先ず、聖書の2テモテ3:14ー4:5を読んでください。
メッセージを聞く。2テモテ3:14ー4:5・生ける神の言葉
開拓した教会を神に委ね、そこを去る時、使徒パウルは、こう言いました。使徒の働14:22「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った。」パウロのこの一言しか書いてないです。でも、このことこそよく考えて欲しかったのです。『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない。』。。私たちジャンカー家の子供は、そろそろ、皆、家から出て、離れて行きます。親にとってとても辛い時です。が、ジャシュア、シーンとホサーナには、言わなければならない事は「必ず試練にあうよ」。試練は、人生に付き物です。。。私たちの教会の名前は「豊かな命」ですが、誤解しないでください。キリスト教は、御利益宗教でなはないです。人生は、全てバラ色ではないです。トゲも十分にあります。聖書は、都合いいようなことを教えません。真実を言います。この教会も、あなた個人も、必ず「多くの苦しみ」にあいます。この罪のある世界では、必ず。キリスト者だから必ず。『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』のです。
今日の箇所2テモテ3:1には、似たようなことが書いてあります。「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」。。どのような「人々」の時代なのでしょうか?「愛」という言葉を拾ってください。2節「自分を愛する者、金を愛する者」。3節「情け(の愛を)知らずの者」。4節「神よりも快楽を愛する者」。5節、心からの愛は、ない者。6−7、ひねくれた情欲的な愛で「愚かな女たちをたぶらかしている者」。8―13、誠実さ、真理、聖書を大事にしない者。8節「真理に逆らう」とあります。13節、彼らは「詐欺師たち」で、「だましたりだまされたり」する者。真理を愛を持って語らない者です。。。世の中は、冷たいです。ブラック企業、いじめ、孤独死、過労死。最近だったらコロナヴィルスによる差別。愛があまりにも足りないです。でも、教会も冷たい時があります。形式をあまりにも重んじ、人を忘れるのです。世間は、絶対的真理を嫌います。しかし、クリスチャンも、大事な真理を妥協してしまいます。柔和に見えますが、実は、勇気のないいわゆる『愛』です。
12節「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」1節と似たことばです。。。でも、後半に注目しましょう。。。診察があれば、治療もあります。。。「しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。」。。でも、どうやって私たちが救われるのでしょうか?。。。接続詞に注意!10節「しかし、あなたは私の教え…にも、よくついて来てくれました」14節「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。」文脈を見て、まとめると「聖書」とそこに書いてある真理が、私たちの救いで、問題の解決で、予防です。15節「聖書」とあります。16節「聖書」とあります。4:2「みことば」とあります。そうです!2テモテ3:16「聖書はすべて、神の霊感によるものです。」
聖書の真実さについて、有名人物は、こう言っています。インドの革命家ガンジー「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。」アメリカの大統領リンカーン「聖書は、神が人間に与えた最大の賜物である。人間にとって望ましいものは、全て聖書の中に含まれている。」救世軍の山室軍平「聖書は世界無二、宇宙第一の書物である。」。。聖書の真実性は、考古学的に立証されています。聖書は、私たちの体験で、実用的にも立証されています。何千年もの間で書かれ、いろんな人物が書きましたが、聖書の統一性を見るとものすごいです。聖書の預言の成就も聖書の真実さを強調しています。聖書自体その中身を読むと、真実さが分かります。。。聖書自体は、聖書についてどう言っているのでしょうか? 2テモテ3:16「聖書はすべて、神の霊感によるものです。」。。問題ある時、いやいや、問題ある前に、聖書に耳を傾けるのです。。。宗教改革の頃、教会に問題が多くありました。そして、宗教改革者マルテン・ルターは、こう言いました。「私は、聖書に立つ!他にはできません。神様、私を助けてください!」
1. 3:14−15、御言葉によって先ず救われる。
教会に教え、道徳や人間関係の問題が出てくる時に、その前から問題を予防し、防ぐ為に、私たちは、先ず御言葉によって救われ、神を知っていることを確認しなければなりません。イエス様の贖いによって、創り主に繋がっていることをまず確認しなければなりません。。。ですから、パウロは、先ず、テモテの救いを確認し、確信したのです。その救いは、人を通して伝えた御言葉―聖書―によるものでした。15節「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」。。あなたは、聖書を読んで、自分の罪を認め、キリストとその十字架を仰いでいますか?恵に預かっていますか?
