2020年8月2日日曜日

「私の福音」 ローマ1:15−17


ローマ1:15−17を読んでう下さい。「そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音を宣べ伝えることなのである。わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。」

私は、小さい頃から、聖書に触れ、ヨハネ3:16、エペソ6:1などの聖書箇所を暗記させられました。『させられた』を強調しています。いやだったのです。8才の頃、アメリカに行きました。父が何回もいろんな教会でメッセージし招きをした時、私は、前に行きました。しかし、福音がピント来ませんでした。で、Evangelineおばちゃんが福音を分かりやすく話しくださいました。おばちゃんは、Maxwellおじいちゃんの家に来て「字の無い本」を通して、分かりやすくイエス様と十字架を説明し、私は、本当に信じました。また、間もなく、洗礼を受けました。。。。。

 

でも、私は、ずっーと、福音が義認(救い)のためだけにあると思い、聖化(成長)の為にでもあるとは知りませんでした。クリスチャン生活の『はじめの一歩’』は、キリストだと思いましたが、その次のマラソンは、実際は自分の頑張りだと、思っていました。私は、高校の頃から、先輩の歩みを見て、聖書を読むようになり、クリスチャン生活を具体的にしはじめました。7年間、聖書大学や神学校に行き、10年間、TEAMの宣教師などをしました。。。しかし、何か変でした。私は、ただただ疲れていました。霊的に燃え尽きていたと思います。なぜなら、私には、結構強い意志があったので、それによって聖くあろうと思っていました。でも、余りにも、落ち込んだり、怒ったりたり、思い煩ったりしていました。しっかりリードするつもりでしたが、家内や子供をコントロールしすぎました。。。何か間違っていたのです。

 

ある時期、私は、聖書と祈りの時間で、出エジプト記を学んでいました。気が付いたのです。20章の『十戒』の前には、イスラエルの救いと贖い。後には、天幕と犠牲。20章の掟を囲んでいたのは恵みでした。また、次に、マルコを学んで、ポイントは単純で、キリストとその十字架の贖いで、それに対するシンプルな信仰の従順でした。。。で、ちょうどその時に、ジャン兄がチルダズ博士の「人を造り変える福音の力」のテープをくれました。聞いたら『これだ!』と思いました。福音の力によって、私たちがキリストの姿に創り変えられることを強調していました。。。でも、神は、私に深い試練を与えて下さいました。私たちが再びTEAMの宣教師として日本に帰れるように、アメリカの母教会に行きました。でも、違うページにありました。ちゃんとした仕事が見つからなかったし、人間関係が崩れて行きました。悲しいことですが、自分の命を取ることさえも考えたくらいでした。。。でも、そのどん底に神の恵みがあったのです。家内の古里のこの香川の高瀬に住み、開拓伝道をしはじめました。そこで、ニューヨークの長老教会のチモシー・ケラー牧師の本を読み、インターネットでメッセージを聞きはじめました。有名な本で、日本語にも訳されている「放蕩する神様」を読みました。私は、福音によって、変えられはじめました。「私の福音」になりはじめたのです。私の個人礼拝の時間で、先ず神との交わり、私を贖ったイエスを礼拝することを強調しはじめたました。。。家内と子どもとの関係が変わりはじめました。前のように怒ったり、落ち込んだり、思い煩ったりしなくなるようになりはじめました。。。メッセージは、前と同じ聖書講解説教でした。が、内容は、キリスト中心、福音中心、恵み中心のメッセージに変化しはじめました。課題の多い私には、イエス様の十字架しかなかったのです。

 

ローマ1:15−17「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」

 

7節を見ると、明らかにこの箇所とローマ書全体が、主にキリスト者に書かれてある、と分かるのです。そうです。「福音は、救いを得させる神の力」は、クリスチャンに語っているのです。その力が特にクリスチャンに及ぶのです。。。知っている通り「力」という言葉は、ギリシャ語で”dunamis”で、ダイナマイトという言葉の語源です。ローマ書の全体を見ると、破壊力のある力では無く、人を救う、変える、癒す、聖くする「力」を意味しています。。。。。新たに、信じて、すがるのです。続けて。主イエス・キリストご自身、その十字架の愛、その復活の力があなたを救い、変え、癒し、聖くして下さるのです。

 

