2019年4月25日木曜日

2019年4月24日水曜日

「私は復活が史実であることを知っている。。。」


「私は復活が史実であることを知っている。ウォーターゲート事件がそれを私に証明した。どうやってか?12人の男たちがイエスの死からの蘇りを目撃したと証言した。そして彼らはその証言を40年間続けた。その間ただの一度も否まなかった。その証言のために彼らは全員、殴られ、拷問され、石打ちにされ、牢に入れられた。もし復活が事実でなかったのなら、彼らがそれら苦難を忍べたはずがない。ウォーターゲート事件は、世界で最も屈強と思われた12人の男たちをあぶり出した。しかし彼らはわずか三週間も嘘をつき通すことができなかった。あなたは12人の弟子たちが40年間嘘をつき通したと言いたいのだろうか。それは絶対に不可能なことである。」チャールズ・コルソンニクソン大統領の特別補佐官

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」使徒パウロ、聖書・1コリント15:3−5

2019年4月22日月曜日

「私たちの現実と復活の希望!」1コリント15:20―28


聖書・1コリント 15:20ー28、「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。最後の敵である死も滅ぼされます。「彼は万物をその足の下に従わせた」からです。ところで、万物が従わせられた、と言うとき、万物を従わせたその方がそれに含められていないことは明らかです。しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。」

メッセージを聞く私たちの現実と復活の希望!

クリスチャンは、楽観主義でも、悲観主義でもないのです。現実的に物事を見るのです。でも、現実は、かなり厳しい時が多いです。世の中で悪があまりにも強いのを感じる時があります。詐欺、イジメ、格差ナドナド。また、自分という現実があります。自分の悪習慣、「わかちょるけどやめられない!」人間関係が壊れたり、人を許せなかったり、愛せなかったりするのです。年とって、体が壊れて行き、死が近寄るのを感じ、恐れるのです。その現実は、特に厳しいです。。。でも、それと同時に、それ以上に、他の現実、リアレティー、真実があるのです。この聖書箇所から二つの現実、事実が見えるのです。。。先ず、過去の事実を見るのです。1コリント15:20「しかし、今やキリストは、死者の中からよみがえられました。」そして、未来を見るのです。復活で終わらないのです。“Christus Victor!”神が、キリストが最終的に勝利者となるのです。29節後半、真実な「神が、すべてにおいてすべてとなられる」のです。

1.20−22、過去を見る。キリストは、確かに復活されたのです。19後半、キリスト者は「すべての人の中で一番哀れな者」では絶対ないのです。なぜなら、20節「キリストは、死者の中からよみがえられた」からです。歴史上事実!。。。著者パウロは、創世記3章に振り返っています。21節前半と22節の前半「死(という現実)がひとりの人(アダム)を通して来て」、「すべての人が(神に対して)死ん」だのです。サタンが人間を惑わし、人間が神の真実な言葉を信じ従うよりも、サタンの声に聞き従ったのです。原罪(最初の罪)と言います。このアダムの罪が数え切れない程の悲しみを人類にもたらしました。人は、あらゆる面で死んでいます。人類が永遠の死にも向かっているのです。妬み、争い、憎しみなどがますます増えているのです。。。自然も巻き込まれ、壊れて行っているのです。災害、公害、温暖化。体は、病気し、老いていき、死ぬのです。死!必ず死ぬのです。科学者哲学者のフランシス・ベーコンは、こう書きました。「子どもが闇の中を歩くのを恐れるように、大人は死を恐れる。」死の現実!。。。。。希望はあるのでしょうか?

