は、私たちの肩を叩くのです。そして、私たちは、振り向いて、主に向かって歩いて行くのです。また、主と共に歩くのです。』。。このクリスマス、このいくつかの大事な質問をじっくり考え、主イエスを信じ仰ぎ、その後についていきませんか?

また、隣人を愛し、神を愛しませんか?ご存知のように、クリスマスの『クリス』は、キリストのことです。『マス』は、礼拝という意味です。ということは、クリスマスは、キリストを礼拝することです。このクリスマス、この五つの質問を考え、救い主キリストを信じ、崇めませんか?心から!

2019年12月21日土曜日

Trump Should Be Removed from Office


Please read Trump Should Be Removed from Office


"We believe the impeachment hearings have made it absolutely clear, in a way the Mueller investigation did not, that President Trump has abused his authority for personal gain and betrayed his constitutional oath. The impeachment hearings have illuminated the president's moral deficiencies for all to see.... None of the president's positives can balance the moral and political danger we face under a leader of such grossly immoral character." Mark GALLI

"The words that we applied to Mr. Clinton 20 years ago apply almost perfectly to our current president."


"Can we say with a straight face that abortion is a great evil that cannot be tolerated and, with the same straight face, say that the bent and broken character of our nation’s leader doesn’t really matter in the end?"


"We consider ourselves and most people consider us a pretty centrist magazine in the evangelical world. ... We rarely comment on politics unless we feel it rises to the level of some national or concern that is really important. And this would be a case." 

"Pride goes before destruction, and a haughty spirit before a fall." the Bible, Proverbs 16:18


Read more: Can Evangelicalism Survive Donald Trump? 


Sad to say but "People who once called themselves the 'Moral Majority' are now seemingly willing to vote for anyone, however immoral, who supports their political positions."

2019年12月13日金曜日

『新天新地』 ヨハネの黙示録21:1−8


先ず、ヨハネの黙示録21:1−8を読んでください。

あのイギリスの名作家CSルイスは、こう書いています。私たちがもしもこの世界にあって満足できない自分を発見するなら、他の世界のために造られたのでないかと考えなければならない。何かが変なのです。私たちは、この世界に実はフィットしてないいのです。聖アウグスティヌスは、こう書いています。「(神よ)あなたは私たちを、ご自身のためにお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。」

「はじめに神は、天と地を創造された」と創世記1:1にあります。創り主は、素晴らしい宇宙、地球を創りました。交わりを持てるように人間を神ご自身の形に創りました。人間は、神ご自身を自分の拠り所・郷として楽しんでいました。それで、創世記2章、神は、人をエデンの園、地上の故郷の中に入れ、全ては、とても良かったのです。でも、創世記3章、人は、神様の言葉を信じ従うよりも、サタンの言葉に聞き入れました。その時、全てが変わりました。神との深い交わりが閉ざされ、故郷である園から追放されました。この人間の罪の結果、死、病い、飢餓、戦争などが広がって行きました。カインは、創世記4章、自分の兄弟まで殺し、放浪者となったのです。人類は、皆、放浪者となったのです。でも、ルカ15章、勝手な生き方をしても、真面目な生き方をしても、実は、人の心は、神から遠いのです。。。でも、生ける神の愛は、素晴らしいです。全ての人に、御子イエス様を通して、声をかけているのです。救い主イエス・キリストは、自ら天の郷を捨て、十字架上で、こう叫びました。「わが神、わが神。どうして私を見捨てたのですか?」主イエスは、私たちの代わりに、父なる神に見捨てられることによって、私たちを回復し、私たちを迎え入れたのです。私たちは、ただ主イエスを信じ仰ぐことによって、まことの郷である創り主に帰れるのです。主イエスは『全てを回復する』と復活を通して宣言しました。キリストの再臨の時、この世界をエデンの園以上の故郷に回復するのです。。。。。『自分は、この世界は、何か変だ』と思うあなたは、この神、この素晴らしい故郷を待ち望めるのです。。。でも、この故郷は、どのような所でしょうか?

