Tuesday was my last day at Shinshu University. A little sad. I will be focusing on serving in the church now. 火曜日は、信大での最後の日。少し寂しい。今からは、教会の奉仕にフォーカス。
2019年1月31日木曜日
2019年1月29日火曜日
「あなたは受け入れられています。」
「あなたは受け入れられています。あなたの拒絶されることへの恐れや、非難されているという思いがいかにあなたを弱らせるようなものであっても、キリストの完全なる義が、彼を信じる信仰によってあなたにもうすでに与えられているのですから、あなたは全く受け入れられているのです(IIコリント5:21)。もう拒絶されることを恐れる必要はありません。人々からの支持を勝ち取ったり、弱さを隠したりする必要もありません。自己防衛も、良い評判をえることも、必ずしも必要なことではありません。ありのままの自分から目をそむけることをやめ、神と人の前に、自分が罪人であることを認めてよいのです。そして大胆に、キリストの愛を持って、拒絶を恐れることなく周りの人々に近づくことができるのです。」ステイーブン・チルダーズ
2コリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」
もっと読む『人を造り変える福音の力』
2019年1月26日土曜日
ヨハネ3:16
『神様は、この世界をどうしようもなく愛しているんだ。だからそのひとりむすこをあたえようと思った。その子のことを信じる人はだれでも、永遠のいのちをもらって、けして死ぬことがないようにね。』聖書の有名なヨハネ3:16をジーザスバイブルストリーから
「神は、実にその一人子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」新改訳聖書・ヨハネ3:16
ジーザス・バイブルストーリー 旧新約聖書のお話
ジーザス・バイブルストーリー 旧新約聖書のお話
2019年1月23日水曜日
O FATHER OF JESUS,
O FATHER OF JESUS,
Help me to approach thee with deepest
reverence,
not with presumption,
not with servile fear, but with holy boldness.
Thou art beyond the grasp of my understanding,
but not beyond that of my love.
Thou knowest that I love thee supremely,
for thou art supremely adorable, good, perfect.
My heart melts at the love of Jesus,
my brother, bone of my bone, flesh of my flesh,
married to me, dead for me, risen for me;
He is mine and I am his,
given to me as well as for me;
I am never so much mine as when I am his,
or so much lost to myself until lost in him;
then I find my true manhood.
But my love is frost and cold, ice and snow;
Let his love warm me,
lighten my burden,
be my heaven;
May it be more revealed to me in all its influences
that my love to him may be more fervent
and glowing;
Let the mighty tide of his everlasting love
cover the rocks of my sin and care;
Then let my spirit float above those things
which had else wrecked my life.
Make me fruitful by living to that love,
my character becoming more beautiful every day.
If traces of Christ’s love-artistry be upon me,
may he work on with his divine brush
until the complete image be obtained
and I be made a perfect copy of him,
my Master.
O Lord Jesus, come to me,
O Divine Spirit, rest upon me,
O Holy Father, look on me in mercy
for the sake of the well-beloved.