最近、イスラム教の方が結構多くキリストに出会っていると聞いています。聖書にあまり触れられない方もいるので、イエスの幻を見るそうです。イエス様は、白い衣を着ているそうです。人々は、幻を見ますが、イエスについて十分聞いていないから、キリスト信者を求め、イエスについて聞くのです。福音を説明されると「夢で見たのは彼だ!」と言うのです。でもその後は、聖書を読むのです。夢で終わらないで、御言葉に導かれるのです。神様は、聖書を用いて人を救います。。。あなたは、キリストに出会っていますか?でなければ、聖書を読むのです。生ける神の言葉です。あなたに、創り主との親しい関係を与えます。
2。3:16―17、御言葉によって問題を解決する。このメッセージのポイントです。教会に教え、道徳や人間関係の問題が出てくる時に、問題を前もって防ぐためにも、御言葉によって対処し、ケアしなければなりません。でも、なぜ御言葉を使うのでしょうか?
一、16節前半「聖書はすべて、神の霊感によるものです」から。聖書は、他の書物と全く違って、生ける神の御言葉そのものです。。。赤江弘之牧師は、こう書いています。「神は人に啓示を与えられた時、記者の人格や文体を用いられたのです。それは、人間の思想と表現の様式をとりました。この意味において、聖書はまことに“人間の本”です。。。しかしながら、それは“神の本”です。その言語、文体、主題にもかかわらず、この書物は人間を超えたものです。聖書の中には、人間の心ではけっしてつくり出せない思想があり、人間にはとうてい始められない計画があります。」。。16節「聖書はすべて、神の霊感によるもの」とありますが、「霊感」は、どういう意味でしょうか?世間一般では「良い思いつき」と使われます。聖書の霊感は、精霊、悪霊や念力とも違います。この「霊感」という言葉は、ギリシャ語で「セオプヌウトス」で、「セオス」は、「神」といいう意味で、「プネイン」は、「息を吹き込む」という意味です。聖書は、神の口から出てくるものと同様である、という意味です。生ける神の言葉そのものです。神の御心また救いの啓示が文書化された奇跡的な書物です。神の啓示そのものです。神は、他を含め、私たちの救いについての御心を私たちに示され文書です。預言者や使徒は、正しく記録するように導かれたのです。聖書は、創世記から黙示録まで、十分に完全に、神の御言葉です。。。教育、会社、世間からの知恵は、使えるでしょう。でも、教会の問題を防ぎ、解決するためには、生ける神の御言葉は、神の思い、御心を用いるのです。それによって私たちは、生きて、問題を解決するのです。
長老執事のリーダー会でリーダーの『執事』について『誰が適切か?』話し合っていました。そして、静かにクリス師が聖書を開いて、執事の品質についての箇所を読み始めました。彼こそリーダーだな!と感じました。とても嬉しかったです。確かに、クリスは、神の人です。彼は、聖書を用いて、答えたのです。
二、なぜ御言葉を使うのでしょうか?16後半―17、聖書は「有益です」から。何のために?問題ある人のためにだけではなく、問題を解決する人のためにも、聖書は、教会全体のために「有益です」。16節後半、問題ある人を「教える」ために「有益です。」でも、17節後半、聖書は、問題を解決する人を「整える」素晴らしい力があるのです。なぜなら、御言葉を語る人にも、課題あり、罪人だからです。。。私は、子供の頃、朝早くトイレ行く時、父の書斎の近くを通っていました。父は、明かりをつけて、聖書を学んでいました。私も、毎朝、一番目に、御言葉を開いて味わいます。先ず悔い改めに導かれます。十字架による神の絶えないへセドの恵みとイエス様を覚えます。主を賛美します。とりなします。不思議に神と新たに出会うのです。変えられています。この箇所のように、私が「教え」られ、「整えられ」ます。。。でも、個人一人だけではなく、教会が集まる時、御言葉によって「整えられ」、「教え」られなければなりません。あなたも。