20節「しかし(だが、でも)、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」主イエスは、死者の中からから復活したのです。一番の敵「死」に打ち勝ったのです。。。「初穂」とは何でしょうか?私たちジャンカー家は、香川の田舎の高瀬にいた頃、畑に囲まれていました。家の向かいの前川マサヒデさんは、台風の来た時は、とても困っていました。なぜなら、多くの畑を持っていて、全てが農作物にかかっていたからです。。。2000年前の聖書の時代は、今以上に大変でした。町の全ての人の命が収穫にかかっていたのです。収穫がなかったら、経済的に破滅でした。いや、死ぬ可能性もあったのです。ですから、収穫の「初穂」が出たら、大喜びでした。初穂は、後に必ず来る収穫の保証でしたから。初穂があって、収穫の喜びを味わい初めていたのです。。。主イエスの復活は、私たちの復活と全ての回復の「初穂」、保証、予兆、約束だったのです。イエスが事実復活したから、私たちが必ず復活するのです。全てが回復されるのです。素晴らしい事実です。21節後半、「死者の復活もひとりの人(キリスト)を通して来た(の)です。」そして、22後半、その「キリストによってすべての人が生かされるのです。」私たちが主を信じる時、霊的に心が生かされ、新生し、神様の子供となり、永遠の命、豊かな命を頂くのです。そして、神の霊が私たちの内に入る時、その力は、止めらないのです。死んだとしても、将来、肉体的にも生かされ、復活するのです。終わりの日に、新しい体が与えられます。アダムの罪が人類に数え切れない程の悲惨さをもたらしました。が、キリストの十字架と復活は、事実、数え切れないほどの恵みをもたらしました。信じられないような復活の命、「豊かな命」が与えられているのです。

考えて欲しいです。私たちは、将来何か漠然とした霊の世界に生きるのではないのです。仏教では『体は、幻想(げんそう、本当はない物)であって、病気も、幻想である。未来、体のない霊になる』と言います。いやいや、霊も、体も、両方大事です。神様は、体と霊両方を発明し創造したのです。確かに心は、怒りや失望でいっぱいになる時があるのです。体は、病んだり、壊れたりしていくのです。そういう現実は、確かにあるのです。だが、キリストは、心と体両方を救うために来たのです。これも、事実です。『罪によって束縛された体と霊両方、が贖われ、解放される』と聖書に書いてあります。イエス・キリストを信じる私達は、将来新しい体をもらい、新しい天新しい地に置かれるのです。主は、心身共に私たちを回復するのです。あなたのあなたのボロボロの体が将来新しい完全な栄光の体と成るのです。。。私たちは、現在、5感覚で生きています。でも、将来どうでしょうか?10感覚、100感覚、1000感覚になるのでしょうか?。。。ハグのない天国、未来、新天新地は、考えられません。あなたは、アグします。食べます。作ります。飲みます。踊ります。。。神様は、あなたの体を大事にするから、今は、どうでしょうか?あなたも体を大事にするのです。運動するのです。人を癒すのです。貧し人に食べ物や服を与えるのです。

先ず、過去を見るのです。主イエスは、確かに事実復活されたのです。。。次は、未来の現実、真実、事実を見るのです。

2。23―28、未来を見る。生ける神は、確かに全てを治めます。ある時は、例えば、新聞を読むと、ニュースを見ると『今悪がただただ支配している』ように感じるのです。暗い現実です。でも、それは、この箇所によると、一時的です。主は、あらゆる敵を滅ぼします。25節「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くのです。」どの支配であっても、キリストによって、無力とされる時が来るのです。。。先ず、キリストは、サタン(全ての悪の背後にある悪魔)を滅ぼします。24節「あらゆる支配と、あらゆる権威、権力」は、サタンとその手下を意味しています。それを「滅ぼす」のです。サタンの支配は、今はヤナほど強いですが、完全に潰される時が来るのです。。。そして、主は、を滅ぼします。26節「最後の敵である死も滅ぼされます。」今は、誰も死に打ち勝てる人はいません。新聞の死亡記事を見てください。現実です。でも、復活された主イエスによって、死の力が一切なくなるのです。これも、将来くる現実です。黙示録21:4「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」真実です。

27節「彼(キリスト)は万物(全て)をその足の下に従わせた」とあります。しかし、不思議に、主イエスの下にない何か誰かがいるのです。それは、逆に、主イエス様が従っているお方です。28節後半、父なる「神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。」最後に立って、治め、語るのは、真の生ける神様です。悪魔の支配は無くなり、神が全く治めるのです。死は全くなくなり、命が満ち溢れるのです。ジャン・キャルバンは、こう言います。「全ての物は、神へと回復されるのです。」全ては、恵みに満ちている命の源である神へと回復されるのです。