from The Valley of Vision
2019年1月19日土曜日
ディーン・フジオカ
「信仰を持つ者は、イエスキリストを通して神様の身体の一部で、一人一人違う個性を持ち、一人一人違った才能を持っていて、全ては神様の栄光が全世界に広まるためなのです。」ディーン・フジオカ
聖書・1コリント12:「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れ(の賜物)が与えられているのです。」
NHKの朝ドラ「あさが来た」で一躍有名になったディーン・フジオカさんですが、その才能は多岐にわたっていて、俳優だけでなく、モデル、シンガーソングライター、映画監督なども行なっていて、さらに五ヶ国語も話せます。日本の高校を出た後はアメリカに渡り、シアトルのワシントン州立大学を卒業し、東南アジアを放浪していました。香港のライブハウスで、飛び入りで歌を歌ったところ、スカウトされ、モデルとなり、台湾の映画監督と知り合い、台湾、香港で数多くの映画に出演しました。
インドネシア人の奥様と2012年に結婚されて、双子の男女の子、女の子、3人の子供がいます。
そのように恵まれた人生を歩んでいますが、知る人ぞ知る敬虔なクリスチャンでもあります。ライブ前などに、メンバー達と輪を作り、英語で神様への祈りを捧げている姿を目撃されたファンも大勢います。京都での映画撮影の合間には、近くの教会に通っていて、その様子や聖書の御言葉がディーン・フジオカさんのSNSには、多数投稿されています。
「信仰を持つ者は、イエスキリストを通して神様の身体の一部で、一人一人違う個性を持ち、一人一人違った才能を持っていて、全ては神様の栄光が全世界に広まるためなのです。」この投稿はコリント人への手紙一の12章から語られたものです。
ご自身のプロフィールにも聖書の御言葉「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。」(エゼキエル 36章26節)を引用されていて、神のお言葉に従う、柔らかい心を求める信仰の姿勢を表明されています。
from Yoshimi Fukue
インドネシア人の奥様と2012年に結婚されて、双子の男女の子、女の子、3人の子供がいます。
そのように恵まれた人生を歩んでいますが、知る人ぞ知る敬虔なクリスチャンでもあります。ライブ前などに、メンバー達と輪を作り、英語で神様への祈りを捧げている姿を目撃されたファンも大勢います。京都での映画撮影の合間には、近くの教会に通っていて、その様子や聖書の御言葉がディーン・フジオカさんのSNSには、多数投稿されています。
「信仰を持つ者は、イエスキリストを通して神様の身体の一部で、一人一人違う個性を持ち、一人一人違った才能を持っていて、全ては神様の栄光が全世界に広まるためなのです。」この投稿はコリント人への手紙一の12章から語られたものです。
ご自身のプロフィールにも聖書の御言葉「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。」(エゼキエル 36章26節)を引用されていて、神のお言葉に従う、柔らかい心を求める信仰の姿勢を表明されています。
from Yoshimi Fukue
2019年1月18日金曜日
「わかるかな」
「わかるかな。どんなことがあっても、どんなめにあっても、神さまはご自分の子どもたちを愛されるということを。ぜったいあきらめす、いつも、いつまでも愛しつづけてくださるということを。」ジザスバイブルストーリー
聖書・ヨハネ 3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
Amazonで購入:ジーザス・バイブルストーリー 旧新約聖書のお話
2019年1月16日水曜日
2019年1月15日火曜日
「聖三一」エペソ1:3―14
「三位一体」は、なじみのない言葉ではないです。小泉純一郎元首相の「三位一体改革」を覚えている人もいると思います。。。サッカーの大分トリニータのチーム名は英語では、TRINITY、日本語に訳すと「三位一体」です。県民・企業・行政の3グループが一致団結する、という事だそうです。
「三位一体」という表現自体は、聖書に書いてありません。が、聖書の箇所の全ての背後にある尊い神の奥義です。赤江弘之牧師は、こう書きました。「聖書の啓示する真の神は、三位一体において、最も豊かに、生き生きとその栄光を輝かしています。」。。イギリス国教会では、三位一体を「聖三一」というそうです。とても良い表現です。このメッセージで“三位一体”や“三一の神様”両方を使います。
1.「三位一体」を説明する。
ユダヤ教、イスラム教、エホバの証人やモルモン教と、全く違うところは、私たちの「三位一体」なる神を信じ、礼拝している事です。プロテスタント教会、カトリック教会、正教会は、皆この三一の真理を信じています。。。「三位一体」は『神には、上下の位が三つあって、体は一つ』という意味でなないです。「唯一の神は複合的存在である」と言う事です。赤江先生は、こう書きました。「唯一の神には、三つの人格があり、それは、父と子と聖霊です。三位の神は、その本質と力と永遠性においては全く等しく、唯一の本性の中で統一されています。。。三位一体の神は、神御自身の内において、父と子と聖霊の聖い交わりを永遠に持っておられます。」。。祭暦600年頃書かれたアタナシウス信条にこうあります。「われらは唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。しかも、位格を混同することなく、本質を分離することなく。」
