“Give up yourself, and you will find your real self. Lose your life and you will save it. Submit to death, death of your ambitions and favorite wishes every day and death of your whole body in the end submit with ever fiber of your being, and you will find eternal life. Keep back nothing. Nothing that you have not given away will be really yours. Nothing in you that has not died will ever be raised from the dead. Look for yourself, and you will find in the long run only hatred, loneliness, despair, rage, ruin, and decay. But look for Christ and you will find Him, and with Him everything else thrown in.” C.S. Lewis
2018年11月30日金曜日
Lose your life and you will save it.
“If you want to save your own life, you will lose it; but if you lose your life for my sake, you will find it.” Jesus Christ, Matthew 16:25
2018年11月29日木曜日
2018年11月28日水曜日
"A still small voice"
“If there is anybody here who is going through deep waters, anyone here who feels like God is shaking them, Jesus is the One who was really shaken so you could stand. Jesus is the One who took the real fire. If you take hold of him, you’ll pass through the fire. He was the One burned. You’ll pass through the shaking. He was the One who was really shaken down. See the true God.” Tim Keller
Please listen to Tim Kellers sermon The Still Small Voice
1 Kings 19:11-12 "Then He said, 'Go out, and stand on the mountain before the Lord.' And behold, the Lord passed by, and a great and strong wind tore into the mountains and broke the rocks in pieces before the Lord, but the Lord was not in the wind; and after the wind an earthquake, but the Lord was not in the earthquake; and after the earthquake a fire, but the Lord was not in the fire; and after the fire a still small voice."
2018年11月26日月曜日
御名が崇められますように
メッセージを聞いてください。御名が崇められますように。出エジプト記20章7節
出エジプト記 20:7「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
マタイ6:9「だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。。。」』
20年ほど前だったでしょうか、寿台の英会話教室で「オーマイガツ」とある坊やが言いました。何を言っているかは、知らなかったと思いますが、それでも私は、彼を注意しました。「御名を、みだりに唱えて」欲しくなかったのです。今は、テレビでちょくちょく聞きますね。アメリカでは”ジーザス“と軽く言ってしまいます。クリスチャンでも、あまりにも軽く「主よ、主よ」と言ってしまいそうです。。。でも、言葉以上に、本当の問題は、心なのです。生ける神は、いわゆる「重みのある方」なのに、軽く見てしまっているのです。だって、安室奈美恵を「神」や「女神」と言ってしまう世の中ですから。。。7節「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。」
1.「主の御名を、みだりに唱えてはならない」その意味。「みだり」の意味は、知っていますか?あまり使わない言葉ですね。辞書にこうあります。「勝手気ままなさま。ほしいまま。(または)考えの浅いさま。思慮(しりょ)のないさま。」このように「主の御名を、みだりに唱えてはならない」のです。神の名前を、ただ普通に使わないように、なれなれしく使わないように、軽んじて使われないように、不真面目に使わないように、心がこもってないように使わないように、注意しているのです。。。逆に、肯定的に、御名の重みを考えて、最高のものとして、尊く扱われるように、命じているのです。主の祈りの「御名が崇められる」事がキリスト者の一番の願いです。。。ただ名前だけを大事する事ではないのです。名前は、その方自身を表しています。神御自身が崇められる事を意味しています。愛されるべき、超越した方であります。。。ウエストミンスタ―小教理問答にこうあります。「神の御名、称号(しょうごう)、属性、規定、御言葉、御業を、きよく敬虔に用いることです。」宗教改革のマルティン・ルターは、こう書きました。「私たちは、神様を畏れ、愛するべきです。ですから、私たちは、この方の御名によって、呪(のろ)ったり、誓ったり、魔術を行なったり、嘘をついたり、だましたりしないで、むしろ、どのような困難の中にあっても、御名を呼び求め、祈り、ほめたたえ、感謝するのです。」