3.4:1−5、御言葉そのものを宣べ伝える。
聖書メッセージが一番大事な手段です。。。神学的な、道徳的な、人間関係的な問題を防ぐためには、、また問題を解決するためには、2節「みことばを宣べ伝えなさい」とパウロは、御霊によって書いています。「御言葉を」です。。。。私が行っていたダラス神学校のモットーです。神学校の前の石に刻んでありました。「みことばを宣べ伝えなさい」と。人間の思い、哲学、宗教ではなく、忠実に神の御言葉を語り続けるのです。。。御言葉に対する大事な姿勢がいくつかあります。
一、1節、恐れおののいて御言葉を語るのです。愛と喜びを持って語るのもとても大事です。でも、1節にこうあります。「神の御前で」するのです。「また、生きている人と死んだ人とを裁かれるキリスト・イエスの御前で」するのです。「その現れとその御国を思って」するのです。。。あなたの聖書を語る姿勢は、どうでしょうか?あなたの聞く姿勢は、どうでしょうか?生ける神のみ言葉ですよ!全てを創り、聖なる聖なる聖なる神の御言葉を預かって、語っているのです。その栄光の方の御言葉を聞いているのです。あなたの姿勢は、何ですか?今。。。
二、2節、常に忍耐を持って御言葉を語るのです。「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」。。長くコツコツ長野市で教会を開拓していた私の大先輩の宣教師ブルース・へランドは、人の前に常に御言葉を開いたり、引用したりしていました。私も、人と語り合う時、御言葉をもっと開き語らなければなりません。。。2節後半、「寛容を尽くし」御言葉を語るのです。継続的な愛のことです。人を諦めないで続けて御言葉を、愛を持って忍耐強く語るのです。
三、2節、時代を理解して御言葉を語るのです。どのような時代で御言葉を語っているのでしょうか?3−4「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代」です。今のような時代ですね。「つごうの良いことを言ってもらう」とあります。が、世間は、都合良いような話ばかり聞きたいのではないでしょうか?でも、世間だけではなく、教会の中でも、愛について語るが、聖い神について、罪について、裁きについての話しを避けるのです。。。メッセージ聞いて、ただ居心地いいなら、メッセンジャーは、どこかで間違っているのです。悔いて涙あっても良いのです。そして、キリストに希望を見出すのです。
教会に問題ある時、いやいや、常に、家に帰る時も、学校や会社に行く時も、聖書を真に重んじていますか?。。。ケラー先生の教会で、メッセージ前の御言葉を読んだ後、こう言うのです。”This is the word of God。”「これは、神のみことばです。」聖書には、特別な絶対的な権威がある、と言っているのです。東京のグレースシティーチャーチの福田真理先生は、こう言うのです。「これは生ける神のみ言葉です」良いですね。。。私が子供の時、親は「いつでも新しい聖書を買ってあげるよ」と言いました。私たちは、貧乏でした。聖書は、安くはなかったのです。でも、親は、私に教えていたのは、聖書は、そこまで大事だよ!。。。『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』が、生ける神の御言葉があるのです。読みなさい!味わいなさい!聞きなさい!語りなさい!これによって問題を防ぎ、解決しなさい!。。。「私は、聖書に立つ!他にはできません。神様、私を助けてください!」とマルテン・ルターは言いました。問題を防ぐにも、解決するにも、常に、生ける神のみ言葉に立つのです。「私は、聖書に立つ!他にはできません。神様、私を助けてください!」
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