*「三位一体」という術語そのものは聖書にありません。しかし、父と子と聖霊が唯一の神であるという事実は確かに聖書にあります。
一、神は、唯一です。「やおよろずの神」の国日本では、この主張は極めて大事です。申命記6:4「主は私たちの神。主はただひとりである。」主イエスは、マルコ12:29で、それを引用しています。「われらの神である主は、唯一の主である。」1テモテ2:5で、パウロは「神は唯一です」と主張しました。私たちは、本当に一神教です。他の神々、狐の神様、太陽の神様、野球の神様、お金、家族、道徳、教育を神にすることを完全否定します。
二、 でも、同時に、神は、三位です。
* 天の父は、唯一の神です。「主の祈り」で唯一の神を「天にいます私たちの父よ」と祈ります。パウロの手紙の初めに「私たちの父なる神」とよく書いてあります。例えば、ローマ1:7「私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。」1コリント1:3、2コリント1:2や他の手紙の初めにも何回も書いてあります。
* 御子イエスは、唯一の神です。創世記16:7−14で、唯一の神は「主の御使」としてアブラハムに現れました。イエスの顕現(けんげん『神の現れ』)と言います。ヨハネの福音書の一つの大事なポイントは『イエス・キリストは、唯一の神である』ことです。ヨハネ1:1、14「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。。。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」
* 聖霊は、唯一の神です。使徒の働き5:3で、アナニヤがお金について嘘をついたことを使徒ペテロが注意していた時、「聖霊を欺いた」と言って、そのすぐ後の4節で「神を欺いたのだ」と言いました。それによって、聖霊は、神である、と言いました。。。私の父が洗礼準備会をしていた時に、父は、マタイ28:19の「父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け」の箇所をよく使いました。そして、これを強調しました。「一つの『御名』ですが、三人のお方がいる。『父、子、聖霊』」。なるほど、と思いました。
私たちが告白する、西暦325年ごろに書かれたニケア信条にはこう書いてあります。「わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。。。わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものはこの方によって造られました。。。わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました。」
と言うことは、父、子、聖霊の三方は、全く本質において一つであります。一人一人は、自分を完全に忘れ、無にして、お互いに完全にゆずり、シェアし、愛し、受け入れ、交わり、喜び、仕え、讃え、栄光を帰しているのです。ケラー牧師は『お互いの周りを踊っている』と言いました。「シャル・ウィー・ダンス」と互いに言っているのです。
「三位一体」の例えは一応あります。が、あまりにも足りないです。卵。一つの卵には、殻、白身、黄身があるのです。リンゴ。一つのリンゴですが、皮があり、身があり、種があります。電気。一つの電気には、熱、光と力があります。昔のアイルランドの聖パトリックは、クローバーのようなシャムロックの葉で例えました。一つの葉ですが、三つに別れてあります。足りないですね。1かける1かける1は1でしょうか?1足す1足す1は1です。。。この例えの大きな問題は、人格や「神は愛なり」の愛が含まれてない事です。。。また、違う次元について語っていますから、私たちの次元で例えることは、とても難しいです。赤江先生は、こう書きました。「三位一体の真理は、人間の生まれながらの知識によって発見することは不可能です。ただ、聖書によって、御自身を掲示されるところを信仰によって受ける他に知ることはできないのです。」
2.私たちは「三位一体」の神の愛に生きる。教会の歴史で最も尊敬されている神学者3世紀のアウグスティヌスは、こう書きました。「愛のあるところには三位一体がある。神が愛であるならば、愛する者と、愛される者と、愛の霊が存在しなければならないのです。そうでなくては、愛というものを考えることができないのです。」
一。「三位一体」の神の愛に預かる必要があるのです。「三位一体」の父なる神、子なる神と聖霊なる神は、完全に一つであり、互いを完全に愛し合っているのです。私たちは、その愛に招き入れられているのです。
エペソ1:3―14で、神の私たちを救う過程の中で、三一の神の働きが見えます。(1)3節「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。(4節)神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選んだ」のです。父なる神は、御子なる神主イエス・キリストをこの世界に遣わしたのです。