私の30才頃だったと思います。夏の軽井沢の宣教師団体TEAMの年会でした。ちょうどお昼ごろで、解散するところでした。ユニオン教会から出て来て、私は、長野と松本ナンバーの黒い車を見ました。少し邪魔だったと思ったのでしょうか、私は、その車の移動をお願いしました。「すぐ移動します」と言われたら、どうでしょうか?現在の陛下夫妻、当時の皇太子さん達、の車でした。そして、2人は、私たち家族に向かってくるのです。妹のルーシーもいました。アロハシャツを着ていた父は「久しぶりです」と言ったり、母は「祈ってます」とミチコさん言ったりしました。私は、ただただ緊張して「初めまして。初めまして」としか言えませんでした。。。陛下さんの名前は、明仁(あきひと)です。でも、私たち庶民は、もちろん呼び捨てにはしないのですが、「明仁様」とも言わないのです。「天皇陛下」と普通は言うでしょう。2人は、尊敬に値する人物です。でも、彼らは、神ではなく、ただの人間です。ある方は、戦後の陛下さんのいわゆる「人間宣言」を覚えています。尊敬されるべき人間ですが、2人よりもずっとずっと恐れ、敬い、愛するべきお方がいるのです。生ける真の神です。。。生ける神を崇める理由があるのです。
2.「主の御名を、みだりに唱えてはならない」その理由。(1)主は、正しく裁く神ですから。7節後半「主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。」罰も伴います。これも、理由になります。ウエストミンスタ―小教理問答にこうあります。「第三戒に加えられている理由は、この戒めを破る者がどんなに人々からの罰を免れても、私たちの神、主は、御自身の正しい審判を免れさせはなさらない、ということです。」。。でも、それ以上に、(2)神は、創造主ですから。創世記1:1「初めに神は、天と地を創造した。」主は、栄光の神で、天地宇宙、人間も創られた偉大なお方です。ですから、心から敬い、御名を大事にするのです。。。(3)主は、救いの神ですから。出エジプト記20:1―2にこうあります。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」私たちを罪から救ってくださったから、私たちは、主に感謝し、敬うのです。。。昔のユダヤ人にとって、神の名前『ヤーウェー』は、あまりにも特別だったから、聖書のを読む時、会話な中でも、『ヤーウェー』という名前を絶対口にしなかったのです。年に一回だけ大祭司が口にしたのです。それは、固すぎると思うかもしれませんが、私たちは、周りの神々と一緒にして、あまりにも生ける神を軽く考えてしまうのです。
私たちは、御名を崇めるはずなのです。私たちは、御名を崇めるべきなのです。申命記6:5「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と一番大事な掟にあります。コロサイ3:17「あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」ウェストミンスター小教理問答にこうあります。「人のおもな目的は、何ですか?人のおもな最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」
私たちは、言葉だけではなく、全てにおいて、心から、主を貴ぶべきです。1、心から主を貴ぶのです。賛美歌を歌う時、主の祈りを唱える時、心からしていますか?祈る時、歌う時、神の偉大さ、恵み深さをよく考えてするのです。味わいながら、噛みしめながら、礼拝するのです。。。2、全てにおいて主を貴ぶのです。教会だけでではなく、私たちが家で、会社で、学校で、娯楽で、主を貴ぶのです。偽善的なサンデークリスチャンでは無く、真実なエブリーデークリスチャンであるはずです。
繰り返すようですが、キリスト者は「御名が崇められるように」祈り、常にそう願っているのです。宗教改革のマルテン・ルターは、このように言っていました。「全て洗礼を受けたキリスト者は、神の名によって受けています。正に、キリスト者です。聖い神様の名前を持っているものとして、その名を汚さないように、その名を大事にするように、この(主の)祈りを通して、神の力が与えられるように願っているのです。この世での神の代理人として私たち自身も、聖い人になるように、祈っているのです。これが生活を変えて行くのです。」
ベシー・リーという女性がテム・ケラー牧師の礼拝に来ていました。メッセージした後、彼女は、牧師にこう言いました。「あなたは、私の人生全てを変えました。でも、常識ですね。私が、先ず、神を崇めるようになったら、ものごとを正しく見えるようになりました。。。」私達は、あらゆる分野で「御名が崇められるよう」願い、讃え、また実践するのです。教会で、家庭、学校、近所、職場、娯楽で。
1980年代の後半、「3K」と言う表現がありました。1989年に流行語にノミネートされました。「危険、汚い、キツイ」の頭文字から来て、嫌われる職場について言っていました。でも、いける神様から見ると、どんな仕事でも、聖職者の仕事と同様に尊いのです。どんな仕事でも、神の栄光のためにするのです。マルテン・ルターは、こう言いました。「貧しい乳搾りの女が、信仰もって乳搾りをするなら、カエサルやアレクサンドロスの制服と勝利よりも、栄光に満ちている。」例えば、あなたは、神の栄光のために、家や職場や町内をほうきで掃除していれば、あなたは、どんな偉大な説教者と同様に、神を崇めています。
映画「炎のランナー」で主人公エリックライデルは、1924年のオリオリンピックに行くことになっていました。でも、彼の100メーター競技が日曜日だったのです。エリックは、神の栄光のためには、安息日(主の日)には、けして走らないと決めていました。彼は、100メーターを辞退し、代わりに普通走らないより長い400メーターにしました。練習は、足りなかったですが、400メーターと200メーター両方で金をとりました。400メーターを走る前に彼は、アメリカのチームメンバーから1サムエル2:30のみ言葉をもらいました。「わたし(神)は、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。」
私の高校生の頃、長距離競争のクロースカントリを走っていました。バスで20人程の高校生が”To God be the glory”(神に栄光あれ)を試合会場に行く途中歌っていました。「おおみ神をほめまつれ、尽きぬいのち与えんと、ひとり子をも惜(お)しみなく、世人(よびと)のため下したもう。ほめよ、ほめよ、神の愛を、歌え、歌え、主の御業を、その御業に現れし父なる神の恵みを。」
私は、非常勤として信大で13年ほど働いて来ました。ある時期、常勤の先生と同じくらいの7クラスを教えていました。英語を教えることは、一番好きなことではないのです。しかし、福音によって内側変えられて、私は、神の栄光のために、学生を大切にし、一生懸命教えて来たつもりでした。。。あなたも「キリストの香りを放て」ます。
直感に反することですが、神の栄光は、十字架上で一番素晴らしく現われました。7節後半「主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない」とあります。が、不思議です。十字架の周りの人が、主イエスの「御名をみだりに唱え」ていたのです。私たちの心の中に、そのような神を冒涜する心があるのです。)でも、十字架上で「罰」を受けていたのは、彼らではなく、私たちではなく、主イエスでした。主は、彼らを赦していたのです。私の罪、冒涜、を赦していたのです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているかわからないのです。」この敵を赦すキリストの言葉を聞くと、身代わりの十字架を見ると、キリストの栄光が分かります。その名は、麗しいのです。この名の尊さ、この方の尊さを覚えると、7節「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない」だけでは無く、「御名を崇め」たいのではないでしょうか?