イースターは、復活祭(復活祭り)と言います。でも、実は、クリスチャン生活は、お祭りではない時が多いです。全てバラ色ではないです。楽観主義ではないです。復活の前には、十字架があったのです。十字架は、大変な時でした。そして、私たちクリスチャンは、今、コツコツと主に下以外、地味に日常的にただ忠実に聖書を読み祈るのです。毎週、礼拝に出席するのです。世間から見て、地味で大したことではないです。でも、それを喜びを持ってするのです。なぜなら、主は、復活し、全てを回復される希望があるからです。イエス・キリストを信じる信仰によって、あなたは、確かに、今、神の子供なのです。本当に素晴らしい未来が待っているのです。立ち止まって、キリストの声を聞くのです。「今は、辛いでしょうが。現実は、厳しいでしょうが。でも、あなたに考えられないような喜びが待っている。復活のお方、全てを治める恩方は、今も、あなたと共にいる。あなたは一人でない!」。。そして、神様が全てを回復するように、あなたも、今も、いろんなものを回復させたいのです。人々の痛み、苦しみ、飢えを見るクリスチャンは、無関心ではないし、無視しないのです。何かをしたいのです。するのです。

今は、人生に暗い影がある可能性があります。。。アメリカNFLプロフットボールの監督フランク・ライクは、静かなでも熱心なクリスチャンです。一時、神学校の学長や教会の牧師もしていました。彼は、フットボールで何回もぼろ負けしていたのに、何回も最後に勝つのです。去年、彼のコルツと言うチームは、1勝5敗でシーズンを始めたのです。でも、そのシーズンは、10勝6敗で終わったのです。後半は、9勝1敗でした。その大分前、選手として彼は、バッファロービルスというチームにいました。ある試合、大差で負けていて、突然、トップのクォーターバックが怪我したのです。ライクは、代わりに奇跡的にチームを勝利に導きました。その前の大学時代ででも、0−31で負けていました。そして、ライクは、最後に42−40の勝利に導きました。”It’s never over til it’s over.”「(試合は)終わるまで終わらない!」今は、人生に暗い影がある可能性があります。しかし、主イエスを仰ぐのです。主は、事実、復活され、共にいます。また、最後に完全に治めるのは、勝利者イエス様です。。。。。注意してください!勝利主義ではないですよ。キリストの十字架も見て、自分を低くし、人に仕えるのです。そこにあなたの本当の勝利があるのです。正に「負けるが勝ち」です。

過去を見る必要や未来を見る必要があります。でも、過去未来だけだはなく、今も、何かを、誰かを、見る必要があります。。。先ず、自分を正直に見るのです。神様は真実ですが、自分は不真実です。神様は、忍耐深いですが、自分は人を待てないのです。神様は喜びでいっぱいですが、自分は気落するのです。神様は愛で満ちていますが、自分の心は怒りと憎しみでいっぱいです。やな、現実です。自分を見て「私は、こんなもんだ!仕方がない!」と思って、諦めてしまうのです。。。諦めないでください。復活された恩方主イエス、全て治める恩方を仰ぎ見るのです。*あなたが鏡になるのです。鏡は、向いているものでいっぱいになるのです。例えば、鏡が怪物に向けられたら、怪物でいっぱいになるのです。美しいものに向けられたら、美しいものでいっぱいになるのです。鏡が何かに向かっていっぱいになるように、私たちは、神様に向いて仰ぎ、神様でいっぱいになるのです。神様は、真実ですから、あなたも真実になっていくのです。全て治めている方は、あなたに対して忍耐深いから、あなたも忍耐深くなるのです。復活された方は、喜びでいっぱいであるから、あなたも喜びでいっぱいになっていくのです。神様は、愛でいっぱいですから、あなたも愛を多く示す人になっていくのです。私たちは、神様に向いて仰いでいるなら、素晴らしい神様でいっぱいになるのです。。。クリスチャンの主な方向性は、仕事、家族、教育ではないです。先ず、十字架にかかれた復活された全てを治めている主キリストを仰ぎ見て、彼によっていっぱいになっていくのです。。。そして、家族、仕事、教育に励むのです。キリストのために生きるのです。イエスの姿に似てくるのです。神の造られた人間に仕えるのです。

ロンドンのウェストミンスターチャペルのロイド・ジョンズ牧師は、カウンセリングをしていました。第二次世界大戦の潜水艦の水兵は、うつと戦って、ロード・ジョンズにこう言っていました。「私たちの潜水艦は、沈没して海の底まで行ってしまいました。」彼は、それしか言えなかったのです。「潜水艦は、海の底まで行ってしまいました。」確かな現実でした。でも、もう一つの現実は、彼は救われ、そこに座っていたのです。現実は、厳しくても、クリスチャンは、こう言うのです。「失望には、負けない!復活された全てを治めるキリストを常に見て、活かされ、その原動力によって、人を活かすのです!」

2019年4月16日火曜日

Pictures.....