(2)7節「この方(御子なる神)にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。」主イエスとその十字架によって、神の救いの計画がなしとげられたのです。十字架まで行ってくださったのです。三位一体なる神が自分を忘れ、互いに仕えるように、イエス様は、十字架上で完全に自分を忘れ捨て、私たちを三一の神の愛に招き入れたのです。主イエスは、十字架にかかった時、私たちを死ぬまで無条件に愛したのです。受け入れてくださったのです。主が見捨てられたことによってです。直感に反することですが、主が悲しみ死ぬことによって、私たちは、三位一体の神の踊りに迎え入れられたのです。私たちがこれを体験すればするほど、私たちを縛るものや恐れから解き放たれて行くのです。そして、私たちは、動き踊り始めるのです。キリストが私たちに近寄り、私たちは、悔い改めと信仰によって主に近寄るのです。
(3)そして、父なる神が聖霊なる神を遣わしたのです。聖霊は、今の私たちが救いに預かるように、働いているのです。13節「信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押された」のです。
太陽が照り輝くことがごく自然なように、神が御自身についての啓示を人間に示すこともごく自然なことです。太陽の光、熱と力が、この地球の私たちに伝わって来るように、神様の内なる三一の交わりと愛が造られた私たちにも、伝わって来ることは、当たり前のことです。人間が受け入れられる限りですが。。。神が人間を救った時、神と人間との間に対話が始まったのです。神の内側の三位一体の交わりが私達人間に届いて、私達を引き上げたのです。神が三一だからこそ、私たち人間に神の命と交わりをシェアできるのです。。。私たちは、神をより信じ、より仰ぎ、より崇め、より楽しみ、より愛することによって、神の中心に、愛に、お心により深く入ることが出来るのです。。。あまり理解できなくても、私たちは、この愛の内にあり、体験しているのです。
二。私たちは「三位一体」の神の愛を示す必要があるのです。私たちが三位一体の神の愛にさらに満たされると、満たされているからこそ、自分をより忘れ、他の方を愛することができるのです。三一の神が真の交わりと愛の基礎で、根元です。神様の内は、交わりならば、神に似せて造られた人間は、先ず神との交わりの中で、生きる命と満足を見出すのです。でも、それは、さらに、結婚、家庭、社会、特に教会の中で反映されるのです。教会の交わりは、三位一体の神の交わりによって造られているから、この地上で、神に最も近いような存在は、キリスト者の交わりです。世界は、三一の神様によって造られたのなら、あなたの人生の最も大事なものは、実は、互いに愛する事です。。。そして、教会は、神の交わりを、この世界で繁栄しているのです。ヨハネ17:21で、主イエスは、このように祈りました。「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」私たちは、この愛を誰にでも示すのです。でも、主は、罪人を、弱い者を愛し、救ったように、私達も、同じ弱い罪人として、他の弱い方罪のある方に、主の救いと愛に入るように、手を差し伸べ、福音を伝えるのです。
多くの教会は、この2コリント13:13の祝祷で礼拝を終わらせます。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」唯一の神でありながらも、三位の恩方々は、あなたを祝福しているのです。輝かしい
祝福です。
「天のお父様、御子イエス様の御名によって祈ります。神樣を制限する私たち思いや罪やこだわりを主に告白します。それを捨てることが出来るように、三一の神様の愛で私たちを圧倒して下さい。三位一体の聖い愛の高き空気を吸わせて下さい。私たちを、聖霊様の力によって、キリストの姿に変えて、愛と勇気を持って前進できるようにさせて下さい。アーメン。」
追加:三位一体は、一致することの重要性を示しています。「三位一体」の「一体」の神は、唯一であると示しています。本質において一つです。ですから、聖書の大事な点で私達も一致するのです。一致する必要がありのです。。。でも、また、互いの多様性を尊重するのです。「三位一体」の「三位」とあります。神には、いわゆる「多様性」があります。父なる神は計画し、子なる神は創造し、聖霊なる神は命を与えます。働きの多様性です。ですから、宇宙にも多様性があるのです。宇宙の色んな物体は、そっくりではないです。退屈な単調さは、無いのです。宇宙の不思議、そこにある全てのあらゆる生命体、宇宙の中の動きは、神の素晴らしい多様性を繁栄しています。私たちは、クローン人間ではないのです。違いを認め、多様性を尊重し、讃えるのです。
追加:三位一体は、一致することの重要性を示しています。「三位一体」の「一体」の神は、唯一であると示しています。本質において一つです。ですから、聖書の大事な点で私達も一致するのです。一致する必要がありのです。。。でも、また、互いの多様性を尊重するのです。「三位一体」の「三位」とあります。神には、いわゆる「多様性」があります。父なる神は計画し、子なる神は創造し、聖霊なる神は命を与えます。働きの多様性です。ですから、宇宙にも多様性があるのです。宇宙の色んな物体は、そっくりではないです。退屈な単調さは、無いのです。宇宙の不思議、そこにある全てのあらゆる生命体、宇宙の中の動きは、神の素晴らしい多様性を繁栄しています。私たちは、クローン人間ではないのです。違いを認め、多様性を尊重し、讃えるのです。
2019年1月4日金曜日
Quotes on Prayer by D. Martyn Lloyd-Jones
Mrs. Lloyd-Jones says, “No one will understand my husband, who does not know that he was first a man of prayer and then an evangelist.”
