2021年4月21日水曜日

キリストにおいて取りあげたもう


「われわれの犠牲の中には本質的に神に喜ばれるような清らかさは決して見られないからである。かって、われわれは自己を完全に放棄したことがない。いまだかって、われわれは善をなす熱意も辛抱も、十分になしたこともない。それゆえに、われわれのわざは不完全であり、多くの悪徳に包まれている。。。われわれのわざが喜ばれるのは、それらのわざによる十分の功績によるのではなく、キリストを通ずることによってである。そして、このことは、神がそれ自体ではなんの値打ちもない人間のわざを、キリストにおいて取りあげたもうほど、やさしくわれわれを遇(ぐう)したもう、とわれわれのうちに烈しい(はげしい)愛着を燃えたたしめるのである。」ジョン・カルヴァン

「しかし、以前は(神から)遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの(十字架の)血によって近い者とされたのです。」聖書・エペソ2:13

2021年4月11日日曜日

What Jesus Christ the Son of God hath done for me

 

“Here I must take counsel of the gospel. I must hearken to the gospel, which teacheth me, not what I ought to do, (for that is the proper office of the law), but what Jesus Christ the Son of God hath done for me: to wit, that He suffered and died to deliver me from sin and death. The gospel willeth me to receive this, and to believe it. And this is the truth of the gospel. It is also the principal article of all Christian doctrine, wherein the knowledge of all godliness consisteth. Most necessary it is, therefore, that we should know this article well, teach it unto others, and beat it into their heads continually.” Martin Luther


「ここで私は福音の助言を受けなければなりません。 私は福音に耳を傾けなければなりません。福音は私がすべきことではなく(それが律法の適切な役職であるため)、神の子イエス・キリストが私のためにしてくださったことを教えてくれます。 私を罪と死から救うために死に苦しまれたのです。 福音は私にこれを受け取り、信じるように促します。 そして、これが福音の真理です。 それはまた、すべてのキリスト教の教義の主要な事柄であり、すべての神よりの敬虔さの知識が成り立っています。 したがって、最も必要なのは、この事柄をよく知って、他の人に教え、絶えず彼らの頭に打ち込む必要があるということです。」 マルティン・ルター


2021年4月4日日曜日

「神を知っている人々は、何よりも先ず祈る人々であります。」

 

「神を知っている人々は、何よりも先ず祈る人々であります。そして、神の栄光のために彼らが抱いている熱心さと力とは、まず、祈りによって示されるのです。ダニエル書九章においてダニエルが『文書によって』、イスラエルの補修の期間が終わりに近づいていると予告されているのを知ったとき、そしてまた、自分の罪が、依然として、あわれみでなく、神の裁きを招くようなものであることを知ったとき、『顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願いを求め』る決心をし(三節)、エルサレムの回復のために、われわれのほとんどが知ることもできないような、はげしいと熱意、苦難と精神的苦悩をもって祈りました。しかも、神を正しく知ることの変わることのない結果は、神のために祈る力が与えられることでありーまことに、肉的緊張の唯一はけ口であり、救いとして祈りに注ぎ込まれる力であります。そして、神についての知識が増せば増すほど、力が増すのです。このことによって、われわれは、自分自身を試すことができます。われわれは、おそらく、不敬虔や背教に対して、公の行動をとるような地位にはいないでしょう。あるいは、年を取っているか、病人であるか何らかの意味で肉体的状態に限界があるかもしれません。しかし、毎日の生活の中で、われわれの周囲に見られる不敬虔や背教について、祈りことは、だれでもできます。しかし、われわれの中にこのような祈りをなす力が少しもなく、祈りの結果も少しもないなら、それはわれわれが神を少しも知っていないということの、確かな証拠であります。」ジェームズ・パッカー、「神について」