「ふるさと」というシリーズをはじめています。第一弾は、『造り主に憩う』で、聖書の創世記1章1節〜2章3節から語ります。豊かな命キリスト教会(松本市出川2−22−14、0263−28−9836)で3月3(日)10:30〜12:00です。その時、特別『ゴスペル』をも用意されます。是非来てください。
下メッセージ「『造り主に憩う』の序文を少し。
私たちは「ふるさと」という歌をよく知っています。『うさぎ追いし、かの山、こぶな釣りし、かの川。夢はいまもめぐりて、忘れがたき、ふるさと。』「ふるさと」の言葉を書いた高野辰之(たつゆき)は、私が30代住んでいた信州中野市出身でした。「ふるさと」は、高野さんの故郷この信州の風景を描いたものだと言われています。曲を書いた岡野貞一(ていいち)は、15歳の頃、出身の鳥取県から岡山へ移り、クリスチャン系の中学校に行きました。そこで、アダムズというアメリカ人宣教師に音楽の才能を認められ、東京芸術大学で学び、多くの歌を作りました。彼は、熱心なクリスチャンで、40年間以上、毎日曜日には東京の本郷中央教会で礼拝や聖歌隊の指導しました。「ふるさと」は、賛美歌のメロディからヒントを得たそうです。
アメリカ人以上に、日本人にとって、ふるさと(自分の故郷)は、とても大事です。お盆やお正月で、多くの方は、里へ帰ります。。。でも、例えば、年末年始であっても、どんなに里に帰ったとしても、何かが足りないのです。思い出はありますが、寂しさが残るのです。前と違うのです。。。。。なぜなら、私たち皆んなの心に、真の故郷である造り主の思い出の何かがあるのです。真のふるさとは、天地を造られた生ける神にあるからです。創世記1:1「はじめに神が天と地を創造された。」聖アウグスティヌスは、こう言いました。「あー主よ、あなたは、ご自身のために私たちを造られた。そして、私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、けして安らぎを得ることができない。」。。今日は、創世記1:1―2:3を見て、三つの質問に答えたいです。誰に安らぐのか?誰が安らげるのか?安らぐのはどこまで大事なのか?
続く。。。
Please come!