1.1節前半、5節、私たちが待ち望んでいる故郷は、全く「新しい」ものです。この「新しい」という言葉は、4回も出てきます。1節「新しい天と新しい地」2節「新しいエルサレム」5節「すべてを新しくする」。期間のことを言っているのではなく、質(輝き、美しさ、力、鮮明さ)のことを言っているのです。。。アルプスの山々を見ると、素晴らしいです。でも、新天新地は、よりより素晴らしいです。子供がクレヨンで上高地を書いたとしましょう。それを本物の上高地と比較できるでしょうか?比べ物になれません。今の世界は、新天新地と、比べ物にはならないのです。。。私たちの体でさえ真新しくなるのです。私たちの体は、今5感覚を使いますが、新天新地では100感覚、1000感覚でしょうか?。。。新天新地の希望があるから、今全てを治めている方を仰ぎ、今日も新しくされ、力が与えられるのです。

2.1節後半、4節、私たちが待ち望んでいる故郷には、「以前のもの」は全くないのです。1節後半「以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」えー?「海」?海は、当時、悪の象徴でもあったのです。昔の人にとって海は、あまりにも怖いところでした。黙示録を書いたヨハネはエーゲ海の孤島パトモスに流され、波は、止まらなくて、荒れて狂い出す時もあったのです。海さえなければどこまでも歩いて行けるのです。しかし、いずれ、その日には、そんな「海」は無くなるのです。悪は、全てなくなるのです。
4節「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」強調して、徹底的に言われているのです。「もう2度と涙しなくてもよいように、涙の本となる『死』も『悲しみ』も『叫び』も『苦しみ』も、一切をとりのけてくださるというのです。」「新天新地」は、そのような故郷なのです。創り主の親しい愛が見えます。神ご自身が彼らの「涙をすっかりぬぐい取ってくださる」のです。優しいお母さんが子供の涙を拭い去るように。「とても苦しかったね。絶対悲しくさびしかったでしょう。よく耐えたね。えらかった。さあ、わたしが拭いて上げるから。」

3.2節、私たちが待ち望んでいる故郷は、キリストの教会に与えられるのです。2節「聖なる都、新しいエルサレム」は「夫のために飾られた花嫁のように整えられ」た教会の事です。天国に召された小畑進牧師は、この「新しいエルサレム」のことをこう言っています。「この都こそ、教会のヒナ型であり、教会はひたすら『神より』出て、『天より』のものであったことが示されるのでもありました。」キリストの教会は、私たちクリスチャンは、全く新しくされるのです。「花嫁のように」とあります。。。教会は、私たちイエス・キリストを信じる者は、シンデレラのようです。灰で真っ黒になっていたシンデレラは、王子に出会って、美しいシンデレラ姫と変えられたのです。彼女は、素晴らしいウェディングドレスを着て、最高の仕合わせに入ったのです。。。私は、奈帆との結婚の写真がいくつかヘアに飾っています。が、結婚式前に、花嫁衣裳を着つけて、鏡に立ったときの花嫁の声は、こうでないでしょうか?「あ―れえ?これ私!」私たち、キリスト者も、そうです。罪の中にいた者が、美しい主の「花嫁」となったのです。この教会、この私たち、が新天新地に預かれるのです。

4.3節、6節前半、私たちが待ち望んでいる故郷は、生ける神が豊かに臨在するところです。三回かさねて書いてあります。「神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて。」地上の故郷の新天新地以上に、神様ご自身が真の故郷なのです。。。「幕屋」は、神の臨在を意味しています。昔、神殿が建てられる前、荒野をさまようイスラエルの民の間に、幕屋が建てられ、神がそこに特別にいたのです。後、イエス様が体を持って来た時、キリストが私たちの間に住まわれた「幕屋」だったのです。でも、この箇所のように、終わりの時には、神は完全な栄光のうちに現れて、人々の中に宿るのです。私たちの故郷の「新天新地」にさらに、真の故郷だる神ご自身が確かに豊かに臨在するのです。。。これで、また神の愛を実感します。小畑進牧師はこう言っています。「これこそ、エデンの再現よ、という人がいます。たしかに、あのエデンでは、アダムは神と言葉をかわしていました。でも、でも、それは不安定でした。壊(こわ)れる状態でした。しかし、ここはや恒久不変な(こうきゅうふへん:いつまでも変わらない)のです。神は私たちと住み込まれてしまうのです。」私たちは、今日でも、神の臨在を実感しています。けれども、将来、私たちは、神とともにいわゆる「住み込む」のです。これほど豊かで、私たちを潤すことはないのです。その時、神をもう見失おうにも見失うことができないのです。栄光の恵み深い神と面と向かって住むのです!