どうでしょうか?あなたは、イエス様の名前をただ口にするだけでも感動しませんか?本物のクリスチャンは、イエス様の名前が大好きなのです。その名を言うだけで楽しくはありませんか?心が燃えませんか?繰り返すのが好きではないでしょうか?喜びませんか? 「皆が崇められますように。」
2018年11月24日土曜日
"Every human being as someone God loved."
"Until the time Eric* arrived, the doctors at the hospital had been reluctant to help Japanese or Communist soldiers wounded in the fighting. Although their grip on power was slipping fast, the Nationalists were still recognized as the legitimate government of China, and the hospital didn’t want to offend the Nationalist forces by treating soldiers from opposing armies. Besides, both the Japanese and the Communists despised and killed Christians. Slowly, though, Eric’s example began to change this reluctance on the part of the doctors. Eric gave help to anyone who needed it. Regardless of which side the person was on. Many on the hospital staff asked him how he could help Japanese soldiers when they were killing so many Chinese people. Eric simply pointed out that he saw every human being as someone God loved. His attitude began to spread throughout the hospital, and soon Chinese and Japanese, Communists and Nationalists, found love and help at the London Missionary Society Hospital.”
John 3:16, "For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life."
* Eric Liddell was a missionary kid in China, hero of movie ‘Chariots of Fire’ (who refused to run on the Sabbath) and then missionary to China. He eventually died of malnourishment and a brain tumor in a Japanese internment camp during World War 2.
2018年11月22日木曜日
感謝祭おめでとう!
詩篇 136:1 「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」
Psalm 136:1, "Give thanks to the LORD, for he is good, for his steadfast love endures forever."
2018年11月19日月曜日
“I have been naturally and easily led to Christ as the substance of every subject.” David Brainerd
“I cannot but take notice, that I have, in the general, ever since my first coming among these Indians in New Jersey, been favoured with that assistance, which to me is uncommon, in preaching Christ crucified, and making him the centre and mark to which all my discourses among them were directed.”
“If I treated on the being and glorious perfections of God, I was thence naturally led to discourse of Christ as the only 'way to the Father.' — If I attempted to open the deplorable misery of our fallen state, it was natural from thence to show the necessity of Christ to undertake for us, to atone for our sins, and to redeem us from the power of them. If I taught the commands of God, and showed our violation of them, this brought me in the most easy and natural way, to speak of and recommend the Lord Jesus Christ, as one who had 'magnified the law' we had broken, and who was “become the end of it for righteousness, to everyone that believes.” And never did I find so much freedom and assistance in making all the various lines of my discourses meet together, and centre in Christ, as I have frequently done among these Indians.”
