マタイ1:18―25を読んでください。
Question!「あなたは、サンタクロースを信じますか?」今ごろ見かけるサンタは、本物ではない、と皆が分かります。でも、本物のサンタは、実際いたようです。3世紀ごろ、あまりにも貧しくて、3人の娘を売らなければならない家族あったそうです。教会の牧師ニコラウスは、そのことを知って、その家を訪れ、窓からお金を入れたのです。おかげで娘たちが救われたのです。。。『サンタは、本当にいるのか?』よりもずっと大事な質問があります。あなたの人生にとって極めて重大な質問、決定的な質問、必要不可欠な質問です。。。私たちは、どこから来たか?目的は何か?問題は何か?その解決は?未来は?。。。パスカルは、パンセでこう言いました。「人間は自然のうちで、最も弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。 だが、それは『考える葦』である。」クリスマスの今、このいくつかの「極めて重大な質問」を共に考えましょう。
1.私は、どこから来たのか?「人間は単なる、原因と結果の産物である」と言う人がいますが、人間は、偶然に進化したのでしょうか?それとも、神様が人格的に私たちを創ったのでしょうか?どうでしょうか?あなたはどう思いますか?
聖書は、こう言っています。創世記1:1「初めに、神が天と地を創造した。」生ける神は、本当に存在し、全てを創られたのです。私たちを人格的に創りました。。。アイザック・ニュートンは、こう言いました。「太陽、惑星、彗星(すいせい)のとんでもない美しい仕組みは、知性と力のある存在の計画と支配によってのみ来る。」。。マイク・シュリーブは、こう言っています。「神の存在を疑う人もいますが、自然そのものが、神という観念を私たちの心に刻み込みます。花の繊細(せんさい)な美しさ、人間の体の複雑さ、宇宙の広大さ。それについて思いめぐらす時、すべてのものを造った偉大な存在に畏敬の念を抱かずにはいられません。」
2。私の目的は何? 私たちは、なぜこの地球にいるのか?どうして存在するのか?。。。日本の神道は、こう教えています。人生の3つの主なゴールは、一、神々をなだめ、二、亡くなった先祖に拝み、三、神道の教理を守る。。。でも、あなたは、どう思いますか?私たちの目的は何でしょうか?。。。30年ほど前、私は、広島で伝道していて、あるクリスチャンの家に招かれ、家族と共に夕食を食べました。その時に、ご主人に、こう聞きました。「あなたは、なぜ生まれたのですか?なぜ学校に行ったのですか?今、なぜ働いているのですか?」彼は、驚いて、答えられませんでした。
ウェストミンスター小教理問答に、私たちの目的について書いてあります。「人の生きるおもな目的は何か?」答えはこれです。「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。」。。似たように、聖書から、生きる意義について、主に二つある、と教えています。申命記6:5「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」レビ記19:18「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」イエス・キリストがこれを引用し、強調しました。
シュリーブ師は、こう例えています。「子宮の中の胎児は、頭を下げた状態で生まれてくるのです。もしかすると、これは私たちすべてが、ただ一つの最も重要な目的のために造られたことを、創造主がほのめかしているのではないでしょうか?それは、私たちのすべての日々を、神の御前で『頭を下げ』誉め讃えて生きるように造られたのではないでしょうか?」
でも、どうでしょうか?私たち人間は、あなたと私は、これを実践しているでしょうか?。。。そうです。正直であれば、私たちは、心を尽くしで神を愛していないのです。隣人を自分自身のように愛していないのです。ここに人類の課題が生じて来るのです。
3。私たちの問題は何?どのようにしてこんなに悪くなったのか?どうしてこんなに痛み、死と苦しみがあるのか?なぜコロナがあるのか?。。。あなたは、どう考えていますか?
聖書は『人類の問題、苦しみなどは、私たちの罪から来る』と教えています。『原罪』とも言います。聖書の最初の創世記3章を読むと、悪魔が人間を誘惑し、人間は、神の言葉よりも、悪魔の言葉を聞き入れ従った、とあります。で、アダムたちだけが罪に落ちいただけではなく、ローマ3:23、それによって「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ」ない、とあります。。。ある人は、聖書を道徳書、良い教え、模範の書として読みます。そう言う面はもちろんあるでしょう。でも、聖書の最も大事なポイントの一つは、先ず、人間の堕落と罪です。人間の課題が真実に描かれています。確かに、人間は、神に似せて造られ、尊い者です。でも、聖書は、それと同時に、人間の罪も、問題として大きく掲げています。この点で、聖書は、他の哲学や宗教とは全く違っているのです。人間について綺麗事、都合良い、カッコ良いことを言わないのです。聖書は、真実を語るのです。人間は、同時に、被害者でもあり、加害者でもあるのです。クリスチャンを含め、私たちには、課題が山ほど残されているのです。これは、聖書以外でも、すぐに分かります。新聞、テレビ、インタネットは、人間の罪を鮮明に解説しています。。。それで、アダムと人間の罪の悲しい結果、憎しみ、妬み、傲慢、争い、戦争、痛み、涙、飢餓、公害、病い、死、苦しみ、今のコロナヴィルスが世界に広がって行っています。この人間の罪の結果も、実に悲しい事実です。
あるイギリスの新聞がこの質問を聞いていました。「世界は、どうしてこんなに悪いの?」クリスチャンの評論家GKチェスタートンは、手紙で短くこう書きました。「Dear Sir, I am. Yours, G.K. Chesterton.」「拝啓、私です。敬具、G Kチェスタートン」。。。「私です。私が問題です。」。。私も、そして、あなたもそうです。私たちは、正直でなければなりません。生ける神を愛さない、隣人を愛さない罪を認め悲しむ必要があるのです。。。で、真の解決、救いと希望の道を探さなければなりません。
4。問題の解決は何?悪の問題に対しての希望は何なのか?私は、罪から解放され、罪を赦され、神に受け入れられるのか?。。。あなたは「解決は何だ?」と思いますか?