5.5節後半、6節前半、私たちが待ち望んでいる故郷は、本当にある所です。このような新天新地のような『話は良すぎる』と思うのです。夢か!?と思うのです。だって、当時、ヨハネは、島流しされていたし、教会は、迫害にあったのです。今でも、新天新地は「現実離れ、科学的ではない」と言ってしまうのです。でも、こうあります。重ねて言っています。5節後半「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である」のです。夢でも、妄想でもないのです。6節前半、もうすでに、起こったかのように「事は成就した」と言っているのです。また、生ける神は「アルファであり、オメガである。最初であり、最後である」神です。聖書の神は、事を始めて、事を全うする真実な神です。神は、最後までこれを見届けるのです。。。人間の改革は、いずれも中途半端で、時とともに汚れて、腐敗して行きます。新大陸のアメリカも古び、病める世界となりました。明治維新もそうです。昔の宗教改革者も、こう言っています。「改革された教会は、また常に改革されて行かなければならい。」でも、この箇所の本当に実現する新世界は、決して古びることはないと、主は保証しているのです。。。人間は、ものごとを始めます。が、最後まで見届けません。画家のアトリエには、描きかけたままの捨てられているカンバスがホコリをかぶっています。けれども、神のアトリエでは、すべて完成しているのです。現在は、神の救いの計画は、途中であって、私たちから見て、チグハグに見え、何の意味もないような、理解しにくい点や線だけがあるようです。でも、完成すると、神の救いの計画の全体像が見え、私たちは、驚き、感動する時がきます。今でも、感動し始めているのです。

6.6節後半、7節、私たちが待ち望んでいる故郷は、「乾く者」と「勝利する者」に与えられるのです。6節後半、「乾く者」。山の峠(とうげ)の茶屋の風景のようです。長い旅をし、江戸から中山道を歩いて軽井沢の宿の手前にある茶屋のようです。喉渇いた旅人は、年老いたおばあちゃんからお茶と団子をふるまってもらうのです。天と地を創った方が、十字架にかかれた方が、その大いなる御手で、また、その釘の跡の手で、私たちをもてなし、喉を潤して下さるのです。それもまた「価なしに。」一銭も払わないで。。。こう思うのです。「そうです。わたしは、不十分で、罪深い汚い者です。が、私は、渇きます。渇きます。主イエスよ、私は、あなたを必要としています。」恵みによって、新天新地に入れて下さるのです。。。そして、7節、「乾いた者」が「勝利する者」となるのです。私は、高校生の頃、何回も、レスリング大会で、審判によって手を高く挙げられました。トロフィーも、もらいました。主は、恵みに生かされた、主を信じ続ける者の手を上げ、勝利者であることを述べて下さいます。。。さらに、神の感動が伝わってきます。「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの子となる!」私たちを子とする、親となった主の感動です。

7.8節、私たちが待ち望んでいる故郷は、「火と硫黄との燃える池」と全く違うのです。心が乾いてない者、勝利を得ていない者が、この8節のリストに出てくるのです。「おくびょう者、不信仰の者」等です。「受ける分は、火と硫黄との燃える池。。。これが第二の死」です。。。「地獄」を語ると、世間は、笑います。あるクリスチャンは『神は、愛ですから、永遠の裁きはない』と言ってしまうのです。私たちは、しばしば聖い聖なる生ける神様よりも、都合の良いような自分の思いで作った『神』が欲しいのです。神の正しい裁きを聞きなくないのです。でも、聖書は、真実です。真の神には、慈愛と正義の両面があるのです。「火と硫黄との燃える池。… 第二の死」は確かにあるのです。使徒信条にこうあります。「生きている者と死んでいる者とを審(さば)かれます。」。。私は、あなたは、どうでしょうか?主イエスを確かに仰ぎすがっていますか?極めて大事なことです。あなたの家族は?友達は?隣人は?。

同じ使徒信条に、主キリストは「陰府(よみ)にくだった」とあります。不思議に、イエス様は、死なれた時に、火と硫黄との燃える池」まで下ってくださったのです。ここに神の聖さと愛があるのです。私たちが永遠の郷、新天新地に預かれるように、主は、天の郷を離れ、十字架上で私たちの代わりと成って罰を受け、地獄まで行って下さったのです。私たちが郷に神に帰れるように、新天新地の恵みに預かれるように、安らげるように。そこまでしてくださったのです。恩方を真に信じ仰ぎ安らぎましょう。恩方を真に信じ仰ぎ安楽がなければなりません!必ず!絶対!

2019年12月5日木曜日

「キリストだけを崇め」


「私は、心を貧しくし、自分を空にし、へりくだり、キリストだけを崇め、この方の救いを受け、この方に近づくことを心に思うことが大好きです。キリストに生まれ、キリストのように生きるために完全に自分自身の根から切り離され、キリストにある神を私のすべてのすべてとすることが大好きです。」ジョナサン・エドワーズ


「私にとっては、生きることはキリスト」ピリピ1:21