"And God was pleased to give these divine truths such a powerful influence upon the minds of these people, and so to bless them for the effectual awakening of numbers of them, that their lives were quickly reformed, without my insisting upon the precepts of morality, and spending time in repeated harangues upon external duties.
When these truths were felt at heart, there was now no vice unreformed,—no external duty neglected. … The reformation was general; and all springing from the internal influence of divine truths upon their hearts; and not from any external restraints, or because they had heard these vices particularly exposed, and repeatedly spoken against.”
“That the reformation, the sobriety, and external compliance with the rules and duties of Christianity, appearing among my people, are not the effect of any mere doctrinal instruction, or merely rational view of the beauty of morality, but from the internal power and influence that divine truths (the soul-humbling doctrines of grace) have had upon their hearts.”
1 Corinthians1:23, "But we preach Christ crucified...."
2018年11月18日日曜日
Sarah Edwards
FOR WOMEN ONLY..... On Sarah Edwards, the wife of the pastor and theologian Jonathan Edwards. There was none who was 'better known and more honored abroad, perhaps, than that of any of our countrymen except Washington.'
Read or listen here: Sarah Edwards: Jonathan's Home and Haven
2018年11月14日水曜日
ただ一つの慰め
ハイデルベルク信仰問答 01
問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
答え わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。
聖書・ローマ8:38−39「死も、命も…、現在のものも、未来のものも…、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」
2018年11月12日月曜日
アメージング・グレース
美しいです。先ず聞いてください。Amazing Grace・youtube
一節「おどろくばかりのめぐみなりき、この身のけがれを知れるわれに」
この神の恵み体験するために、JIパッカー師三つの要素がある、JIパッカー師はいう。(1)「けがれ」とあります。私たちは、恵みを受けるに自ら値しない。聞きたくない言葉ですが、私とあなたは「罪びと」(2)「けがれ」を清めるためには、自分自ら自分を清められない。無力です。(3)「おどろくばかりのめぐみ」は、キリストの十字架の犠牲によってのみ救われる。主イエスがあなたの受けるべき罰を代わりに受けた、と信じ受け入れる。
『救いは主のものである』詩篇3:8前半
2018年11月10日土曜日
God Hates Gun Violence
Please read God Hates Gun Violence: We American Christians have a biblical call to reduce firearm deaths in our land.
I agree with magazine Christianity Today. "While we support the legitimacy of owning guns, given the violence of our land and God’s hatred of violence, we also see a need to regulate the purchase and use of guns...Will this alone eliminate American violence? Hardly. The problem runs too deeply in our veins...." We need the Savior to change us from the inside out.
Proverbs 3:31, "Do not envy the violent or choose any of their ways."
Something interesting to note. "In Japan, the Haitōrei Edict (Sword Abolishment Edict) in 1876 all but banned carrying swords and guns on streets. These changes in Japanese society led to a number of samurai-led insurrections." If the Lord gave the Japanese wisdom to do so almost 150 years ago, should we not have the wisdom to at least regulate arms in the US?
2018年11月7日水曜日
Mountain Harbor
With Naho at City Bakery (originally from NY) at Mountain Harbor up in the Japan Alps (Iwatake)....日本アルプス(岩岳)のマウンテン・ハーバーのシティー・ベーカリー(本店NY)で奈帆と一緒。
Up in the gondola....ゴンドラ乗って上へ。
City Bakery at the top.... シティ・バーカリーが上に。
A little too cloudy today....今日の天気は今一つ。
2018年11月5日月曜日
All things work together for good....
"Everything is necessary that God sends our way; nothing can be necessary that he withholds." John Newton
Romans 8:28, "And we know that for those who love God all things work together for good, for those who are called according to his purpose."
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「ふるさと」というシリーズをはじめています。第一弾は、 『造り主に憩う』 で、聖書の創世記1章1節〜2章3節から語ります。 豊かな命キリスト教会 (松本市出川2−22−14、0263−28−9836)で 3月3(日)10:30〜12:00 です。その時、特別 『ゴスペル』...
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「信仰を持つ者は、イエスキリストを通して神様の身体の一部で、一人一人違う個性を持ち、一人一人違った才能を持っていて、全ては神様の栄光が全世界に広まるためなのです。」ディーン・フジオカ 聖書・1コリント12:「しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れ(の...
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先ず、聖書から創世記1:1〜2:3を読んでください。 創世記1:1−2:3 メッセージを聞く。 「造り主に憩う」 私たちは「ふるさと」という歌をよく知っています。『うさぎ追いし、かの山、こぶな釣りし、かの川。夢はいまもめぐりて、忘れがたき、ふるさと。』「...


