2020年11月13日金曜日

「主を体験する」リバイバルについて、エペソ1:15−23、3:14−19


先ず、エペソ1:15−23と3:14−19を読んで下さい。


私はしばしば、自分の心の硬さ、鈍さ、冷たさを感じますが、あなたも「この今の自分で良いのか?」とは思ったことはありませんか?「罪赦され、天国に行けるが、今も、もっともっと主とその恵みを体験したい。多くの方に主の栄光と愛を喜んで欲しい!」。。。これがキリスト者の切実なる願いではないでしょうか?

 

エペソの教会の兄弟姉妹は、1:15、イエス様に対する「信仰」と兄弟姉妹への「愛」は、確かにあったのです。それでも、パウロは、御霊によるさらなる恵みを彼らのために祈るのです。「主を実に体験する」ように。… 1:17、19「知る」、3:18「理解する」という似た言葉が繰り返されています。この「知る」は、頭に詰め込む知識の事ではなく、体験し実感する、直接親しく知る、という意味があります。3:18の「理解する」するは、驚くほど掴み取る、と言う意味です。よりより認識し目覚めると言う意味があります。私たちは、教義を知る必要もあるし、従順に従う必要もあります。でも、ただ頭で知り従うだけではなく、心の奥底まで神とその恵みに感動するように、この両箇所でパウロは祈っています。… この恵みは、特別なクリスチャンだけの体験ではなく、1:18全ての「聖徒」、19節「信じる者」、3:18 「すべての聖徒」誰でもが体験できる恵みです。私も、あなたも。

 

1。1:17、神を知る。私たちは、知識において、神を知って、信じています。でも、ここでは、ただ学問的に「神について」知るように祈っていません。すでに信じ受け入れている素晴しい神御自身を直接実感できるように、祈っています。17節後半「神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなた方に与えてくださいますように。」

 

ブレーズ・パスカルのような体験を引用することによって説明する事ができます。「恵みの年1654年、1123日月曜日、・・・夜10:30を過ぎたあたりから深夜12:00頃、炎。哲学者や学者の神ではなく、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。確信と、心からの喜び、平安。イエス・キリストの神。イエス・キリストの神。『私の神、そしてあなたの神。』・・・喜び、喜び、喜び、喜びの涙・・・イエス・キリスト。イエス・キリスト。」。。このようにパスカルは、神を体験したのです。あなたも、私も、出来ます。その為に祈りましょう。

 

2。1:18、キリストにある遺産を知る。ここでは、「聖徒の受け継ぐもの」とあります。霊的財産を知るように祈っています。文脈を読むと、私たちの遺産は、5節「子」であること、11節「御国」などです。2:6、王子として「天の所にすわらせてくださいました。」この遺産は、すでに私たちのものですが、その遺産をあまり生活していないような気がします。霊的遺産を実感するように祈りましょう。その真実と体験によって遺産を活かしましょう。

 

例えば、ある女の子の孤児が、ある女性と出会います。その女性は『あなたを養子にしましょう』といます。女の子は、理屈などを言って「どのくらいの財産があるか?」と聞きません。ただふところに飛び込みます。母親となった女性は、金持ちだとしましょう。娘となった女の子の小さい頃は、お金は、どうでもいいのです。でも、成人したら、母親は、財産について知って欲しいのです。「心を備えて下さい。あなたの財産は、100億となります。あなたには、これによって、すごい影響力を与え、人を助けられます。」私たちも、キリストなある遺産を深く理解する必要があるのです。。。100億円が銀行に口座があっても、引き下ろして、使わなければ、意味ないのです。でも、活用したら、教育、服、家、車、生活が全て変わるのです。私たちは、キリストにあって考えられないほど霊的に富んでいます。本当に!でも、神様からの遺産をただ持っていることと、実感し、活用することとは全然違うのです。。。キリストにある遺産を実感できるように、どうするのでしょうか?心が爆発するまで、神の「相続人」であることを瞑想し、祈る必要があるのです。エペソ1:3後半「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」

 

3。1:19−23、神の力を知る。神の信じられないような力がすでに私たちの内に働いているのです。20節、キリストの復活と栄光の力です。「キリストを死者の中からよみがえらせた」力です。さらに、さらに22節、「いっさいのものをキリストの足の下に従わせた」力です。… この力が過去私たちを神の子どもにし、今キリストの似姿に変え、将来主イエスの身元まで連れて行って下さるのです。この力をとことん実感するように、とパウロは、祈っています。私たちも、祈るのです。

 

ある方がハイキングをしていると、野原の向こうに家があるのが見えました。家の横には、男の人が激しく手動の井戸から水を汲んでいるような光景が見えました。その男は、ものすごい勢いで、まるで疲れを知らないかのように、上下にポンプを押し続けていました。本当に驚くべき光景なので、その人は、その井戸のほうへと近づいていきました。近づくにつれて、井戸のところにいるのは、男ではなく、男性に見えるように描かれた、木でできた人の形でした。猛スペードで水を汲んでいたと見える腕は、ひじとちょうつがいで繋がっていて、手は針金で井戸の取っ手に繋がっていました。水が溢れ出ていたのは、その木でできた人形によるのではありませんでした。それは掘り抜き井戸で、水がポンプなしでも地上に湧き出てくるので、力強く湧き出てくる水が、その人形を動かしていたのです。… 神の力は、キリストに出会った前から、すでに私たちの内に力強く素晴らしく働いているのです。私たちは、これを深く認識し、「私たちの手を井戸の取っ手に置いておく」のです。祈りを通して、この力を捕らえるのです。

 

