「しかし、天にも地にも、イエス・キリストの福音において差し出されているものほど、私たちの賞賛と愛に値し、私たちの真剣で熱心な願望と希望と喜びと 烈々たる熱心にとってふさわしい対象があるだろうか。それは、最も私たちの感 情を動かすのにふさわしいものであると宣言されているばかりか、何にもまし て感情を動かすような形で示されているのである。ほむべきエホバの栄光と麗 しさ、それ自体で何よりも私たちの賞賛と愛に値するものが、そこには、考えう る限り最も感情を揺り動かすような形で示されている。なぜならそれは、受肉し て、無限の愛と柔和さと憐れみをお与えになる、死に行く贖い主の御顔のうち に、そのあらゆる輝きが凝縮されてきらめいているからである。神の子羊のあら ゆる美徳、そのへりくだり、忍耐、柔和、服従、従順、愛、同情は、人の心に思い浮 かぶいかなるものよりも私たちの感情を動かすような仕方で、私たちの眼前に 示されている。なぜならそれらが、その最大の試練に会い、最大の働きを見せ、 最大に輝かしく現れるのは、もっとも心揺さぶられるような状況に彼が置かれ たときだからである。それはすなわち、彼がその御苦しみの最後の時にあたっ て、あの、言いようも比類もない苦しみを、私たちに対する慈愛と憐れみによっ て耐え忍んでおられたときにほかならない。そこには、私たちの罪の憎むべき 性質もまた、何にもまして心打つ仕方で現されている。私たちの身代わりにな ることをお引き受けになった私たちの贖い主が、罪のおぞましい結実によって いかに苦しまれたかが、そこに見られるからである。またそこには、罪に対する 神の憎しみと、罪を罰するその御怒りと審きとが、やはり最も心打つ形で現さ れている。私たちは神の正義がいかに厳格で、いかに変えられないものか、ま たご自分にとって無限に愛しく、私たちにとっても愛すべきお方においてすら、 神がいかにすさまじく私たちの罪を罰しておられるか、その御怒りがいかに恐 るべきものかを見るからである。そのようにして神は、私たちの贖いに関する 事柄を、また福音の中で私たちに啓示されている神の輝かしいご経綸に関す る事柄を、あたかも意図的に、すべてが私たちの心の深奥の琴線に触れ、すべ てが私たちの感情を最もはっきり、最も強く動かす形になるように仕組まれた かのように思われる。それゆえ、これしか感情を動かされていない私たちは、 いかに激しく塵に伏してへりくだるべきであろう!」
ジョナサン・エドワーズ
ヨハネ1:16「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」
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