聖書は、断言しています。あなたの道徳は、あなたを救えないのです。主イエス・キリストご自身こそがだけが真の解決で、救い主である、と。。。今世界中でお祝いしているクリスマスーキリストの誕生―が神の救いの過程の中でのとても大事な出来事の一つです。神の使いは、こう言いました。マタイ1:21「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」主イエスは、私たちを私たちの罪から救うために生まれました。主イエスは、死ぬために生まれたのです。罪のない恩方が十字架上で私たちの罪を負い、代わりとなって裁かれました。。。考えてください。なぜ苦しみがあるのでしょうか?神の愛を疑う人もいます。神様が私たちを愛していないからではないのです。なぜなら、聖書の生ける神は、苦しまれた十字架の神です。十字架まで行って私たちを救う愛の神です。。。また、三日後に復活されました。救い主を信じ仰いだ私たちが救われ、赦され、支えられ、活かされるのです。。。また、神の愛によって愛するように変えられて行くのです。
アメリカでは『お利口だったら、サンタは、子供にプレゼントを上げるよ』と親は言うのです。でも、救い主イエス様は、サンタクロースと全く違うのです。イエス様は、私たち罪人を救うために来たのです。お利口だからではないのです。。。イエス様は、スーパーヒーローのようです。ウルトラマン、スパイダーマン、アイアンマン!?。。。アンパンマンは、スーパーヒーロと言えるでしょうか?でも、アンパンマンは、自分を犠牲にして人を救うのです。アンパンマンは、弱っている人に顔の一部を取って、食べさせると、その人は元気になるのです。犠牲を払っても、力が減っても、助けるのです。アンパンマンを書いた方柳瀬たかしは、それを聖書からとったそうです。イザヤ53:5後半「彼(イエス・キリスト)の(十字架の)打ち傷によって、私たちは癒された。」アンパンマンは、自分の身体の一部をあげるだけですが、主イエスは、ご自身の命を捧げ、実際に死なれたのです。。。私たちには、主イエスとその十字架によって、罪から救われる確かな希望があるのです。問題の解決は、恩方救い主イエス・キリストです。
5。未来には何がある?死の後には、何があるのでのか?命があるのか?あなたは、どう考えていますか?。。。『「私はどこに行くのか?」が私たちの心の上に黒い雲のように漂(ただよ)っている大きな質問です。未来、死や永遠をじっと見つめると、私たちに必要なのは、ただの理論ではなく、確信です。神との出会いが必要なのです』とシュリーブ師が書きました。
主イエス・キリストを信じ仰ぐ時、私たちは、永遠の命、死んでも死なない命、を頂くのです。ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」主イエスが未来再び帰ってくださる時に、私たちは、新天新地に置かれるのです。その時に、黙示録21:4「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」子供絵本ジーザスバイブルストーリーにこうあります。「なみだも、おそれも、悲しみも、もうおしまい。つかれたり、病気になったり、死ぬことさえも、もうない。」。。コロナもない!。。。私たちは、神様の臨在が豊かにある新天新地に置かれる確かな希望があるのです。
私は、どう答えればいいのでしょうか?。。。使徒の働き16:30−31「… 救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った。…『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と言った。」
「信じなさい!」と言われましたが、信じるってどう言うことでしょうか?信じる、と似た言葉は、受け入れる、仰ぎ見る、すがる、安らぐ、依り頼む、望む、振り向く。。。ヒマワリが太陽に向くように、私たちは、神様に向くのです。ある方は、私たちの高瀬の教会に来て、私は、信仰を彼に説明しました。『あなたは、背を神様に向けて、歩んでいます。神は、あなたの肩を叩くのです。そして、あなたは、神様に向き仰ぐのです。その結果、神様と共に歩めるのです。』
「人間は自然のうちで、最も弱い一茎の葦にすぎない。 だが、それは『考える葦』である。」コロナ禍にあるこのクリスマス、この「極めて重大な質問」をじっくり考えてくださいませんか?あなたは、どこから来たのか?人生の目的は何なのか?問題は何なのか?その解決は何なのか?未来には何があるのか?
今頃よく聞く言葉、見る言葉『クリスマス』と言う言葉は、「クリス」(キリスト)と「マス」(礼拝)の二つの言葉から来ています。ということは、クリスマスは、キリストを礼拝する事です。このクリスマス、救い主イエス・キリストを思い、信じ仰ぎ崇めませんか?
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