4。3:16−17前半、キリストの臨在を知る。この箇所では「キリストが … 心のうちに住んでいてくださいますように」とあります。これは「キリストの臨在」を意味しています。キリストは、常に一緒に、また心にいて下さる、と聖書に書いてあります。が、それを実感しているでしょうか?臨在を体験できるように、祈りましょう。

 

アメリカの牧師ヨナタン・エドワーズが自分の体験についてこう書いています。「1737年、ある時、森の中で馬に乗っていた。静かなところで、馬を下りた。私は、この習慣を普通にしていて、歩きながら神について瞑想し、祈っていた。私は、神と人との間の素晴しい仲介者御子なる神の栄光を見た。彼の素晴しい、偉大な、満ち足りている、清いまた甘い恵みと愛、また謙遜と柔和な謙りを。この恵は、とても静かに心地良く現れ、天より高く偉大なものとして現れた。人としてのキリストは、全ての思いと考えを飲み込むような、言葉で言い表せないほど素晴しい方として現れた。これは、判断出来る限りだいたい1時間続いた。この多くの時間、涙が溢れ、大きな声で泣いた。私の魂が熱心になるのを感じた。他の言葉で言えないが、私は、空にされ、絶やされた気がした。何もない者とされて、ただキリストで満たされた。聖なる清い愛で彼を愛すること。彼に頼ること。彼によって生きること。彼に仕え、従うこと。天からの神の清さで完全に聖別され、清くされること。私は、他の何回も、似たようなことを実感し、似たような効果もあった。」… 主は、近くに、心にいます。主の臨在を実感して祈り、御前に歩みましょう。

 

5。3:17後半—19前半、キリストの愛を知る。私たちは、皆、愛に飢え、人の賞賛が欲しいのです。でも、17節後半、私たちは、すでにキリストの「愛に根ざし、愛に基礎を置かれてい」ます。愛を知っていますが、私たちは、その圧倒的な素晴しさを味わっていないのではないでしょうか?どのくらいの素晴らしさですか?18節後半「その広さ、長さ、高さ、深さ … 人知をはるかに越え」る愛です。この愛を掴み、捕らえたくはありませんか?実感できるように、祈りましょう。

 

ニューヨークでDLムーティーは、このような体験をしました。「突然神は、忘れられないようなふうに下って来ました。(神の)愛があまりにも心に注がれて『止(と)めて下さい』と言わなければなりませんでした。」 … ジョージ・ウィットフィルドは、ある夜祈る時、神の愛の注ぎをあまりにも体験し、眠れなかったことで「主よ、止めて下さい。眠れないです」と言わなければなりませんでした。… ロンドンのCHスポルジョンは、神の愛についてこう書いています。「ある時、神の愛をあまりにも強く体験し、耐えられなかったから、その喜びを止めるように、お願いしなければならなかった。」・・・スペインのアビラのテレサは、こう書きました。「私は、彼の愛に当惑し、酔ってしまいました。私の魂は、叫び、戸惑いました。こんな喜びには、耐えられませんでした。」… 違う時代、文化、性格、伝統の方々が同じキリストの愛に圧倒され、「止めて下さい」まで言わなければならなかったのです。キリストの愛について御言葉によって瞑想し、体験できるように祈りましょう。

 

6。19後半、神のあらゆる素晴らしさを知る。キリスト者は、神のあらゆる属性・特徴を体験し、3:19後半「満たされ」たいのです。

 

主とその属性を体験することは、北アルプス山脈を登ることと似ています。北穂高、涸沢、槍などを登っているのです。19節後半が3,190メートルの奥穂高の最高峰です。… 他の神の属性を含めて、神の栄光、真実さ、聖さ、義(正しさ)、善、知識、知恵、美、喜び、平安、忍耐、親切、謙遜も、味わいたいのです。。。この神の属性をダイヤに例えられます。ダイヤには、いろんな面があります。ダイヤを回すと、それが光ったりして、ダイヤを違った角度から見たりすることが出来ます。神の栄光、キリストのあらゆる「美」を見て圧倒され、喜び、体験し、満たされるのです。体験したことありますか?そのために祈りましょう。

 

どのようにして神を体験するのでしょうか??1:17、3:16「御霊」、神の主権、摂理と恵みによって、神の側から与えられる体験です。。。でも、私たちの側からは「神との交わり」がカギです。ある先生は、こう言いました。「私たちは、主が歩む道の近くにテントを貼る必要があるのです。」聖書を味わい、この真理について瞑想するのです。十字架に架かれた私たちを愛するキリストを崇めるのです。『この真理をとことん知っていると、神との関係、妻、夫、子供、親、同僚、友達との関係は、どう変わるのだろうか?』と自分に問いかけるのです。。。そして、この箇所のように祈るのです。「神とこの恵みを体験させて下さい」と。私は、この両箇所を用いて、さらに目が開かれるように、リバイバルのために常に祈っています。。。私たちは、自らリバイバルを起こすことはできません。それは、神の働きです。しかし、リニューアルは、可能です。私たちは、福音の回復によって、新たにされるように努力はできます。「近くにテントを貼る」ことはできるのです。

 

北海道大学のクラーク博士は、こう言いました。「青年よ、キリストにあってこの老人の如く、大志を抱け!」。。。私たちが慕い求め願っているものは、あまりにも小さいのではないでしょうか?今日の箇所のような素晴しい恵みがあるのです。天地を造られた生ける神、その属性、キリストの臨在、力、愛、遺産をより認識し、体験出来るのです。この恩方を志すほど素晴しいものはないです。この福音が私たち自身を劇的に変え、日本を本当の意味で祝福するのです。

 

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