Bros. Yamada and Sato at church farewell party for Jon and family. ジャン達の教会お別れ会にいた山田兄と佐藤兄。

My wife Naho. Our 21 wedding anniversary. 家内の奈帆。私たちの結婚21年。

 Sakura at Koboyama burial mound. 弘法山での桜。

2019年4月12日金曜日

A broken heart


“How else but through a broken heart may Lord Christ enter in?”  Oscar Wilde

Psalm 34:18, "The LORD is near to the brokenhearted and saves the crushed in spirit." 

2019年4月11日木曜日

「空の空、全ては空」聖書・伝道者の書


「まさしく、神なくしては私たちの人生など海の底の一すくいの泥にも劣る。私どもの人生から神が無くなったら、何の甲斐が残ることか。しかし、神あって、またこの神にあって私みたいな者も、神の子として輝く!生きてもよい!」小畑進師



2019年4月6日土曜日

Rosemary Jensen


Read about an amazing missionary, Rosemary Jensen. Why the World’s Longest Reformed Bible Study Started in Africa She is truly our example.


Luke 24:27, "And beginning with Moses and all the Prophets, he explained to them in all the Scriptures the things concerning himself."

2019年4月3日水曜日

“He simply replied ‘Jesus. Jesus commanded me to love my neighbor'."


In 2004 the Dutch filmmaker Theo Van Gogh was killed by a Muslim radical. In the aftermath of his death, with churches and mosques in the Netherlands experienced retaliatory attacks, including the bombing of an Islamic school. The outpouring of violent rage shook a Dutch nation that had prided itself on being a peaceful and open society. At this incendiary moment a Dutch Protestant minister, Reverend Kees Sybrandi, did something radical. Sybrandi was a very conservative, traditional Dutchman who lived in a community where poor Middle Eastern immigrants had brought much poverty and crime. Yet that week Sybrandi walked to his neighborhood mosque. He knocked firmly on the door, and to the shock of the Muslims huddled inside, he announced that he would stand guard outside the mosque every night until the … attacks ceased. In the days and week that followed, the minister called on other churches in the area and they joined him, circling and guarding the mosques through out the region for more than three months.

Why would Sybrandi have done such a thing? On interviewer tried to find out. Was it some experience that had made the change? No. The minister recounted no stories of past friendship or dialogues with Muslims.Perhaps the secular, liberal values had softened him? No. Multicultural appeals for a celebration of difference had little pull on his heart.So what had overcome his inherent traditionalism and temperamental conservatism? [He] simply replied Jesus. Jesus commanded me to love my neighbor - [and even] my enemy too.

From Timothy Keller, The Prodigal Prophet: Jonah and the Mystery of Gods Mercy (Viking, Random House). Also Associated Press, Dutch Call for End to Religious Violence,ABC News, November 9, 2004. And, Matthew Kaemingk , Christian Hospitality and Muslim Immigration in an Age of Fear (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2018).

2019年4月2日火曜日

I Asked the Lord That I Might Grow, John Newton


"I asked the Lord that I might grow 
In faith and love and ev’ry grace, 
Might more of His salvation know, 
And seek more earnestly His face. 

‘Twas He who taught me thus to pray, 
And He, I trust, has answered prayer, 
But it has been in such a way 
As almost drove me to despair. 

I hoped that in some favored hour 
At once He’d answer my request 
And, by His love’s constraining pow’r, 
Subdue my sins and give me rest. 

Instead of this, He made me feel 
The hidden evils of my heart 
And let the angry pow’rs of hell 
Assault my soul in ev’ry part. 

Yea, more with His own hand He seemed 
Intent to aggravate my woe, 
Crossed all the fair designs I schemed, 
Humbled my heart and laid me low. 

“Lord, why is this,” I trembling cried; 
“Wilt Thou pursue Thy worm to death?” 
“’Tis in this way,” the Lord replied, 
“I answer prayer for grace and faith.” 

“These inward trials I employ 
From self and pride to set thee free 
And break thy schemes of earthly joy 
That thou may’st find thy all in Me.”