「信仰に始まり信仰に進ませる」は、ギリシャ語では’ek pisteos eis pisten‘です。最初から最後まで信仰という意味です。パウロは、それを、旧約聖書のハバクク2:4で強調しました。「義人は信仰によって(現在形)生きる」と引用し、キリスト者の全生涯が信仰(信じ仰ぐこと)の土台によって継続されて行くことを言っています。信仰によってはじまり、行いによって進むのではなく、常に信仰によって進むのです。そして、行いがそこから溢れ出る実なのです。。。あなたは、力んで、ただ頑張って、疲れていませんか?あなたも、私も、全ての源である主イエスを常に信じ仰いで生きるのです。主を力、源、原動力とするのです。そうすると、主は、恵みから、愛などの豊かな実を下さいます。真実な愛を実践するのです。

 

ローマ書全体が、キリスト中心、十字架中心、恵み中心であることを教えています。ローマ章12:1、パウロは「そういうわけですから」と書いて、ローマ1章〜11章のキリストの恵み深い福音を、読者に『振り替えるように』と語っています。「兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに(ローマ1章〜11章)、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」全身全霊を神に捧げることを促す前に、愛の道に歩むように語る前に、聖くありなさいと教える前に、パウロは「神のあわれみ」をまた繰り返し、強調しています。

 

私たちの一番大きな罪は、この福音を常に信じないことではないでしょうか?私は、そうです。十字架の愛が十二分であっても、今のその「力」が及んでいることを信じない時が多すぎないのではないでしょうか?有名なピューリタン、ジョン・オーウェンは、こう書きました。「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」それに対してナビゲターズのジェリー・ブリジェスはこうコメントしました。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことである、とオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」。。。主の犠牲的な愛を信じるのです!新たに信じるのです!私も、あなたも。

 

今が「危機の時代」であることは明白です。パンデミックのような危機にあるのです。でもそれ以上に、日本の教会が危険で、苦しんでいるのです。香川の教会は、苦しんでいます。あの教会も、あの牧師も。牧師の高齢化、病気。ある教会は、礼拝人数は5名とか。。。引退した村瀬牧師はこう書きました。「教会の福音伝道に無くてならないものは、教会の裃(かみしも)ではなく、福音そのものの輝きではありませんか。十字架と復活の福音は、それを聴く者に、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子とされる特権を与えます。この福音が率直に告げられ、受け入れられる礼拝は、神の恵みへの感謝の応答として、明るく楽しく、愛と喜びに満ちています。それこそ、救いを求める人々の必要に応えるものなのです。」教会とクリスチャンの中で、福音が輝くと、外にも輝くのです。人々は、その魅力に引かれるのです。。。ですから、福音に活きようではありませんか?「私の福音!」先ずは福音を自分に語り、でもまた隣人に伝えようではありませんか?

 

「数年前のことですが、ナビゲーターの有力なリーダー(ジェリー・ブリジェズ)が、数100人ものクリスチャンの前で話していました。彼自身の福音に対する見方が、彼のクリスチャンリーダーとしての仕事を阻んでいたということを明らかにしました。。。彼は、こう言いました。「自分の人生を一本の線で表わすことを考えてみて下さい。一番左側にある点を、あなたが生まれた時としましょう。そして一番右側があなたの死です。真ん中にあなたがクリスチャンになったことを示す十字架をおいてみてください。生まれてから十字架までの間で、あなたに一番必要だったものを一言で言い表すと何ですか?」ほとんどの人は『福音』であると答えました。彼は続けました。「それでは、十字架からあなたの死までの間で一番必要なものは何ですか?」『成長』と答える人もいれば、『聖化』と答える人もいました。彼は、こう告白しました。「以前の私でしたら、きっと皆さんに賛成したことでしょう。ナビゲーターとして、私なら多分『弟子訓練』と答えたことでしょう。しかし今の私は、それは『福音』であると答えます。」『私の福音!』 はじめから最後まで福音です。。。スチブン・チルダーズ博士は、こう書きました。「グッドニュース!クリスチャンにとっての素晴らしいニュースは、私たちの冷たく、かたくなな心のための神様の治療法があるということです。その治療法は、人の心を変える福音の力にあるのです。そしてその治療法は、私たちの再生だけでなく、私たちがキリストの似姿に変えられることをも目的とします。そしてその目的は、ただ単に罪の赦しを得させるだけでなく、私たちが神を真実に礼拝し、人々を愛する者へと変えるのです。」

 