D. Martyn Lloyd-Jones' quotes…
“The highest picture you can ever have of man is to look at him on his knees waiting upon God.”
“Those who know God best are the ones who speak to him most of all.”
“The thing that keeps one going in the Christian life is prayer – communion and fellowship with God; it is something which is absolutely essential. I would go further and say that the Christian life is really impossible without it.”
“If you have never had difficulty in prayer, it is absolutely certain that you have never prayed…. Everything we do in the Christian life is easier than prayer.”
“We must start praying by asking God to help us pray, acknowledging our lifelessness and our dullness and our slowness.”
“If your knowledge of doctrine does not make you a great man of prayer, you had better examine yourself again.”
“Great prayer is always the outcome of great understanding.”
“You take the doctrine, you accept it and work it out, and then you find that it leads to this confidence (in prayer).”
“I am more than ever convinced that the trouble with many Christian people is that they do not preach to themselves. We should spend time every day preaching to ourselves, and never more so than when we get on our knees in prayer.”
“If we have eternal life, if we are His children, we, I say it with reverence, have the ear of God – we can be confident He is always waiting to listen to us.”
“The first thing to do in prayer is to realize the presence of God. You do not start speaking immediately…. The realization that you are in His presence is infinitely more important than anything you may say.”
“You are aware of a communion, a sharing, a give-and-take, if I may use such an expression. You are not dragging yourself along; you are not forcing the situation; you are not trying to make conversation with somebody who you do not know. No, no! The Spirit of adoption in you brings you right into the presence of God, and it is a living act of fellowship and communion, vibrant with life.”
“Do you know the difference between forcing yourself to pray, struggling to find words and thoughts, desires, and expressions, and, on the other hand, being carried along, as it were, on the crest of a wave while you are more or less a spectator.”
“Above all – and this is regard as most important of all – always respond to every impulse to pray.”
“The moment you feel the slightest movement or indication of His love, respond, act, yield to Him immediately. Whatever He calls you to do, do it at once. And as you do so, you will find that He will come more frequently, and the manifestations will be plainer and clearer.”
“Without an element of importunity and persistence, or urgency and almost holy violence with God, we will have little right to expect that God will hear our prayer and answer it.”
Ephesians 2:18, “Through him (Jesus Christ) we both have access in one Spirit to the Father.”
2019年1月2日水曜日
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「ふるさと」というシリーズをはじめています。第一弾は、 『造り主に憩う』 で、聖書の創世記1章1節〜2章3節から語ります。 豊かな命キリスト教会 (松本市出川2−22−14、0263−28−9836)で 3月3(日)10:30〜12:00 です。その時、特別 『ゴスペル』...
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先ず、聖書から創世記1:1〜2:3を読んでください。 創世記1:1−2:3 メッセージを聞く。 「造り主に憩う」 私たちは「ふるさと」という歌をよく知っています。『うさぎ追いし、かの山、こぶな釣りし、かの川。夢はいまもめぐりて、忘れがたき、ふるさと。』「...