福音は、クリスチャンの全ての領域(教会、家庭、学校、会社、近所、娯楽)全てに適用されるのです。なぜなら救い主は、主(全ての全ての主権者・王)であるからです。。。私の個人の聖書の時間からはじまるのです。で、妻に対する態度—エペソ 5:25「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」十字架が力の源でもあるし、模範でもあるのです。他も。子供と接す時も、教会で奉仕する時も、仕事する時も。。。

 

でも、また、プロテスタントとして、私にとって大事なメッセージの分野も。神学校の元学長・ブライアン・チャペル氏はインタビューでこう答えました。「福音中心、恵み中心、キリスト中心の説教が語られるべきだということです。恵み中心ということは、自分自身の生き方に焦点を当てて、罪悪感や自分の行いからではなく、神からの愛によって私はきよくなりたいという願いを伝えることです。神の愛を深く知ることによって、人はきよくされるのです。。。恵みによる救いが分かることが必要です。自分の努力や行いではなく、神が愛してくださっているという、神の愛によって動機づけられた人は、神が愛するように動きます。この恵みは、聖書全体に表されているので、教会がこれを発見するならば、新しい力になります。」福音は「神の力」で、私たちを造り変えます。「私の福音」です。

 

私は、しばしば失敗します。家内に聞いてください。落ち込む時あるし、わがままな時あるし、人を避難する時もあるのです。また、その他も。でも、福音は、この私でさえも変えてくださっています。この「私の福音」は、あなたの福音にもなって欲しいのです。心から。本当に。新たに、主イエスとその贖いの魅力を味わって喜ぶのです。福音によって続けて活かされるのです。そして、福音を表し、宣べ伝えるのです。


2020年8月1日土曜日

福音中心、恵み中心、キリスト中心の説教が語られるべき



「福音中心、恵み中心、キリスト中心の説教が語られるべきだということ。恵み中心ということは、自分自身の生き方に焦点を点当てて、罪悪感や自分の行いからではなく、神からの愛によって私はきよくなりたいという願いを伝えることです。神の愛を深く知ることによって、人はきよくされるのです。。。。恵みによる救いが分かることが必要です。自分の努力や行いではなく、神が愛してくださっているという、神の愛によって動機づけられた人は、神が愛するように動きます。この恵みは、聖書全体に表されているので、教会がこれを発見するならば、新しい力になります。」ブライアン・チャペル


「しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。。。」聖書・1コリント1:23




2020年7月26日日曜日

恵み、愛、福音、十字架


「何年も前に私が到達した結論は、福音派のクリスチャンたちがかかえる感情の問題には、重大な要因が二つあるということだった。一つは、神の無条件の恵みと赦しを理解し、受け取り、それによって生き抜くことに失敗したこと。もう一つは、その無条件の愛と赦しと恵みを他の人々に与えることに失敗したことである。

聖書・ヨハネを受けたのである。」



「あなたが父なる神に課す最大の悲しみと重荷、そして最大の不親切は、神があなたを愛しているということを信じないことである。」ジョン・オーウェン


それに対してナビゲターズのジェリー・ブリジェスはこうコメントしました。「父なる神の最も大きな悲しみは、私たちが神の名を汚す恥ずべき罪を犯すことである、とオーウェンが語るのであろうと予想していたかもしれない。確かに罪は神を悲しませるが、オーウェンは、神の愛を疑うことはもっと神を悲しませると言っている。」



「教会の福音伝道に無くてならないものは、.... 教会の裃ではなく、福音そのものの輝きではありませんか。十字架と復活の福音は、それを聴く者に、罪の赦しと永遠のいのち、そして神の子とされる特権を与えます。この福音が率直に告げられ、受け入れられる礼拝は、神の恵みへの感謝の応答として、明るく楽しく、愛と喜びに満ちています。それこそ、救いを求める人々の必要に応えるものなのです。」村瀬俊夫

「数年前のことですが、ナビゲーターの有力なリーダー(ジェリー・ブリジェズ)が、数100人ものクリスチャンの前で話していました。彼自身の福音に対する見方が、彼のクリスチャンリーダーとしての仕事を阻んでいたということを明らかにしました。。。彼は、こう言いました。「自分の人生を一本の線で表わすことを考えてみて下さい。一番左側にある点を、あなたが生まれた時としましょう。そして一番右側があなたの死です。真ん中にあなたがクリスチャンになったことを示す十字架をおいてみてください。生まれてから十字架までの間で、あなたに一番必要だったものを一言で言い表すと何ですか?」ほとんどの人は『福音』であると答えました。彼は続けました。「それでは、十字架からあなたの死までの間で一番必要なものは何ですか?」『成長』と答える人もいれば、『聖化』と答える人もいました。彼は、こう告白しました。「以前の私でしたら、きっと皆さんに賛成したことでしょう。ナビゲーターとして、私なら多分『弟子訓練』と答えたことでしょう。しかし今の私は、それは『福音』であると答えます。



グッドニュース!クリスチャンにとっての素晴らしいニュースは、私たちの冷たく、かたくなな心のための神様の治療法があるということです。その治療法は、人の心を変える福音の力にあるのです。そしてその治療法は、私たちの再生だけでなく、私たちがキリストの似姿に変えられることをも目的とします。そしてその目的は、ただ単に罪の赦しを得させるだけでなく、私たちを真実に神を礼拝し、人々を愛する者へと変えるのです。」スチブン・チルダーズ



“Never so safe as when you are emptied of all confidence in self.“ Charles Spurgeon 

2020年7月22日水曜日

Japanese people are longing for true acceptance



“Wherever the gospel is—and gospel purpose and vision—people will be nourished. Japanese people are longing for true acceptance—not based off the superficial performance or work, but rather a Father who loves them and dared to give us his only Son to bring them into his family. Japanese people soak, like sand soaks up the water, when they hear that.”

2020年7月10日金曜日

恵みが踊っているときに


「私は、みんなが知っていることしか知らない。恵みが踊っているときにいあわせたなら、私もそこで踊るべきであるということしか。」W.H.オーデン

聖書・エペソ2:810「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」 

2020年7月3日金曜日

「ダーウィンがきた?!」


NHKの「ダーウィンがきた!」という番組がありますが、私は、少なくても彼の思想は、去って欲しいです。なぜなら、彼の思想は、人種差別を生み出すものだからです。私たちは、あまりにも簡単に、学校で教えているもの、本で読んでいるもの、テレビで見せているものを飲み込んでしまいます。

ダーウィンの思想の中心となて、強力な影響を与えた1859年の本「種の起源」の全ての題名は『自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利なレースの存続することによる、種の起原』です。「有利なレース」とは、有利な種族のことです。すなわち、白色人種が優っている、と言っていたのです。

より具体的に、自身の人種についての考えを”The Descent of Man”(「人間の由来」)で説明しました。「ヨロッパの西の国は、今、自分の野蛮な先駆者より、計り知れない程上回っているので、人類の頂点に立っている。。。人類の文明的な人種は、ほぼ確実に世界中の野蛮な人種を根絶させ、置き換えるでしょう。」(私訳)英語はこうです。”The Western nations of Europe . . . now so immeasurably surpass their former savage progenitors [that they] stand at the summit of civilization. . . . The civilized races of man will almost certainly exterminate and replace the savage races through the world.”

このダーウィンの思想によって、アメリカ人は、ネーチブ・アメリカ人(インディアン)を虐殺しました。ドイツのナチスは、ユダヤ人600万人をホロコーストで根絶させようとしました。旧ソ連(ロシア)は、ロシヤ人でない方の絶滅させようとしました。セルビア人は、クロアチア人のジェノサイドをはかりました。オーストラリア人やニュージンランド人は、アボリジニーやマオリ族にも、同じようにさせようとしました。アメリカは、似たような態度を日系アメリカ人にも示し、第二次世界大戦、収容所に入れました。私は、ダーウィンの思想は、アメリカの今のジャージ・フロイドのような人種差別事件にも大きな影を及ぼしていると思います。

聖書には、進化論的ダーウィニズムと違って、生ける神が全てを造ったとあります。「はじめに神は天と地とを創造された」創世記1:1。そして、創世記1:2627にこうあります。「神はまた言われた、『われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう』。 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」人間は、神ではないですが、かっみと交わる可能性のある存在です。

「神のかたち」のレンズで、人類全ての方々を神の目から見る必要があります。確かに、人類は、アダムとエバに罪のよって、堕落しました (創世記3章)。ですから、傲慢、差別、偏見があるのです。人間は、その罪によって、ひねくれてしまったのです。

でも、直感に反するものですが、同時に、人間は、尊いのです。エレミヤ43:4前半「あなたは私の目には高価で尊い、わたしはあなたを愛している」と生ける神は言っているのです。ローマ5:8「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 」

生ける神は、差別なく世界の人種、国々の人を造られ、愛しているので、私たちも、全ての人を含む「隣人を自分のように愛する」のは当然のことです(レビ記19:18、マルコ12:31)。